ぼんやりとそんなことを考えていると、

美久(みく)、どれにするか選んだー?」

 女子の声と〝美久〟という名前に、体がぴくっと反応する。前を向くと自販機の前には三人組の女子がいた。ショートカットの女子と、黒髪ロングの女子、そして――美久、と呼ばれたサイドテールの女子が顔を上げる。
 目が合う。

 ――美久。

 口を突いて出そうになった名前を呑み込み、ぱっと目をそらした。

 しまった、露骨だった、と今さら気づいても遅すぎる。けれど、美久はおれの態度を気にもとめず、なにかのボタンを押して「ごめん、行こ」と立ち去るのがわかった。

 そっと視線を戻し、美久の背中に向ける。
 歩く三人の正面から知り合いらしき男子の集団がやってきて、美久と一緒にいる女子に親しげに話しかけた。けれど、美久は無言のまま、中庭のほうを眺めていた。

 片側の耳の下らへんでひとつに括られた髪の毛が、風でゆらゆらと揺れている。中学生までいつもツインテールだったからか、今でもなんとなく慣れない。それは、彼女の性格の変化も関係しているのだろう。

 別人みたいだな、といつも思う。

 美久の横顔は、うつろに見えた。彼女の視界には、今なにが見えているのか、おれにはわからない。なにも映っていないのかもしれない。

 美久はいつから、こんな表情をするようになったのだろう。
 昔は、誰にでも親しげに話しかけ、よく大きく口を開けて笑っていた。幸せいっぱいで、毎日が楽しくして仕方がない、とでも言いたげに。

 けれど、いつからか落ち着いた雰囲気になり、表情がかたくなったように思う。特に男子に対しては、見ていて高い壁を作っているように見えた。

 大人になった、ということなのだろうか。
 小学生のころは『景くん』と呼んでくれたその声も、今はかわっているのだろう。

 ふと、美久がおれのほうをちらりと見た。
 再び目が合う。

「……あ、っ……」

 なぜか話しかけないといけないような気がして口が開いた。けれど、なんの言葉も出てこない。美久はそんなおれを見て、冷めた視線を向けてから目をそらした。

 おれと美久は、三年前からずっとこんな感じだ。
 こんなおれたちが、二度もつき合っていた、なんて知ったら、みんな驚くだろう。



 おれと美久がつき合っていたのは、小学生四年の一ヶ月と、中学一年のときの三ヶ月の、二回。

 小学三年生で同じクラスになったことがおれたちの出会いだった。はじめての席替えでとなりの席になり、よく話をするようになった。日直の日は、帰る方向が途中まで同じだったこともあり一緒に帰った。

 美久は、女子と話をするのが苦手だった当時のおれにとって、唯一の女友だちだった。お互いに言いたいことを言っていたから、ケンカもよくした。よくしゃべる美久におれがうるさいと文句を言ったり、おれの素っ気ない返事に美久が拗ねたり。

 なぜか、それが楽しかった。だから、美久が特別だと思った。

 そしてそれは、おれだけではなく美久も同じだったようで、おれたちはなんとなくお互いの気持ちを察して、なんとなくつき合うことになった。正直、どちらから告白したのかも覚えていない。

 けれど、あのころのおれと美久は〝つき合う〟ということがどういうことなのかは、よく理解していなかったと思う。ただ、好きだから両想いだからつき合うのが当たり前だから、というくらいの認識だった。

 ただ、つき合うことがまわりから冷やかされることだということは理解していた。
 だからおれと美久は、つき合ったことを誰にも言わなかった。それまでは仲の良さをからかわれても「ばかじゃねえの」と一蹴できたのに、ふたりきりで話をするのも避けるようになった。以前のように振る舞えなくなった。

 で、あっけなく自然消滅した。

 二学期の終わりにつき合い、三学期がはじまるころにはこっそりしていたメッセージのやり取りもなくなって、おれたちは終わった、と、思う。
 小学四年生らしい、かわいらしい恋愛ごっこだった。つき合った、にカウントすべきじゃないかもしれない。

 結局、その後五年生になるとべつのクラスになったことから、話をしなくなった。

 再び美久と会話をするようになったのは、中学一年で同じクラスになってからだ。

 つき合って別れたことなんかきれいさっぱり忘れたかのように、美久は笑顔でおれに話しかけてきた。だから、おれも過去はなかったことにして美久と話をした。小学生のころに比べたら女子ともよく話すようになったので、何人かのグループで何度か遊びにも行った。相変わらず美久とはよくケンカをし、よく笑った。

 やっぱり美久と一緒にいるのは楽しかった。
 だから。

『景くんのこと、好きなんだけど』

 美久からそう告白されたとき、『おれも』と答えた。