あたしが動くのを待っているのかな、と口を開くと、かぶせるように景くんが言った。へ、と間抜けな声を出すと、景くんは顔を上げる。

 視線が絡まるんじゃないと思うほどじっと見られて、思わず半歩下がってしまった。
 落ち着いていたはずの心拍数が、跳ね上がっていく。

「昔は毎日しゃべってただろ、美久」
「そう、だけど」
「家族で旅行に行ったとか、買い物に行ったとか、お兄ちゃんの彼女のこととか、読んだ漫画のこととか」
「よく覚えてるね」
「聞いてないようで聞いてるんだよ、おれは」

 自慢げに言われて、ちょっと笑ってしまう。

「もう、気まずいのはいやだなって思って」

 景くんは、なんて残酷なんだろう。
 そんなことができれば、苦労はしない。できないから、苦しいのに。
 あたしだけが、できない。
 景くんには簡単なことでも、あたしには、無理。
 ――だって。

「いやか?」
「そういう、わけじゃ」

 返事をしないあたしに、景くんは不安げに首を傾げる。

「なんで、急にそんなこと言い出すの? 眞帆と、陣内くんのため?」
「いや。お、おれが、美久と、話をしたいから」

 不自然に言葉を区切って話すのは、緊張しているからなのだろうか。
 ぽかんと景くんを見つめていると、彼の顔がほんのりと赤いことに気がついた。胸がぎゅっと締めつけられて、息が苦しくなる。
 なんで。どうして。

「あたしのこと、きらいじゃないの?」
「……そんなわけないだろ。なんでそんなふうに思ってんの」

 つき合っていたとき、あたしがミーハーなことを言うといつも顔をしかめていたから。怒ったりつめたくすることはなかったけれど、眉間にシワを寄せていたから。

 景くんは、あたしのことをきらいなんじゃないかと、いつも不安だった。

「おれ、一度もそんなこと言ったことないと思うけど」
「うん」

 たしかに、景くんはなにも言わなかった。別れを切り出したのも、あたしからだった。でも、あのままつき合っていれば――。

 余計なことを考えちゃだめだ。
 ぎゅっと目をつむる。

 そうだ、あたしは彼氏がほしかったんだ。そのために、眞帆はあたしに男子になれるようにと言った。それに、あの交換日記でもあたしは前向きなことを自分で書いたじゃないか。
 そうだ。いつまで景くんのことを引きずっているんだ。
 これは、チャンスだと思えばいい。

「努力は、する」

 気合いを入れて、唇を噛む。そして景くんと目を合わせた。

「うん」

 景くんは、笑った。

 目を細めて、安堵の息を小さく吐き出して、唇で弧を描く。
 それは、あまりにやさしい微笑みで、あたしの息が、とまった。

 え、ちょ、な、なに。う、わ。うわ、うわ。ちょっと待って!

 ぶわああっと首から頭のてっぺんまでが一気に熱を帯びていく。制御不可能な自分の体に焦る。

 なにか言わなくちゃ、と思うのに声が出ない。
 きゅうっと喉が萎んで、言葉が通らない。

 どうしようどうしよう。

 そんなあたしを助けるように、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。景くんはすぐにいつものクールさのある落ち着いた表情に戻して、「んじゃ、また」と背を向ける。

 ――けれどすぐに振り返り、ためらいがちに片手を上げてあたしに手を振った。

 あたしもそっと、手を振り返す。
 ひらひらと揺れる大きな彼の掌を見ると、体の中でなにかがパタパタと羽ばたいているような気がした。

 ……また。

 頬に手を当てると、ほんのりと熱を感じる。
 おかしい。こんな反応、まるで、うれしいみたいだ。景くんのことを好きみたいだ。

 そんなはずない。不意打ちで焦っただけ。ほら、景くんはイケメンだし。イケメンが笑ったから、ときめいただけ。そんな単純な自分が恥ずかしくて、頬が紅潮しただけ。

 ――そうじゃなければいけない。

 奥歯を噛んで、足元に視線を落とす。
 二度の涙を、あたしはまだ覚えている。

 小学生のときは、自然消滅だった。けれど、あたしと話もメッセージもしなくなってから女子と仲良くなりはじめた景くんを見て、ショックだった。景くんは、なにも言わなかったけれど、あのときフラれたのは、あたしだ。

 二度目は、別れのメールを受け取ったときだった。

 幼い恋が終わって、また同じ人を好きになり、今度こそは告白した。つき合えることになったときの喜びは、小学生のころ以上に大きくて、その分、すれ違っていく苦しさもひどかった。

 だから、別れようとメッセージを送った。景くんは『わかった』とすぐに短い返信をあたしに送った。

 恋心を忘れても、そのときの痛みは覚えている。癒えることはない。

 ……って、これ、すでにまるで好きになってるみたいじゃない?