「あれ? ふたり仲良くなったー?」

 ジュースの入ったグラスを手に、ジンとまほちゃんが席に戻ってくる。その瞬間、美久の表情が一気に強ばったのがわかった。体を小さく震わせてから、顔に笑みを貼りつける。

 なんて不自然な笑いかただろう。

 かわった、というよりも、変だ、と思う。なにか原因がなければ、こんな変化はしないんじゃないか?あまりいい意味ではない、なにかでなければ。

「美久が男子と話すのはじめて見たかも」
「ちょっと、話しただけ」

 美久はふるふると首を振る。気まずそうに見えるのは、おれの気のせいだろうか。
 そして、おれと美久のあいだにさっきまではなかった高い壁がそびえ立っているのを感じた。

「景、これでよかったかー?」
「え? あ、ああサンキュ」

 ジンがおれにグラスを差し出してくる。どうやらふたりはおれと美久の分もジュースを持ってきてくれていたらしい。


 それからのジンはまほちゃんに楽しい時間を提供しようと、頑張ってしゃべり倒していた。言葉は少なかったけれど、美久もジンと言葉を交わしていたし、ケラケラと楽しそうにしていた。

 でも、美久の四方にはずっと高い心の壁があった。おれのことはもちろん、ジンも、もしかするとまほちゃんとも、距離を取って会話しているように見えた。
 美久は誰とも、目を合わさなかった。



 結局ファミレスでは二時間半ほど過ごし、気がつけば外は真っ暗になっていた。時間は七時前。美久が「ごめんそろそろ」と声をかけたことで、今日はみんな帰ることにした。

「お母さんにメッセージ送るからちょっと待って」

 店を出て、スマホを見たまほちゃんが声を出す。指先をさかさかと素早く動かしながら「美久は大丈夫?」と美久に話しかける。

「ああ、うん、お兄ちゃんには連絡入れたから」
「親じゃなくてお兄ちゃんに連絡って、ほんっと仲いいねえ。あ、お母さんがスマホ使えないタイプとか?」
「あははは。機械弱い系ね。たまにいるよね」

 ふたりの会話に、違和感を覚える。

 そばにある駅を電車が通過した。美久の歯を食いしばっている横顔が一瞬光に照らされた。

 名前を呼びたいのに、喉が萎んで声が出なかった。
 ただ、ずっと美久の背中を見つめながら駅まで歩いた。

 まほちゃんとは駅でわかれることになった。どうやらひとりだけ帰る方向が逆のようで、そこからはおれとジンと美久の三人になる。

 電車に乗ってからのジンは、とにかくまほちゃんを褒めちぎった。

「もう告白してもいいと思うんだよな」
「っていうか絶対脈ありだよな?」
「どうしようかなー」
「でもマジでまほちゃん天使じゃね?」

 ときおりおれや美久に確認したり相づちを求めたりはするものの、基本的には独り言に近い。ジンの目には、おれも美久も映っていないだろう。

「でさ、まほちゃんがオレの話で笑ったんだよ」
「わかったって、いい感じなんだろ。じゃあもう告白しろ。そしてフラれろ」

 舌打ちをしながらジンに言う。いい加減うっとうしい。「なんでだよ」と、ジンがおれの制服を掴んできたので、振り払い「うるせえんだよ」「しつこい」と文句を言う。ジンはすがりつくように「なにかフラれそうな理由があるのか?」「なんなんだよ教えてくれよ」「フラれるの?」と聞いてくる。マジでうざい。

 顔を顰めてジンを見つめていると、

「ふは」

 美久が口元を隠しながら、小さく笑った。

 ――心臓が、痛え。

 今日一日で、おれの心臓はおれの知らない動きばかりを繰り返す。ぎゅっと掴まれたような痛み。けれど、いやじゃない。

 ひとりでクスクスと笑う美久を見ていると、うるさいジンの声はまったく耳に入ってこなかった。雑音には違いないので「黙れ」と睨んだけれど。そして当然そんなものはジンにまったく効果はないのだけれど。

 三人とも、降りる駅は一緒だ。これでやっとジンから解放されるとため息を吐く。ジンはおれと違ってバスに乗るはずだ。

「あ、もう来てるじゃん!」

 改札を出るなり、ジンは慌てた様子でロータリーに向かって走り出した。残されたおれと美久は、目を合わせる。

「え、っと、美久のバスは?」
「あと、十分くらいかな。そっちは徒歩だっけ?」

 うん、と答える。けれど、足は動かない。
 向かい合ったまま無言の時間が流れる。

 おれは、なんで帰らないんだろう。心配だから? 夜だから? でも、そんなに遅い時間ではない。人もたくさんいる。なのになんでだ。

「行かないの?」
「おれ、見送るのが好きなんだ」

 美久に不思議そうに言われて、考えるよりも前に意味のわからない言葉が口から出た。なんだ、見送るのが好きって。今まで一度もそんなこと考えたことないぞ。