「お母さんっ」
フリーに呼ばれて、母が振り返る。
金に輝く母の長い髪が、ふわりと円を描くように揺れた。

「帯飾りの作り方教えて!!」
「突然どう……」
「今すぐっ」
フリーとリルの母、リリーは、娘に食い気味に言われて圧倒される。
「そうねぇ、ええと……」
リリーは、引き出しから細かく仕切りのされた箱を取り出すと、そこから一本、ガラス玉と紐で編まれた装飾品を手に取った。
「こんな感じのものでいいかしら?」
大きな玉が三つ、その上下にいくつか小さなガラス玉が並んだデザインは、シンプルで誰にでも馴染みそうだった。
「うんうんっ! これお母さんが作ったの?」
「ええ、そうよ」
リリーは、ほんの少し目を細めてそれを見ている。
その飾りは赤と茶色でシックにまとめられていた。
淡い金色の母には少し地味過ぎる気がして、一体いつ頃、誰のために作ったものかとフリーは一瞬気になったが
「じゃあ、まずは材料を買いに行きましょうか」
と言われて、そんな疑問は吹き飛んだ。
「やったぁ♪」
喜ぶフリーの背で、ぴょこっと、まだ伸びきらない翅が元気に立ち上がる。
あの日割れてしまった翅は、割れてしまったなりに、母が何とか形を整えて切ってくれた。
元通りの大きさになるまではもうしばらくかかるだろうけれど、フリーは、短い翅も身軽に動けて悪くは無いと思っていた。
「あ、このデザインなら男の子が付けても平気だよね?」
フリーがほんの少しだけ恥ずかしそうに尋ねる。
「ええ、問題ないと思うけど……どうして?」
リリーは、そんな娘が可愛らしくて、あえて尋ねてみる。

フリーはギクリと笑顔を引き攣らせて
「う、うまくできたら、リルにも作ってあげようかなー……とか……」
と答えた。
フリーの言葉に、奥の部屋からひょっこりリルが顔を出す。
「ボクを呼んだ?」

おそらく名前が聞こえて顔を出しただけのリルが、テンパっていたフリーにその頭を両手でがっしりと掴まれる。
「はわわわわわ……」
何かタイミングが悪かったらしいことを理解して、リルがじわりと青ざめる。
「呼んでないからね……?」
ミシミシと力が加わる手に怯えながら、リルは必死で頷いた。

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村の手芸品店は、村にある店の中では広い方で、二階までたくさんの商品が所狭しと並べられていた。

ずらりと並んだ色とりどりのガラス玉を前に、フリーが絶句する。
(お、思ったより、多いわね……)
「えーと、菰野はいつも緑系の服着てるから、同系色で選ぶとして……」
ぶつぶつと口の中で唱えるフリーに、リルはぼんやりと思う。
(フリー、菰野って人にプレゼントなのかな……)
ガラス玉はどれも美しく、静かに艶やかに輝いている。
リルは、久居の髪のような、濡羽色に輝く玉を一粒、手に取ってみた。
(ボクも久居に何か作ってみようかな……)

フリーはかなり長い事、似たような二色の玉を、こちらが良いかあちらが良いかと悩んでいたが、ようやく会計を終えて親子三人は店を出た。
「ほら、外に出たらフードを被りなさい」
母が、リルのツノを隠すように短いケープのフードを頭にかける。
「はーい」
「じゃあ私は仕事に行くから、二人は先に帰っていてね」
「帰ったら、作り方教えてねっ」
フリーの待ちきれない様子に、母は苦笑しながらも
「ええ、ちゃんと戸締りして、いい子にしてるのよ」
と言い残して、足早に村の中央へと向かった。
「「いってらっしゃーい」」
と見送る二人。
フリーは、母の姿が小さくなると、買ってもらったばかりのガラス玉が入った紙袋に視線を落とした。
(菰野、喜んでくれるかなぁ……)
栗色の彼が嬉しそうに微笑む姿を想像すると、思わずフリーの口元が弛む。
隣からリルの視線を感じて、フリーは慌てて姉らしく振る舞った。
「ほら、帰るわよっ」
「はーい」
リルは、姉が嬉しそうな顔を見せてくれるのが、とても嬉しかった。
いつもフリーは、リルのためにとやりたいことを我慢しているような気がしていたから。
今日だって、フリーだけなら学校に行けるはずなのに、こうやってボクに付き合って休んでいるのだと、リルには分かっていた。

