「……他には? 他になにか言ってた?」

 急ブレーキをかけたような動揺が走る。

 俺の知らない母さんが、きっともっともっとあるんだ。それを母さんは隠しているだけで。

「ん? …ああ、そういえば、幹太が自分の幸せを見つけてくれることを願ってるって言ってたな」

 最後まで母さんは、いつも人のことばかりだ。俺や父さんのことを気にかける。自分のことは全部後回し。自分が苦しいとか悲しいとかつらいとか、そういう言葉は一切俺には言わない。そんな弱音は吐かない。

「……俺の幸せ……」
「ああそうだ。母さんだけじゃない。俺も……幹太の幸せを願ってるんだぞ」

 野球を手放した今の俺に一体何ができるというんだ。友達もふつうの幸せも全部手放した俺に一体なにが──

「幹太。もう十分、一人で苦しんだだろ?」

 不意に父さんがそんなことを告げる。俺は、目を白黒させたあと、ゆっくりと首を振る。

「……一番苦しんでたのは母さんだ」

 俺じゃない。

「これ以上自分を犠牲にするな、幹太。母さんのために……いや、自分の幸せのためにこれからの時間を使いなさい」

 父さんの低い声で紡がれる言葉が真っ直ぐ心に突き刺さる。

 俺なんかより何倍も何十倍も苦しんでいたのは、母さんの方だ。それなのに自分の幸せのためにだなんて──

「……俺が幸せになっていいのかな」

 幸せになりたいと思ったこともあったけど、必死に押しのけて過ごしてきた。
 だけど、それは俺のただの強がりでほんとはずっと幸せになりたいと願っていた。

「いいに決まってる。当たり前だろう。幸せになったらダメな人なんていない」

 父さんの言葉が俺を肯定する。

「……だから、幹太幸せになりなさい」

 嬉しそうな悲しそうなに表情を浮かべて穏やかに笑っていた。

「それが母さんの願いだ」
「……うん」

 たとえ、どんなに過去に後悔していてもやり直したいと思っていても時を戻すことは不可能だ。
 それならこれからの未来を後悔しないようにどうやって過ごすのか考えるのが一番だ。

 きっとそれを俺は見失っていたんだ。

 長い間、ずっとずっと。