なんだか浮き世離れした不思議な人だけれど、彼からは揺るぎない芯の強さを感じる。それは自信のない私が、持っていない面だった。
私は勇気を出して、口にした。
「お母さんも鬼神の妻だもの。私にだって務まるだろうから、彼と結婚するわ」
言いきると、父と母は困惑の表情を見せた。即決してよいのかと戸惑うふたりの気持ちが伝わってくる。
私の胸の奥にも迷いはあるけれど、引き延ばしたところで結論は変わらない気がした。もし私が嫌がったとしても、すでに協定のための政略結婚は決定しているのだから、覆せないだろう。
結婚の意思を示した私に、春馬は向き直る。
「政略結婚の条件として、必ず世継が欲しい。よいか?」
「いいわよ。結婚したら、子どもができて当然よね」
神世の鬼神は領主のような位なので、跡継ぎが欲しいのだろう。もちろん子どもができるような経験をしたことはないけれど、結婚したならすぐに授かるはずだ。
ふたりで話をまとめていると、父が声を荒らげた。
「ちょっと待て! そんなに簡単に決めてもらっては困る」
「あえて言わせてもらうが、政略結婚とはいえ、婚姻するのは俺たちふたりだ。今後については、ふたりで相談する。夜叉と母君には静かに見守ってもらいたい」
春馬は冷静に説いた。彼の言う通りなのだった。
室内に沈黙が下りたのを見て取った春馬は、流麗な口調で言葉を継ぐ。
「しばらくは現世にある俺の屋敷で暮らそう。凜は現世で生まれ育ったゆえ、神世の居城よりも、そちらのほうが居心地がよいだろう。凜にはなにも不自由な思いはさせない。花嫁として大切にする」
私を思いやってくれる春馬に信頼感が芽生えた。彼となら一緒に暮らしていけると思える。
「私……彼と暮らしてみるわ。現世で暮らすなら、なにかあってもすぐに実家に戻ってこられるから、いいでしょう?」
そう頼むと、苦い表情の父とは異なり、母は笑みを浮かべる。
「凜の気持ちを大事にするって、決めていたものね。心配だけど、私はふたりが仲良く暮らしてくれると信じます。――柊夜さんだって、そうでしょう?」
「……ああ、その通りだ」
私たちに説得された父は深い嘆息を漏らして椅子にもたれた。
両親は授かり婚だと聞いている。母に惚れた父が強引に迫ってプロポーズしたのだとか。
今でも、私と兄の前で堂々とキスをする両親の姿を見ていると、私もああいう夫婦になりたいという憧れもあった。
春馬はそんな両親へ、まっすぐに碧色の双眸を向ける。
「俺は大切なことを言い忘れていた。――あなたがたの育てた凜を、必ず幸せにする」
明瞭にそう告げると、彼は席から下りて床に片膝をつく。
胸に手を当てて頭を下げ、まるで主にそうするような礼をとった。
慇懃な礼を合図に、鬼神との結婚生活は幕を開けた。
身の回りのものをまとめた私は、バッグひとつを持って自宅を出た。まさに小旅行といった様相で、嫁入りするなどという実感はまったくない。
「荷物を持とう。迎えの車が来ている」
春馬は私のバッグを受け取ると、手を引いて階下へ下りる。後ろからは見送りのため、両親がついてきていた。
家の前の道路には、街灯に浮かび上がる黒塗りの高級車が停まっている。礼をする運転手へ、当然のごとくバッグを渡す春馬に唖然とする。まるでお金持ちの若旦那のようだ。
両親に「いってきます」と挨拶して車に乗り込む。父は眉根を寄せていたが、母は笑顔で手を振っていたので、振り返す。嫁入りを見送る両親とは、こんなものだろうか。
運転手はゆっくりと車を発進させた。
隣の春馬は膝に手を置き、まるで座する神像みたいに動かない。
「現世の屋敷と言ってたけど、ここから近いの?」
「近いとは、いかなる距離か」
「……ごめんなさい、質問を変えるね。私は大学生なんだけど、屋敷から通学してもいい?」
「許す。ただし、送迎をつける。必ず屋敷の者を同行させよ」
「はあ……いいけどね」
古風な口調の春馬に苦笑いがこぼれる。
現世で暮らす鬼神たちは父を含め、正体を隠しながら仕事をしている。彼らにも何度か会ったことがあるが、言動は一般的な人間と変わりない。春馬はかなり独特だ。
ややあって、車は郊外の閑静な住宅地に辿り着く。
