※※※
ずっとずっと、大好きな人がいる。
その人の名前は冬山柚宇。
私よりひとつ上の穏やかな先輩。
心配性で、優しくて、誰よりも笑顔が素敵な人。
あの日、助けてくれたあなたを私は忘れたくない。
だから、私は想いを伝えた。
あなたが中学二年生の時、塾の帰り道で。
あなたは、それを受け取ってくれた。
そこから、私は、幸せの絶頂にいた。
でも、瞬く間だった最高の時間は、もう過ぎ去って記憶の彼方へ消えている。
結局、あなたと過ごせた時間は、たったの一ヶ月。
もちろん、その間は、手も握っていないし、デートもしていないし、……キスだってしていない。
どうして、私たちは別れたのだろうか。
私の愛が重すぎたから?
恋人らしいことを出来てなかったから?
その原因は分からないけど、私は、一度、あなたにわがままを言いたい。
最後、これが最初で最後だから。
あなたにこれまでの感謝と想いを伝えさせてください。
※※※
卒業式が、終わってしまう。
それは、柚宇君を見つめることを出来る時間が終わってしまうということ。
私たちは、あれから、花道をつくるために運動場へでた。
偶然近くにいた桜川君に私は送辞を一緒にやってくれたことにお礼を言う。
「桜川君」
名前を呼ぶと、彼はすぐにこちらを向いた。
「どうしたの? 波葵」
彼は、にへらと人当たりのよい笑顔でこちらを見ていた。
「送辞、お疲れさま。それだけだから」
私は、そう言って、柚宇君を探そうと彼に背を向ける。
「待って!」
運動場で話すにしてはかなり大きい声が桜川君からでた。
私は、ビックリして思わず、彼を見る。
「なに」
私は、恐る恐る尋ねてみる。
さっきの言葉がもしかしたら、彼にとって辛辣に聞こえてしまったのかもしれない。
私のそんな予想とは裏腹に、
「あの……さ。俺、春咲高校受けるんだ。ゆ……冬山先輩が合格したところなんだけど。一緒に、よかったら受験しない……?」
彼は、ありがたいことを教えてくれた。
一度、口ごもったのは、彼が普段から呼んでいる「ユウ君」というあだ名を引っ込めたからだろう。
柚宇君、春咲高校に合格したんだ。
彼が志望校に合格したことに安心した。
本当によかった。
たぶん、桜川君は私が柚宇君のことが好きだということに気がついているのだろう。
それで、気を使って教えてくれている。
「……考えておくわ。あの学校、奨学金がすごいらしいからそれ目当てに入学するのはありかもしれないわね」
あまり、高校のことは分からないけど、少しだけ柚宇君が塾長と話していた一部を聞いたことがある。
それが、奨学金の話だった。
もちろん、本当に合格をしたい。
そして、柚宇君との日常が欲しい。
そばに居てくれる、ただそれだけで、私は十分だから。
「じゃあね」
私は、そう言って、今度こそ、柚宇君を探した。
彼は、すぐに見つかった。
けれど、私は彼に話しかけることが出来なかった。
柚宇君が女の人と写真を撮っている。
見ているだけで、胸が痛いし、すごく、苦しい。
快活な笑顔で笑うその人は、私なんかよりも明るい性格だとすぐに分かった。
「ありがとっ! 高校でも、よろしくね?」
「うん。こちらこそ」
その言葉を聞いて、胃が痛くなった。
彼女は、柚宇君と同じ高校に入学するのだ。
もし、その間に柚宇君がとられたら……。
そんなことを想像するだけで、更に胃がキリキリと痛む。
柚宇君はもう、私のものじゃないのに。
そもそも、誰のものでもなく、彼自身の人生なのに。
私は、束縛してしまっている。
柚宇君が例の女の人と会話が終わった頃には、胃の痛みは無くなっていた。
しかし、胸の痛みは消えない。
彼は、どうしてか、こちらに向かってきた。
どうして……そう思っている間に、私たちは目が合う。
「あっ……」
柚宇君から、そんな声が漏れる。
「卒業おめでとうございます。冬山先輩」
なにも言わないのは不自然なので、こちらから話しかけた。
冬山先輩。
自分が言った言葉に違和感しか覚えなかった。
本当は、柚宇君と付き合っていた頃のように呼びたいのに、もう呼べない。
私は、もう、彼女じゃないから。
もう、柚宇君のそばにいられないから。
「……ありがとう」
柚宇君は、少しの間を開けて、そう言う。
