声をかけてきたのは美久なのに、美久は口を閉じて視線をさまよわせた。落ち着かないのか、両手をへその前でもじもじと動かしている。

「あの、べつ、べつに苦手、とかじゃないから」

 なにが。
 やっと話をした、と思ったら意味のわからない報告だったので首を傾げる。

 美久は恥ずかしいのか、ほんのりと頬を赤く染めていた。
 つき合うことになった日も、美久はこんなふうに赤くなっていたな。
 ちがうのは、笑顔じゃない、ということか。

 あのときの美久は満面の笑みをおれに向けて、目を細めて、白い歯を見せて、

 ――『うれしい』

 と、言った。喜びよりも、安堵を感じる笑みだった。

 あのころと比べて美久はかわった。当たり前だけれど身長が高くなったし、髪型も大人っぽくなった。顔立ちも、無邪気さがなくなった。もじもじと話すようなこともなかった。

 なのに、目の前の美久と、思い出の中の美久が重なる。
 だからなのか、おれの感覚も過去に引き戻される。

 美久のことを、かわいいと、好きだと、そう思っていたころのおれ。

「……なんで、固まってるの」
「っあ、いや、なんでもない」

 無言のおれに、美久が訝しむような目を向けてきた。なにも反応しなかったことで、やや不満げだ。

 えーっと、なんの話だったっけ。苦手、か。なにが苦手だって話だっけ。頭をフル回転して、電車に乗る前にまほちゃんが言っていたセリフを思いだした。ああ、そうだ。男子が苦手だとかなんとか言ってたな。

「おう、わかった」
「ただ、ちょっと、うまく話せないかもだけど、気にしないでって伝えたかっただけ」
「そっか。よかった」

 美久がぴくりと体を震わせて、そろりとおれを見る。

「なにが、よかったの?」
「え? このまま気まずい空気でいたら、ジンたちに悪いから、話しようぜって言おうと思ってたから」

 なにかおかしなことを言っただろうか。
 不思議に思いながら答えると、美久は「そういうことか」と目をそらした。

 なぜか、耳がほんのりと赤い。そして、横顔はなんとなく拗ねているように見えた。

 その理由はわからない。けれど――かわいい。

「なに笑ってるの」

 知らず知らずに口元が緩んでいたらしい。美久に睨まれて「なんでもない」と目をそらし誤魔化し先を進むジンたちの背中を追いかけた。

「とりあえず、おれらの過去のことは忘れて過ごそう」

 半歩後ろにいるだろう美久に小さな声で伝えると、美久は「わかってるよ」と言った。そして「そんな昔のことは、もう関係ないもんね」と。

 ファミレスに入ると、四人がけのボックス席に案内された。ジンは当然のようにまほちゃんのとなりの席を陣取る。結果、おれは美久のとなりだ。

 ……この席ってこんなにとなりとの距離が近かったっけ。

 ジンはすぐにドリンクバーとフライドポテトを注文して、「オレたち先に行ってくるわ」とまほちゃんとふたりでドリンクバーコーナーに向かった。
 いや、なんで二手に別れるんだよ。

「四人じゃなくてふたりでもよかったんじゃないの?」

 ぽつんと美久が呟く。

「おれもそう思う」

 素直に返事をする。
 目を合わせて、ふたり同時にため息をついた。

 さっき言葉を交わしたからか、居心地の悪さはだいぶ薄れた。美久の態度もずいぶんと和らいだように感じる。

 それが、なんかうれしい。

 かといって、会話が盛り上がる、なんてことはなく、おれらのあいだには、微妙な空気が流れていた。
 食べ物はもちろん飲み物もない。つまり、手持ち無沙汰だ。
 じわじわと美久のいる右側が変な感覚に襲われる。
 意識すると、頭が真っ白になる。

 この感覚には、覚えがある。

 初めてデートした日だ。あの日、おれは自分がなにをしゃべったのかまったく記憶にない。どこに行ったのかも、曖昧だ。たしか、美久の行きたがっていたカフェだったような……気がする。慣れないことをしたせいもあり、うまく話せないし落ち着かないしでやたらとイライラした記憶もある。

「ちょっとごめん」

 なにかに気づいたように、美久がポケットからスマホを取り出し、操作しはじめる。メッセージかなにかが届いたのだろう。姉ちゃんが持っていたような、キラキラしたスマホカバーが目についた。

「それ、流行り?」

 なんとなく、そう聞くと、美久は「そうだけど」とちょっと不機嫌そうに言った。

「どうせ、あたしは流行り物が好きなミーハーだから」
「いや、そこまで言ってないだろ」