思ってたけど。でも今は悪い意味で言ったわけではない。ただ、キラキラして眩しいなあと思っただけ。まあ、おれの好みではないし、そもそもおれはスマホにケースはしない派なのだけれど。姉ちゃんのと似てるから流行りなのかと疑問に思って口にしただけだ。

 過剰反応を示す美久にちょっとうんざりする。

 つき合っているときから、ミーハーなことを妙に気にしているのか、おれがちょっとそういう発言をすると不満そうにむすっとする。好きなら堂々とすればいいのに。おれがそれにどう思おうと、無視して自信満々に振る舞えばいいのに。

「気に入ってるんだろ、それ」
「そうだけど……」
「まあ流行りって好きなものがいろいろかわるから大変そうだと思う」
「たくさん好きなものができるからいいの」

 美久はそっぽを向いたまま、口を尖らせて言う。

「なるほど」

 そういう考えもあるのか。
 心の底からそう思って言ったけれど、こちらを見た美久はまだ不満そうだった。

 ああ、美久だなあ。やっぱり美久だ。思っていることが顔に出る、わかりやすいところが――かわいい。ミーハーなところも、どこかかわいく見える。

 しばらくそんなことを考えて、そして、はっとする。

 おれ、なに考えてた?
 自然に、なにを。

「そういやおれ、姉ちゃんに視野が狭いって言われたな」

 自分の意識をそらすために、話をかえる。

 美久は目を瞬かせて、「気にしてるの?」と聞いてきた。だから「べつに」と素直に答える。気にしてない。どうでもいい。そういう考えがまさしく〝視野が狭い〟のかなと思わないでもないけれど、おれにとってなんの問題もない。

「視野が狭いなんて、羨ましいな」
「なんで?」

 美久がどこかさびしげに口の端を引き上げて言った。

「迷わないでしょ、多分」

 曖昧な言葉だったけれど、なんとなく胸にストンと落ちてくる。

 ああ、そういうふうにも考えられるな。たしかに、おれにわからないことはたくさんあるが、なにをすべきか、どうするか、であまり迷うことはない。

 悪いことだと思っていたわけじゃない。でも、他人にそう言われると安堵する。
 べつにいいんだ、と肩をぽんっとやさしく叩かれた気分だ。

「け――……有埜くん、は、かわらないね」

 へ、と声にならない声が口からこぼれる。

 美久は一瞬、おれを、景、と名前で呼ぼうとした。
 美久の中でおれは、別れてからも他人じゃなかったのかもしれない。けれど、わざわざ名字で呼びなおした。ということは、過去の関係はなかったことにしようということなのかもしれない。

 そう考えると、おもしろくない。
 だからだろう。

「美久は、かわった気がするな」

 わざと、名前を呼んだ。
 数年ぶりに呼びかけた名前に、一気に口の中が乾く。表情はおそらくなにもかわっていないだろう。でも実は心臓がばくばくしていることに、美久は気づかない。

 ――美久。

 心の中では何度も呼んでいた。独り言でも口にしたことはある、と思う。

 けれど、美久本人に呼びかけるだけで、名前にいろんな気持ちがまざる。

 今日のおれは、おかしい。
 こうして美久と並んでいると、なにもかもが普通じゃない。

 美久はなんの反応も見せなかった。なにも言わないし、ぴくりとも動かない。もしかして、心底いやそうな顔をしておれを睨んでいるのでは。

 数年前数ヶ月つき合っただけの元カレのおれが名前を呼ぶのは、さすがに馴れ馴れしすぎたのだろうか、と恐る恐るとなりを見ると、美久は前を向いたままじっとしていた。

「……美久?」
「え? あ、ああ。うん」
「話、聞いてなかっただろ」

 ぼんやりとした返事に、つい突っ込む。美久は目を少し見開いてから「はは」と軽やかな声を発した。

 笑った。

〝どういう人が好きか考えてみたらどうかな〟

 不意に、交換日記の彼女の一文が頭に浮かび、そして、息が止まる。
 おれは、なにを考えているのか。

「なに笑ってんの」

 動揺を隠すために落ち着いた声色を意識して口にすると、美久が軽く目を伏せてから前を見る。

「昔はあたしが『景くん、話聞いてんの』って怒ってたのに。今は逆だな、て」

 懐かしむその表情は、笑っている。その目は遙か遠くを眺めている。おれたちがつき合ってたことは、遠い過去の、昔の、思い出でしかないかのように見える。

 美久は、そう思っている。
 ――じゃあ、おれは?
 ポケットの中の手が、拳を作る。

「あたしが、かわったから、なのかな」
「さあ」

 やっぱり、どうにかして今日を回避すればよかった。
 そうすれば、こうして美久と話をすることはなかった。
 けれど、立ち上がろうとは思わない。足に力が入らない。体が鉛のように重い。