「悪い」
そわそわと落ち着かないあたしに、景くんの小さな声が届いた。顔を上げたけれど、景くんは自分の足元に視線を落としたままで、目は合わない。
景くんは、今、なにを思っているのだろう。
あたしの様子を見てとりあえず謝った、という感じだろうか。きらいな相手にもそういう気遣いができるのは景くんらしいなと思う。
ああ、このかわらない感じ。
――きらいだな。
きらい、きらい、だいきらい。
呪文のように何度も心の中で繰り返す。
景くんのことを思いだすたびに、あたしはいつも〝きらい〟の三文字を唱える。
「ま、眞帆、ごめん、あたし用事思いだしたから先に教室戻ってるね」
「え? あ、うん、わかった」
ぐっと拳を握りしめて、眞帆に声をかける。そして、返事を聞く前に踵を返して教室に向かった。
陣内くんは本気で眞帆に惚れているようだ。陣内くんは惚れたら一直線の真面目でわかりやすい性格なので、間違いないだろう。結構気の強い眞帆と、惚れた相手には尽くす陣内くんは相性もよさそうに思う。
――でも、できればそうなりませんように。
眞帆が陣内くんを好きになったのならば応援したいと思う。でも、陣内くんは景くんと仲がいい。それだけが、受け付けられない。
ひとり足早に教室に向かいながら悶々と考える。
それでも、意識がずっと背中に集中する。
景くんは今、どんな顔をしているのだろう。
もう彼の視界からあたしの姿は消えたはずなのに、階段を上るあいだも、廊下を歩いているあいだも、背中に変な感覚が消えなかった。
悶々としていた気持ちは、六時間目の授業が終わるころにはなんとか落ち着いた。
交換日記を取りに行く、という楽しみがあるからだろう。
いそいそと帰り支度をして教室を出ていこうとする、と、
「あ、ちょっと待って美久!」
スマホを手にした眞帆に呼び止められた。
「どうしたの眞帆」
「今、陣内くんからメッセージ来たんだけどさ」
いつの間に連絡先の交換を? 今日のお昼休みのとき? あの短い時間にメッセージのやり取りをするほど仲良くなったってこと? え、すご。
「なに、彼氏でもできたの?」
あたしと眞帆のやり取りを見て、浅香が不思議そうな顔をしてやってきた。
「ううん。お昼に陣内くんに声かけられて仲良くなったって話したっしょ、今日」
「あー、そんなこと言ってたね。モテるね眞帆は。この前も先輩に声かけられたって言ってたけど、あれはどうなったの」
「あれはそれで終わったー。あんまり話してて楽しくなかったし」
肩をすくめてそっぽを向く眞帆に、浅香は「さすが」とどこか呆れたように笑う。
眞帆らしい切り替えの早さにあたしはただただ感心する。あたしには一生縁のない経験だろうなあ。
いや、ちょっと待って。
つまり眞帆は、現時点では陣内くんと話すのは楽しい、と思っていると言うことか。
やばい。
「で、美久」
ふたりの会話を聞きながら考え込んでいると、ぐるんっと眞帆があたしのほうに顔を向けた。真剣な眞帆の視線に、身じろぎする。
「美久、彼氏ほしいんだよね?」
「え、あ、うん……」
なんか、いやな予感がする。
とてつもなくいやな予感がする。
「でもね、美久。今のままの美久じゃ十年は彼氏ができないと思うの」
「え、ひどい!」
「まあ、眞帆の言うとおりかもね。美久、男子と話さないし」
浅香にも言われてしまった。ふたりしてひどい。
「そこで、まず男子になれるために、男子と出かけよう」
なぜそうなる。
「陣内くんと有埜くんと、明日放課後デートしよう」
「いや、いやいやいや、むりむりむりむり!」
全力で否定をする。
なんでそういう話になるのかさっぱりわからない。
ぶんぶんと顔と手を左右に振ると、その手を眞帆ががっしりと掴んだ。
「ふたりとも美久とは友だちでしょ」
「いや、友だちって言うほどでは……。顔見知りくらいだし」
もごもごと口にしていると、なんだか言い訳をしているみたいだと思った。
たしかに中学一年くらいまでは、陣内くんと話をすることがあった。でも、今は、ちがう。今ではもう、あのころの自分がどんなふうに彼に接していたのかもわからない。だったら、顔見知り、という説明でいいはずだ。景くんに関しては論外である。
「いきなり陣内くんとふたりで出かけて、ぜんっぜん楽しくなかったらつらいでしょ。だから、美久、協力して。友だちじゃなくても話はできる相手ってことでしょ」
「あ、浅香でも」
「やだよ、私彼氏いるし。ダブルデートみたいなことしたら彼がいやがるでしょ」
きっぱりと断られた。そういう理由では無理強いはできない。
「他の子……は?」
「ふたりと顔見知りの美久のほうがいいじゃん」
そうだけど! でも!
だらだらと冷や汗を流していると、浅香が「行けば?」とあたしの肩に手をのせた。
「べつに有埜とつき合うわけじゃないんだし。リハビリだと思えば」
眞帆が目の前にいる場所で、男子と話す勇気は、まだない。そんな姿見せられない。だって、あたしの態度が眞帆に見せるものとちがうかもしれないんだもの。
いやだ。絶対いやだ。彼氏はほしいけれど、こういうのはちがう。
ましてや景くんも一緒なんて!
「いや、でも!」
「じゃ、返事しとくから、明日ね!」
あたしの拒否を遮り、眞帆はにこりと微笑んで言った。そして、すぐさまスマホを操作する。あたしの逃げ道を完全に塞ぐために。
ひどい!
