その拍子に顔から落ちたノートをすかさずキャッチして、体の下に隠した。

「突然入ってくんなよ、姉ちゃん」
「呼びかけたのに無視したのはあんたでしょうが」

 姉ちゃんは腰に手を当てておれを見下ろしている。大学生になってから髪の毛はブルー混じりで、爪もカラフルになり、服装は毎日ちがっている。
 相変わらず派手だなあ。
 美久とは好みが若干ちがう(と思う)けれど、姉ちゃんもかなりのミーハーだ。新しいものに目がなく、のめり込むとありとあらゆるグッズを買いあさったりする。

 だからなのか、姉ちゃんと買い物に行くととにかくしんどい。目についた店には全部入ろうとするし、お気に入りを見つけるまで永遠とも言えるくらい歩き回るし、人気の飲食店では何時間でも待つことができる。

 好きにすればいい。
 ただ、連れ回されるのはマジで苦痛だ。苦行だ。おまけに荷物持ちもさせられるし。

「なんの用事」
「あんった、ほんっと、だっさいなあ……」

 おれの質問を無視するように、姉ちゃんは顔をしかめて言う。
 ダサいって、ただのジャージなんだけど。
 中学校のときの体育で着ていたものもので、身長が伸びた今のおれが着ると八分丈になっているけれど。

「ジャージもダサいし、中に着てる変な柄のTシャツもだっさい」
「おれの部屋着に文句つけにきたのかよ」
「要件忘れるくらいダサいってことよ。あんたそんなんで彼女とかできんの? またフラれるんじゃないの?」

 また、という言葉にぴくりと眉が反応する。
 大きなお世話だ。姉ちゃんだって彼氏がいないくせに。
 とは、もちろん口にしない。できない。

「せっかくそれなりに整った顔して、身長もあるんだからさあ、もっとかっこよくしなさいよ、宝の持ち腐れじゃん。髪の毛もボサボサだし、その瓶底メガネもいい加減買い直しなさいよ」

 ああ、うるさい。
 家にいるときくらい好きにさせてほしい。

 思わず、ち、と舌打ちをすると「は? なにしたのあんた」と姉ちゃんは目を吊り上げておれに顔をずいと近づける。
 すみませんでした、とすぐに頭を下げる。怖い。
 おれにとってこの世で一番怖いのは姉ちゃんだ。そこまでひどいことしたっけ? というくらいやり替えされるので、逆らわないに限る。

 おれの面倒くさがりは、姉ちゃんのせいなのでは。おれの人生に置いて、ねえちゃんから受けた影響がでかすぎるのでは。

「あんたの好きなもの否定する気はないけど、もうちょっと普段から視野は広げときなさいよ。受け入れなくてもいいんだから」
「意味わかんねえんだけど」
「そういうところよ。ったく、強情よね。また彼女ができたときに泣きついてきてもたすけてやんねえぞ」

 ……中学生のとき、デート前に姉ちゃんにどうすればいいのか相談したことを未だにネチネチ言われて、ことあるごとに話に出される。あのときのおれに、姉ちゃんには頼るな、と教えてやりてえ。デートの結果もろくでもないし。

 はーっと呆れられたようなため息をついてから「ママがはやくお風呂入ってってさ」と姉ちゃんは部屋を出て行った。

 ひとりきりになった部屋で、ガリガリと頭を掻く。
 なんであそこまで言われなければいけないのか。視野が狭いってなんなんだよ。

 ジャズが好きでなにが悪いんだ。服装に興味がなくたっていいじゃないか。瓶底メガネでもコンタクトよりおれにとっては楽なのだ。

 家以外でこんな格好をしたりはしない。友だちと遊びに行くときの私服だって、それなりに気を遣っている。といっても、八割は母さんや姉ちゃんが勝手に見繕って買ってきた物だけれど。おれの性格を知っているので、なんにでも合うようなシンプルなものだけれど。

 この姿を、誰かに見せるつもりはない。

 美久にだって、一度も見せなかった。むしろ、そんなダサいおれを悟られないように取り繕っていた。デート前に恥を忍んで姉ちゃんに相談するほどには。

 でも、おれはフラれた。
 姉ちゃんに見つからないようにと隠したノートを手にする。

〝誰かに好かれる前に 誰かを好きになればいいんじゃね?〟

 言葉にするのは簡単だけれど、実際に行動に移すのはなかなか難しい。美久と別れてから誰かとつき合おうと思ったことはある。告白を断らずに試しにつき合ってみてもいいんじゃないか、と。親しくなれば好きになれるかもしれない、とまずは友だちみたいになった相手もひとりふたりいる。

 でも、一度もできなかった。
 好きになろうと思って誰かを好きになれるわけじゃない。そして、好きになったってもうまくいくわけでもない。

 ベッドから立ち上がり、窓を開ける。と、秋の匂いが鼻腔を擽った。
 美久とつき合った秋。