翌日は空竜が空に溶け込むような、清々しい快晴だった。
この空模様なら、日中の出立でも人目につかないだろうと判断した久居は、疲れの溜まった皆が目覚めるまで、無理に起こすことなく休ませた。
その間に、この先に当ての無い三人のため、せめてもの朝食を用意する。
皆にひとときの安らぎを提供することには成功した久居だったが、この選択は完全に間違いだった。
ここでの正解は、一刻も早く発つ事だったと、後に知る事になる。
昼前に、ウィル達家族を予定していた島まで送り、お互いの幸運を祈って別れる。
カロッサの家に着く頃には、昼を少し回っていた。
「……燃えてる」
とリルが言った。
遠くからでも、森の奥で煙が上がっているのが、かすかに見える。
そこは、カロッサが居るはずの場所だった。
「どうして!? カロッサは!?」
「急ぎましょう、空竜さん!」
空竜が答える代わりにグンと速度を上げる。
二人と一匹が湖畔に降り立った時、建物は既に、ほとんどが焼け落ちていた。
「カロッサ!!」
飛び降りた勢いのまま、リルが走り出す。
「リル! まだ燃えているところがあります、炎を……」
久居の言葉が終わらないうちに、リルは炎を纏った。
「敵が近くにいるかも知れません。慎重に行動してください」
リルがピタと止まる。
リルを追っていた久居が、危うくリルの炎に触れそうになり軽くのけぞった。
「誰かいる。カロッサ……じゃない、誰か」
その言葉に久居が気配消しの準備をするが
「泣いてる……?」
と言われ、手を止める。
「この場にいるのは、その一人だけですか?」
「うん……カロッサの音は、聞こえない」
リルが俯いて答えた。
物陰からそっと伺うと、その先の瓦礫の中に、一人の男が膝をついていた。
背中にかかる金髪に、一瞬女性かとも思ったが、肩当てから伸びる腕は引き締まり、筋肉が付いている。
「俺が付いてたのに、こんな……っ!」
男が、力任せに地面を殴り付けた。
ドンッという音の奥に、広がりを感じたリルが言う。
「カロッサの家、地下室があったんだね。結構深そう」
「その地下にカロッサ様は……」
「いないと思う」
「……そうですか」
それでも、地下室があると知れた事は、何かの手がかりに繋がるかも知れない。
久居はそれを頭の隅に入れておく。
顔を見合わせたリルと久居は、もう一度、瓦礫の中で自責の念に囚われている男を見た。
俯く表情は、日を浴びて煌めく金髪に隠されている。
両側と後ろ髪は肩下まで伸ばされていて、今はそれが頬にかかっていた。
青い甲冑は、輝く金色で縁取られていて、肩当てと胸当てのみの軽装備だ。
その上から軽そうな白い布が緩やかにかかっているが、隙間からあちこち素肌が見えている。
腕には金属製の手甲のような物が巻かれ、脚にも脛当てを兼ねた金属製の靴を履いているので、一応戦闘に備えた装備ではありそうだが、日常使い用のようだ。
「腕とか脚とか……、脇からお腹も見えてるけど、恥ずかしくないのかな……」
リルの呟きに、久居は内心苦笑しつつも文化の違いを考えてみる。
「どこの国の方なのでしょうね」
もしかしたら、彼も人間ではないのかも知れない。この状況に悲しんでいるなら、カロッサの知り合いである可能性は高かったが、声をかけるべきかどうかは、まだ判断できなかった。
「フリーが言ってたよ、ああいうのってロシュツキョーって言うんでしょ?」
「……露出狂では、無いと思いますが……」
リルはどうにも相手の格好が気になっているようだ。
男の左耳には小さな金属の飾りが二つついていて、そのひとつから細い鎖で丸い輪に十字がはまったような飾りが下がっている。
俯いているため顔の横にかかっていた、その握り拳大くらいの飾りを、男が震える手で掴んだ。
「俺が守ると……心に誓ったのに……カロッサさん……」
ポタリと一粒。堪え切れなかった雫が、焼け焦げた地面に吸い込まれた。
どうやら、カロッサの敵ではなさそうだが、かと言って自分達の敵でないとは限らない。
そう思う久居が最善の手を思案している間に、リルが動いた。
リルは炎を纏っていたため、久居は肩を掴むことができない。
「誰だ!!」
リルがほんの数歩進んだところで、男が気付く。
男は金髪をなびかせ瞬時に立ち上がり、片手を前に出し障壁を張りつつ、もう片方の手でゴシゴシと乱暴に顔を擦る。
「君は……鬼だったのか」
耳もツノも隠れたままの、リルの炎に気付くのも早い。
(その言い方は、リルを知っているという事でしょうか……?)