その間に、なにを言おうとしていたのか、私には分からない。
これは、最初で最後のわがまま。
もう、言おうと思った。
これには、答えを求めていない。
「先輩と同じ、春咲高校、入学します。もちろん、奨学金のためにですが」
奨学金のためだけに行く、そんな感じを装って、私は彼に告げる。
本当は、あなたと共にまた過ごしたい……。ただそれだけ。
もう、ここにはいられない。
「それでは、さようなら、先輩。また、会う日まで──」
私はそう言って、逃げるように、彼の横を通りすぎた。
すれ違い様に、
「──本当に大好きだった先輩」
ずっと言いたかった言葉を残して。
ずっと、大好きだった。
きっと、誰にも負けないくらいあなたのことが大好きだった。
過去形なんかじゃなくて、今も。
言いたいことは心のなかにずっとあるのに、言えない。
思ったことじゃなくて、違うことが口からでてしまう。
あれから、柚宇君と別れたあと、私は、体育館裏で泣いていた。
「ゆ……ぅ、くん……」
こんなところで泣いていても意味がないのに。
それでも、泣いてしまう。
「どうしたの」
誰かの声が聞こえて、私は顔をあげてしまう。
そこにいたのは、柚宇君と写真を撮っていた女の人だった。
心配そうに私を見ている。
「どうしたの?」
彼女は、私と同じ目線でニコリと微笑みかけてきた。
こんな素敵な笑顔の人なら、柚宇君の隣にいるのは納得だと思った。
「……好きな人が卒業しちゃって」
年上には基本的に私は敬語のはずなのに、なぜかタメ語で話してしまう。
「そっか。苦しいよね」
彼女は分かっていない。
苦しいだけじゃない。他にも伝えたいことがたくさんあるのに、私はそれを言えなかった。
「じゃあ、その人のことを追っかけちゃえ」
「え?」
私は言葉の意味が分からず、間抜けな声を出してしまった。
「その人はもう、卒業しちゃったんでしょ? だったら、もう一度同じ時間を過ごせるように追っかけたらいいんだよ」
あとね、彼女はそう言葉を繋げて、
「卒業が別れなんかじゃない。これ、私が好きな歌の歌詞なんだけど、本当にそうだと思うんだ。卒業したって別に話せなくなるわけじゃない。その人と話すきっかけを作ってしまえばいい。そう思っているよ」
だからね、彼女はまた言葉を繋げて、
「海帆ちゃん。諦めないで」
諦めない。
簡単なことだった。
私には、勇気がなかった。
卒業してしまえば、それで終わりだと思っていたから。
本当は、終わりなんかじゃないのに勝手に終わらせていた。
「……ありがとうございます」
「うんうん。ちょっとでも不安を取り除けたらよかったよ」
彼女は、快活に笑って、私の頭を撫でる。
「それじゃあ、私はこれで。受験を頑張れ。そして、春咲高校で共に過ごせることを祈っているよ」
彼女に全部知られていたことにビックリしたが、私はひとつ聞き忘れていたことがあった。
「あの……!」
「ん? どうしたの?」
彼女は走ろうとしていた足を止めてこちらを振り向く。
襟元まで切った髪が優しく揺れた。
「お名前教えてください……」
「なぁんだ。そんなことか。私の名前はね」
──秋枝楓花だよ、そう言って、笑いながら、去っていった。
秋枝先輩。
すごくかっこいい人だった。
いつの間にか涙は流れていないことに気がつく。
秋枝先輩に勇気付けられたからかもしれない。
「……絶対に合格しよう」
卒業が別れなんかじゃない。
秋枝先輩に大切なことを教えて貰った。
来年、それに感謝の気持ちを伝えるために。
そして、今度こそ、柚宇君と結ばれるために。
私は、新たな気持ちで決意の一歩を踏み出した。
これは、先輩たちの卒業から始まる希望の物語。
私たちの決意の物語。
中学卒業から、もう、二年が経った。
時間の経過は異常なほど早く、今はもう、高校生活二度目の春を告げるように満開の桜が咲き乱れている。
今、僕はある人物を駅前で待っている。
駅前にあるバス停のベンチに座って、スマホをいじり、後輩とのメッセージのやり取りを見ていた。
【SUBARU:明日、飯奢ってくださいよー!】
そんなメッセージに僕は、クスクスと微笑んでしまう。
腕時計を見て、そろそろ来る時間かなと思っていると、僕の名前が呼ばれた。
「ごめーん! 柚宇! 遅くなった!」