「おい」
背にかけられた声に、リルはビクリと肩を揺らした。
「お前らそんなとこで何してるんだ」
振り返れば、青年というには幼いが少年というには可愛げが足りないような、フリー達より一つ二つ上の学年の男子が三人、こちらを見下ろしている。
この三人は、学校に行く度何かとフリー達にいちゃもんをつけてくる、フリー達にとって会いたくない三人だった。
「久しぶりじゃないか」
(嫌な奴らに会っちゃったわ……)
フリーが、サッとリルを背に隠すようにして前に出る。
「学校サボって仲良く買い物か?」
真ん中に立つ男子が、フリーに一歩近付く。残る二人は傍観する構えだ。
「あんたには関係ないでしょ」
フリーの言葉に、男子はあからさまにムッとする。
「何買ったんだよ、見せてみろ」
ぐいっと紙袋を掴まれて、フリーが抵抗する。
「ちょっと! やめてよ!!」
「少しぐらいいいだろ!」
「嫌だってば!!」
(菰野にあげる、大事なプレゼントなんだから!!)
フリーは、この袋を絶対に手放したく無かった。
けれど、男子も引っ込みがつかなくなったのか、それを取り上げるまで手を離す様子がない。
紙袋がミシミシと小さな音を立てる。
(ど、どうしよう……)
リルが、どうしたらいいのか分からずに、オロオロとそんな二人を見ている。
が、そんな時間は長くは続かなかった。

二人に力一杯引っ張られて、紙袋は無惨に裂ける。
その勢いで、ガラス玉は派手に宙を舞った。
男子はよろめいたが、彼に対抗するべく全体重をかけていたフリーは思い切り尻餅をつく。
その後を追うように、飛び散ったガラス玉が次々と着地しては、地にぶつかり砕け散ってゆく。

「ああ……」
次々に壊れてゆくそれを見るフリーの表情が悲痛に歪む。
「な、何だよ……。お前が手を離さないからだぞ」
引っ込みがつかない男子の言葉に、後ろの二人はやれやれと顔を見合わせた。
またこれで、この男子はフリーに嫌われただろう。と。
一方で妖精の男子は、地の上でまだ丸い形を保っていたガラス玉に、ままならない苛立ちをぶつけた。
「ケッこんなもん」
男子の靴の底で、生き残っていた粒が小さな音を立て砕ける。

リルは信じられなかった。
どうして彼はこんな事をするのか、理解できなかった。

「なんてことするの!? やめなさいよ!!」
フリーが慌てて体を起こし、男子を睨む。
その間に、男子は二つ目の粒を踏み割った。
「やめなさい? 人に物を頼む態度じゃねーな」
男子はフリーの視線に気を良くしたのか、口端を持ち上げた。
そんな二人のそばに転がる黒い粒。
それは、リルが先ほど選んだとっておきの一粒だった。

ガラスを二重にして焼いてあるらしいそれは、一見真っ黒い玉だったが、光に透けると中から赤い光が覗く。
まるで久居の瞳のようだと、リルは思った。
欲しがるには少し高かったそれをじっと見つめていたら、フリーが「それ、最後の一個じゃない? 買うなら入れたら?」と勧めてくれた。

男子の靴がその玉を狙うのが分かった。
何とかしなきゃと焦りはするも、リルには何もできなかった。
「ダメッ!!」
手を出したのは、フリーだった。
フリーの手を、男子の靴は踏み付けた。
「いっ……!」
ザリッという嫌な音と共に、手の甲に走る熱と痛み。
フリーは痛みに顔を顰めた。

「おわぁ!」
男子が慌てて飛び退く。
「き、急に飛びついてくんじゃねーよ!!」

フリーの手の甲には、数え切れないほどの切り傷が残っていた。
「痛……」
そこから、じわりと鮮血が湧き出る。
(うわー……。靴の裏にガラス片がついてたんだ……)
フリーが思ったよりも酷い傷に、眉を寄せつつ起き上がる。
男子はすっかり青ざめながら、二、三歩下がった。