男は、リルの姿に障壁をたたんだが、久居は内心警戒を強めた。
久居は、自分と同じくらいの歳に見えるその男を、強敵になり得ると判断し、いつでも障壁が張れるように心構える。
「お兄さん、カロッサのお友達?」
他意のないリルの一言に、男は何故か耳まで真っ赤になった。
「とっ……ともだち、では、ないが……」
「え、お友達じゃないの? どういう関係の人?」
「かっ、かんけいっ!? ……いっ、いや、関係は、ある。ぞ。一応、俺が警護を担当して、いた……」
男の声が震え、顔色が見る間に赤から青へと変わる。
「……っ、すまない……っ。俺の、力不足で……彼女を助けられなかった……っ」
絞り出すような声と共に、男は頭を下げた。
今のところ、敵ではないらしい。
警戒は残しつつも、久居が会話に加わる。
「私は久居、こちらはリルです。現在の状況についてお聞きしてもよろしいですか?」
「お……いや、私はレイザーランドフェルト=ハイネ・カイン=シュリンクス。時の魔術師殿と、その弟子カロッサさんの警護を天界より任じられています」
「レイ……ザー…………なんだっけ」
リルの脳が四文字で力尽きている。
久居は内心、リルが彼の台詞の後半部分に反応しないでいてくれた事にホッとする。
彼はまだ、ヨロリ様がもういない事を知らないようだ。天界というのも、初めて聞く単語だった。
「レイザーランドフェルト。あなた方は魔術師殿の使いで外に出ていたはずですが、空竜は一緒ではないのですか?」
なるほど、彼がどこからどうやって警護していたのかはわからないが、我々の事は把握されているらしい。
「空竜は、向こうの茂みに隠れてもらっています」
「ああ、こんな状態だからですね……」
「レイー……ラン……ノ?」
「いや、レイザーランドフェルト。現状、カロッサさんは行方不明です。何者かに拐われたのは分かっていますが、相手は鬼だということしかわからず、現在南西の方角に生命反応があります」
「レイラーダンド……えーと、なんだっけ」
「レイザーランドフェルトな……。えー、それで、魔術師殿は、探知する限りこちらに生命反応があるのですが、魔術師殿の姿は見当たらず、現在捜索中で……」
「レイラーダンドペルロ!」
「レイザーランドフェルト……いや、もう、好きに呼んでくれ……」
リルに調子を崩されつつも、一々返事をするあたり、律儀な男だと久居は思う。
「じゃあ、レイでいい?」
「いきなり短いな! ん? リルは名前それで全部なのか? そういう文化圏……」
「ボクはリール・アドゥールって名前だよ」
「「え?」」
男と久居の声が重なる。
「いや、なんで一緒に驚いてんだよ……って、いやいや、すまない。使者の方々に非礼を……」
思わず突っ込んでしまったらしく、慌てて謝ろうとする彼を止めて、久居が伝える。
「いえ、私達はほんの小間使いです。肩書きも立場もありません。どうぞ楽に話してください」
「そ、そっか? いやでも、俺には一応立場があるしな……」
喜んだり悩んだり、赤くなったり青くなったり、泣いたり焦ったり、忙しい男だ。
「久居に、ボクの名前教えたことなかったっけ?」
リルが不思議そうに首を傾げて、久居を見上げる。
「ええ……ですが、それは私が一度も聞かなかったからですね。気にしないで下さい」