「おはよう。起こさなかったら危なかったんじゃない? 楓花」
全速力で走ってきたからか、彼女は、肩で息をしながら、僕の横に並んだ。
卒業式の頃と変わらない襟元まで切ったボーイッシュな髪はボサボサになっている。
「まだ電車でてない?」
楓花は、地下鉄への階段を一段飛ばしでジャンプしながら、聞いた。
「うん。余裕」
「そっか。ありがと。これも柚宇のおかげだね」
「去年もこんな感じだったね」
「あー、確かに。あの頃はまだ高校生活のリズムに体が慣れてなかったからねー」
彼女とは、高校生になってから仲良くなった。
楓花のことを秋枝さんと呼んでいた頃、彼女は度々遅刻をしていた。
指導の対象になり、このままの生活を続けていては、留年の危機が迫っているという時、僕に彼女は泣きついてきた。
僕は、かつて澄春にやっていたように楓花をメールや電話で起こし、時には家まで行って起こした。
それで、彼女と仲良くなり、親友として僕らはこうしているのだ。
「……ていや!」
僕は楓花との関係性の経緯を思い返していると、軽く頭にチョップをかまされた。
「なに?」
「なに考えてたの?」
澄春も言っていた考えている時の癖とかいうやつだろう。
僕は、考えすぎると黙る癖があるらしく、それを楓花は気が付いていたらしい。
「いや、楓花と友達になれてよかったなって思って」
別に嘘じゃない。
楓花と友達にならなければ、僕は人の輪に入ることをしていなかっただろう。
「へぇ、嬉しいこと言うじゃん。このこの!」
楓花は照れているのか、肘で僕の脇腹をつつく。
地味に痛いから止めてほしい。
「そういや、今日空いてる?」
電車の座席に座った時、彼女は僕にそう尋ねた。
「空いてるよ。マクドでしょ?」
「よく分かったね。後輩くんたち来るでしょ? 歓迎会ってことでどう?」
彼女が複数人で言っているということは、この学校に知り合いが入学するのは、澄春だけじゃないということだ。
元カノである波葵も入学する。
彼女とは卒業式の日もそうだが、気まずく別れたため、正直、会いずらい。
「いいと思うよ。ちなみに、楓花のおごりで」
「ひどっ! 柚宇も払ってよ!」
こんな軽口を叩けるほど、僕は会話力は向上した。
本当にありがたい。
僕は楓花に一生感謝するだろう。
僕らが、高校の正門を通り、そのまま並んで階段を登る頃には、新入生が続々と笑顔で廊下を並んでいた。
「なつかしー。私たちも去年はここ並んでたんだよねー」
「だね。ここからじゃ、澄春たちは流石に見えないか」
「まぁ、入学式終わってからにしようよ。しかし、桜川君もいい先輩持ってるなぁ。柚宇優しすぎでしょ」
「そう?」
僕がキョトンと首を傾げると、楓花は、自覚ないんだとケラケラと笑った。
教室まで行き、ドアを開けると、数名のクラスメイトがもうすでに居た。
読書をしている子や、スマホでゲームをしている子、友達と談笑している子などやっていることは様々だ。
「おっ! 冬山! 秋枝! おはよう!」
僕らに笑顔で挨拶をしてきたテンパの男子は、人懐っこい笑顔を見せてこちらに寄ってきた。
「おはよう、俊也。普段よりテンション高くない?」
天川俊也。
僕の友人だ。
彼は、持ち前の明るさとコミュニケーション能力でよく遊びに誘ってくれる。
「そりゃあ、後輩が出来るからな! やっと先輩たちにこき使われなくて済むし。まぁ、俺は後輩には優しくするけどな!」
俊也は、サッカー部に所属していて、僕をよく勧誘する。
丁寧にお断りしているが、運動をするのも、悪くないかもしれない、そう最近は思っている。
それから、僕は六人くらいのグループで固まって話す。
最近のスマホゲームの話や映画の話。
よく分からない話題もあるけれど、それでも楽しい。
僕が中学の頃、望んでいた中学校デビューとはまさしくこのことだった。
それが、高校になって出来たのだ。
「そういえばさ、さっき廊下ですれ違った新入生の子ですごく可愛い男子がいてさー。その子、後輩にしたいわー」
一人の女子の話に知りすぎている顔が浮かぶ。
なるほど、澄春か。
もしかしたら、学校のアイドルになりそう。
僕らの尽きない会話はチャイムによって一時中断となった。
新しい担任の先生が入ってきて、挨拶をする。