瀟洒な邸宅が建ち並ぶ区画のひとつにある、数寄屋造りの門をくぐる。犬柘植が導く私道を通ると、現れた豪勢な屋敷に瞠目した。
私は勇気を出して、口にした。
「お母さんも鬼神の妻だもの。私にだって務まるだろうから、彼と結婚するわ」
言いきると、父と母は困惑の表情を見せた。即決してよいのかと戸惑うふたりの気持ちが伝わってくる。
私の胸の奥にも迷いはあるけれど、引き延ばしたところで結論は変わらない気がした。もし私が嫌がったとしても、すでに協定のための政略結婚は決定しているのだから、覆せないだろう。
結婚の意思を示した私に、春馬は向き直る。
「政略結婚の条件として、必ず世継が欲しい。よいか?」
「いいわよ。結婚したら、子どもができて当然よね」
神世の鬼神は領主のような位なので、跡継ぎが欲しいのだろう。もちろん子どもができるような経験をしたことはないけれど、結婚したならすぐに授かるはずだ。
ふたりで話をまとめていると、父が声を荒らげた。
「ちょっと待て! そんなに簡単に決めてもらっては困る」
「あえて言わせてもらうが、政略結婚とはいえ、婚姻するのは俺たちふたりだ。今後については、ふたりで相談する。夜叉と母君には静かに見守ってもらいたい」
春馬は冷静に説いた。彼の言う通りなのだった。
室内に沈黙が下りたのを見て取った春馬は、流麗な口調で言葉を継ぐ。
「しばらくは現世にある俺の屋敷で暮らそう。凜は現世で生まれ育ったゆえ、神世の居城よりも、そちらのほうが居心地がよいだろう。凜にはなにも不自由な思いはさせない。花嫁として大切にする」
私を思いやってくれる春馬に信頼感が芽生えた。彼となら一緒に暮らしていけると思える。
「私……彼と暮らしてみるわ。現世で暮らすなら、なにかあってもすぐに実家に戻ってこられるから、いいでしょう?」
そう頼むと、苦い表情の父とは異なり、母は笑みを浮かべる。
「凜の気持ちを大事にするって、決めていたものね。心配だけど、私はふたりが仲良く暮らしてくれると信じます。――柊夜さんだって、そうでしょう?」
「……ああ、その通りだ」
私たちに説得された父は深い嘆息を漏らして椅子にもたれた。
両親は授かり婚だと聞いている。母に惚れた父が強引に迫ってプロポーズしたのだとか。
今でも、私と兄の前で堂々とキスをする両親の姿を見ていると、私もああいう夫婦になりたいという憧れもあった。
春馬はそんな両親へ、まっすぐに碧色の双眸を向ける。
「俺は大切なことを言い忘れていた。――あなたがたの育てた凜を、必ず幸せにする」
明瞭にそう告げると、彼は席から下りて床に片膝をつく。
胸に手を当てて頭を下げ、まるで主にそうするような礼をとった。
慇懃な礼を合図に、鬼神との結婚生活は幕を開けた。
身の回りのものをまとめた私は、バッグひとつを持って自宅を出た。まさに小旅行といった様相で、嫁入りするなどという実感はまったくない。
「荷物を持とう。迎えの車が来ている」
春馬は私のバッグを受け取ると、手を引いて階下へ下りる。後ろからは見送りのため、両親がついてきていた。
家の前の道路には、街灯に浮かび上がる黒塗りの高級車が停まっている。礼をする運転手へ、当然のごとくバッグを渡す春馬に唖然とする。まるでお金持ちの若旦那のようだ。
両親に「いってきます」と挨拶して車に乗り込む。父は眉根を寄せていたが、母は笑顔で手を振っていたので、振り返す。嫁入りを見送る両親とは、こんなものだろうか。
運転手はゆっくりと車を発進させた。
隣の春馬は膝に手を置き、まるで座する神像みたいに動かない。
「現世の屋敷と言ってたけど、ここから近いの?」
「近いとは、いかなる距離か」
「……ごめんなさい、質問を変えるね。私は大学生なんだけど、屋敷から通学してもいい?」
「許す。ただし、送迎をつける。必ず屋敷の者を同行させよ」
「はあ……いいけどね」
古風な口調の春馬に苦笑いがこぼれる。
現世で暮らす鬼神たちは父を含め、正体を隠しながら仕事をしている。彼らにも何度か会ったことがあるが、言動は一般的な人間と変わりない。春馬はかなり独特だ。
ややあって、車は郊外の閑静な住宅地に辿り着く。
瀟洒な邸宅が建ち並ぶ区画のひとつにある、数寄屋造りの門をくぐる。犬柘植が導く私道を通ると、現れた豪勢な屋敷に瞠目した。