そわそわと落ち着かないあたしに、景くんの小さな声が届いた。顔を上げたけれど、景くんは自分の足元に視線を落としたままで、目は合わない。
景くんは、今、なにを思っているのだろう。
あたしの様子を見てとりあえず謝った、という感じだろうか。きらいな相手にもそういう気遣いができるのは景くんらしいなと思う。
ああ、このかわらない感じ。
――きらいだな。
きらい、きらい、だいきらい。
呪文のように何度も心の中で繰り返す。
景くんのことを思いだすたびに、あたしはいつも〝きらい〟の三文字を唱える。
「ま、眞帆、ごめん、あたし用事思いだしたから先に教室戻ってるね」
「え? あ、うん、わかった」
ぐっと拳を握りしめて、眞帆に声をかける。そして、返事を聞く前に踵を返して教室に向かった。
陣内くんは本気で眞帆に惚れているようだ。陣内くんは惚れたら一直線の真面目でわかりやすい性格なので、間違いないだろう。結構気の強い眞帆と、惚れた相手には尽くす陣内くんは相性もよさそうに思う。
――でも、できればそうなりませんように。
眞帆が陣内くんを好きになったのならば応援したいと思う。でも、陣内くんは景くんと仲がいい。それだけが、受け付けられない。
ひとり足早に教室に向かいながら悶々と考える。
それでも、意識がずっと背中に集中する。
景くんは今、どんな顔をしているのだろう。
もう彼の視界からあたしの姿は消えたはずなのに、階段を上るあいだも、廊下を歩いているあいだも、背中に変な感覚が消えなかった。
悶々としていた気持ちは、六時間目の授業が終わるころにはなんとか落ち着いた。
交換日記を取りに行く、という楽しみがあるからだろう。
いそいそと帰り支度をして教室を出ていこうとする、と、
「あ、ちょっと待って美久!」
スマホを手にした眞帆に呼び止められた。
「どうしたの眞帆」
「今、陣内くんからメッセージ来たんだけどさ」
いつの間に連絡先の交換を? 今日のお昼休みのとき? あの短い時間にメッセージのやり取りをするほど仲良くなったってこと? え、すご。
「なに、彼氏でもできたの?」
あたしと眞帆のやり取りを見て、浅香が不思議そうな顔をしてやってきた。
「ううん。お昼に陣内くんに声かけられて仲良くなったって話したっしょ、今日」
「あー、そんなこと言ってたね。モテるね眞帆は。この前も先輩に声かけられたって言ってたけど、あれはどうなったの」
「あれはそれで終わったー。あんまり話してて楽しくなかったし」
肩をすくめてそっぽを向く眞帆に、浅香は「さすが」とどこか呆れたように笑う。
眞帆らしい切り替えの早さにあたしはただただ感心する。あたしには一生縁のない経験だろうなあ。
いや、ちょっと待って。
つまり眞帆は、現時点では陣内くんと話すのは楽しい、と思っていると言うことか。
やばい。
「で、美久」
ふたりの会話を聞きながら考え込んでいると、ぐるんっと眞帆があたしのほうに顔を向けた。真剣な眞帆の視線に、身じろぎする。
「美久、彼氏ほしいんだよね?」
「え、あ、うん……」
なんか、いやな予感がする。
とてつもなくいやな予感がする。
「でもね、美久。今のままの美久じゃ十年は彼氏ができないと思うの」
「え、ひどい!」
「まあ、眞帆の言うとおりかもね。美久、男子と話さないし」
浅香にも言われてしまった。ふたりしてひどい。
「そこで、まず男子になれるために、男子と出かけよう」
なぜそうなる。
「陣内くんと有埜くんと、明日放課後デートしよう」
「いや、いやいやいや、むりむりむりむり!」
全力で否定をする。
なんでそういう話になるのかさっぱりわからない。
ぶんぶんと顔と手を左右に振ると、その手を眞帆ががっしりと掴んだ。
「ふたりとも美久とは友だちでしょ」
「いや、友だちって言うほどでは……。顔見知りくらいだし」
もごもごと口にしていると、なんだか言い訳をしているみたいだと思った。
たしかに中学一年くらいまでは、陣内くんと話をすることがあった。でも、今は、ちがう。今ではもう、あのころの自分がどんなふうに彼に接していたのかもわからない。だったら、顔見知り、という説明でいいはずだ。景くんに関しては論外である。
「いきなり陣内くんとふたりで出かけて、ぜんっぜん楽しくなかったらつらいでしょ。だから、美久、協力して。友だちじゃなくても話はできる相手ってことでしょ」
「あ、浅香でも」
「やだよ、私彼氏いるし。ダブルデートみたいなことしたら彼がいやがるでしょ」
きっぱりと断られた。そういう理由では無理強いはできない。
「他の子……は?」
「ふたりと顔見知りの美久のほうがいいじゃん」
そうだけど! でも!
だらだらと冷や汗を流していると、浅香が「行けば?」とあたしの肩に手をのせた。
「べつに有埜とつき合うわけじゃないんだし。リハビリだと思えば」
眞帆が目の前にいる場所で、男子と話す勇気は、まだない。そんな姿見せられない。だって、あたしの態度が眞帆に見せるものとちがうかもしれないんだもの。
いやだ。絶対いやだ。彼氏はほしいけれど、こういうのはちがう。
ましてや景くんも一緒なんて!
「いや、でも!」
「じゃ、返事しとくから、明日ね!」
あたしの拒否を遮り、眞帆はにこりと微笑んで言った。そして、すぐさまスマホを操作する。あたしの逃げ道を完全に塞ぐために。
ひどい!