「えー、新しく担任となった、聖輝雪だ。誕生日は12月25日。担当科目は科学基礎。一年間、よろしくな。ちなみに、子供の頃から誕生日とクリスマスプレゼントをセットにされる。皆は別々にくれよ?」
先生の話で笑いが起こる。
確かに行事が誕生日だとセットにされやすい。
先生から入学式へのいくつかの説明を受けてからすぐに大講堂へと向かった。
そこには、すでに、沢山の保護者と一年生や三年生が集まっていて、僕ら二年生が長椅子に座れば、入学式が始まる。
すぐに椅子に座ったあと、入学式が始まった。
校長の長い話や、来賓の方々の話を終えたあと、新入生代表の挨拶として、波葵が演台に立つ。
卒業式のときも思ったけど、やっぱり、真面目で人情深いからこうして信頼されるんだなと感心した。
卒業式と変わらない波葵の優しくて人々を魅了させる声が大講堂に響き渡る。
『桜が舞う季節のなか、私たちは今日、春咲高等学校の門をくぐりました。真新しい制服に身を包み、期待と不安を胸いっぱいに抱え、こうして上級生の皆さんとお会いできたことを大変嬉しく思います』
いつ聞いても、耳に馴染む声。
この声に僕は無くなっていたはずのときめきがまた心に芽生える。
そして、波葵は、
『この三年間で大切な仲間たちと夢や目標を見つけ、それに向かって走っていきます。本日は、こんな素敵な式をあげていただき、誠にありがとうございました』
そう言うと、演台から降りていった。
そして、入学式は無事、終了した。
それから、僕らは解散となり、俊也なんかは、部員を集めようと一年生に話しかけている。
僕と楓花は、澄春と波葵を探す。
彼らはすぐに見つかった。
僕が呼ぶ前に、澄春がこちらに気がつき、手を振った。
「ユウ君! おはようございます! いやー、これから俺のアオハルが始まりますよー!」
澄春は、今まで見たなかで一番笑顔だった。
その横には、波葵が居て、二人で写真を撮っていたのかと気がつく。
「お久しぶりです。ゆ……冬山先輩、秋枝先輩……」
相変わらず、そっけなく話す波葵。
それにしても、
「あれ? 楓花と波葵って知り合い?」
「うんうん。中学校卒業する前から仲良くてさ。今は可愛い後輩ちゃんだよー! 入試の問題とか教えたし。ねー、海帆ちゃん!」
「です。秋枝先輩は、冬山先輩と違って教え方が上手でしたので難しい問題もすらすら解けました。あの時はありがとうございました。おかげさまで奨学金ゲットです」
「おおー! よかったぁ」
楓花は、その言葉にニッコリと微笑み、そしてスマホをこちらに向けて、
「皆で写真撮ろっか」
白い歯を見せて、そう言った。
『入学おめでとう』と書かれた看板と校門を背に、僕らは写真を撮る。
「……ぶふっ! 柚宇写真写り悪くない? 顔色悪く見える」
「それ、卒業式のときにも澄春に言われたよ」
「あー、そんなことありましたね! 懐かしい! あ、ユウ君、そういや朝のライン見ました?」
「見たよ。楓花が奢ってくれるって」
「まじすか‼ 秋枝先輩、あざっす!」
「柚宇も払ってよ!?」
楓花がプンプンと怒りながら、僕をガタガタと揺する。
たぶんこの調子だと波葵が来ないだろう。だから、僕は、
「波葵も……来る?」
僕は、初めて彼女を誘った。
きっと断られるに違いない。
友達が居るとはいえ、誰が元カレと食事に行きたいんだ。
それも、最悪な別れ方をした男と。
昔の僕なら、そう思っていた。
けど、今は違う。
確かに、最悪な別れをしたのは、間違いない。
けど、僕らはあの日、恋を知らなかった。
想像の恋愛だけを知っていた僕らは、実際の恋にちゃんと向き合うことをしなかった。
だから、あんな別れになった。
「……柚宇先輩が行くなら行きます。一人でいるより、皆でいる方が楽しいので」
波葵はそう言って、僕の隣に立つ。
まるで、付き合っていた頃のように。
そして、僕らは高校からでた。
「そういえば、柚宇。この前言っていたこと覚えている?」
それは澄春たちが卒業式のときに彼女は、僕にこんな言葉をかけてくれた。
──卒業が別れなんかじゃないよ。
確かにそうだと思う。
今こうして後輩である澄春と元カノである波葵と歩けているのが証拠だ。
だから、卒業が別れなんかじゃないことを僕ら、もう知っている。
新たな日常に向かって、僕らは今、歩き出した。
《完》