「フリーっ!」
リルが慌てて駆け寄る。パサリとフードが後ろへ落ちた。
「ん……大丈夫……。リルの玉も無事だよ、ほら」
フリーが痛みを堪えるようにほんの少し息を詰めながらも、痛む手を少しずつ開いて手の中に握り締めた黒い玉をリルに見せた。

ピシッと小さな音がして、その玉に亀裂が走る。
落ちた時の衝撃か、踏まれた際の衝撃かはわからなかったが、フリーの手の中で、黒い玉は無惨に弾けた。
「あ」

リルにはやはり、理解できなかった。
なぜこの姉が、こんな風に、悲しい思いをしなくてはならないのか。

リルは思う……『許せない』と。


「ご、ごめんね、割れちゃっ……」
フリーが、リルに悲しみを見せぬよう、苦笑を浮かべて振り返る。
「……リル?」
しかし、弟はこちらを見ていなかった。

ゆらり。と弟のまわりの空気が揺れた。
リルは、無言で立ち上がると、男子へ向かい歩いた。
まるで陽炎のように、リルを包む空気がふわふわと揺れる。
それが炎だと気付く者は、この場に居なかった。

「な……何だよ……。何か文句あんのか?」
男子の声にも、リルは反応を示さない。
ただ、一歩ずつ、ゆっくり、男子へと近付くリルに、男子の背を悪寒が駆け上る。
「何とか言えよっ!!」
恐怖に駆られ、男子はリルの頭を押し返す。
じゅうっと何かが焼ける音は、その場の全員に聞こえた。

「……うーー」
男子は目を見開く。煙の上がる自分の手を引き寄せ、掌を見るまでが、まるでスローモーションのようにゆっくりに感じられた。
「うわああああああああああああ!!」
平和な村には似つかわしくない恐怖を孕んだ絶叫に、リルがハッと意識を取り戻す。
「手があああああ!!!」
後ろの男子が、その手を覗きこみ「融けてる……」と呟いた。
「い、医者呼んでくる!!」
もう一人の背の高い男子が、翅を翻して駆け出す。
フリーは、リルの肩を掴んだ。
「行くよリル! 人が来る前に!!」
「で、でもガラス玉拾わなきゃ……」
「いいから早く!!」
フリーは無事な方の手で弟の手を引いて、振り返らずに走り出す。
リルは、散らばったガラス玉に名残惜しそうな視線を投げつつも、姉に従った。

家まで一気に駆け戻ったフリーは、家の中にリルを入れると、戸の鍵を閉める。
手が融けていると、言っていた……。
それを思い返す度に、フリーは底知れない恐怖を感じる。
必死で息を整えようとしているフリーに、リルはおずおずと尋ねる。
「フリー……、何があったの?」
その言葉に、フリーは目を見開いた。
(え……!? リルは自分が何をしたのか……、分かってない……?)
不安そうに、姉の言葉を待つリルに、フリーは何と答えるべきかと思案しながら、手を顔に近付ける。
「あぁ〜、えーと……」
しかしいつもの癖で持ち上げた右手はズキンと痛み、傷口からはジャリッとガラス片の擦れる音がした。
「いった……」
「だ、大丈夫?」
ジャリッという音は、耳の良いリルにも聞こえたのだろう。
姉の痛みを思ってか、リルの薄茶色の瞳は潤んでいた。
手の中に残ったガラス片を取り出す作業を思うと、フリーも憂鬱になる。
「とりあえず、リルはピンセットと虫眼鏡持ってきてくれる?」
「うんっ」
タタタと二階に駆け上るリルの足音を聞きながら、フリーは水場へと向かう。
「まず洗った方がいいよね……。うわー……沁みそう……」
水汲みポンプのハンドルを何度か押し下げると、水が流れ始める。
(きっと今頃、お母さんのところに人が行ってるよね……)
フリーは、この村で、たった一人で自分達を守り続けている母のことを思う。
(あんまり……酷い事、言われてないといいんだけど……)
冷たい水は、やはり傷口に沁みて、痛かった。