リルに微笑んだ久居が、男の視線を感じて顔を上げる。
「私は苗字はありませんので、久居で全てです」
正しくは、苗字はあの日の海に捨ててしまった。菰野様の傍に仕えるには、不要だったからだ。
久居にそう言われて、男が少し考える仕草をする。
「そうなのか。じゃあ俺だけ長いのも呼びづらいだろうし、二人ともレイでいいよ」
と、まだわずかに涙の残る露草色の瞳を細めた。
この空模様なら、日中の出立でも人目につかないだろうと判断した久居は、疲れの溜まった皆が目覚めるまで、無理に起こすことなく休ませた。
その間に、この先に当ての無い三人のため、せめてもの朝食を用意する。
皆にひとときの安らぎを提供することには成功した久居だったが、この選択は完全に間違いだった。
ここでの正解は、一刻も早く発つ事だったと、後に知る事になる。
昼前に、ウィル達家族を予定していた島まで送り、お互いの幸運を祈って別れる。
カロッサの家に着く頃には、昼を少し回っていた。
「……燃えてる」
とリルが言った。
遠くからでも、森の奥で煙が上がっているのが、かすかに見える。
そこは、カロッサが居るはずの場所だった。
「どうして!? カロッサは!?」
「急ぎましょう、空竜さん!」
空竜が答える代わりにグンと速度を上げる。
二人と一匹が湖畔に降り立った時、建物は既に、ほとんどが焼け落ちていた。
「カロッサ!!」
飛び降りた勢いのまま、リルが走り出す。
「リル! まだ燃えているところがあります、炎を……」
久居の言葉が終わらないうちに、リルは炎を纏った。
「敵が近くにいるかも知れません。慎重に行動してください」
リルがピタと止まる。
リルを追っていた久居が、危うくリルの炎に触れそうになり軽くのけぞった。
「誰かいる。カロッサ……じゃない、誰か」
その言葉に久居が気配消しの準備をするが
「泣いてる……?」
と言われ、手を止める。
「この場にいるのは、その一人だけですか?」
「うん……カロッサの音は、聞こえない」
リルが俯いて答えた。
物陰からそっと伺うと、その先の瓦礫の中に、一人の男が膝をついていた。
背中にかかる金髪に、一瞬女性かとも思ったが、肩当てから伸びる腕は引き締まり、筋肉が付いている。
「俺が付いてたのに、こんな……っ!」
男が、力任せに地面を殴り付けた。
ドンッという音の奥に、広がりを感じたリルが言う。
「カロッサの家、地下室があったんだね。結構深そう」
「その地下にカロッサ様は……」
「いないと思う」
「……そうですか」
それでも、地下室があると知れた事は、何かの手がかりに繋がるかも知れない。
久居はそれを頭の隅に入れておく。
顔を見合わせたリルと久居は、もう一度、瓦礫の中で自責の念に囚われている男を見た。
俯く表情は、日を浴びて煌めく金髪に隠されている。
両側と後ろ髪は肩下まで伸ばされていて、今はそれが頬にかかっていた。
青い甲冑は、輝く金色で縁取られていて、肩当てと胸当てのみの軽装備だ。
その上から軽そうな白い布が緩やかにかかっているが、隙間からあちこち素肌が見えている。
腕には金属製の手甲のような物が巻かれ、脚にも脛当てを兼ねた金属製の靴を履いているので、一応戦闘に備えた装備ではありそうだが、日常使い用のようだ。
「腕とか脚とか……、脇からお腹も見えてるけど、恥ずかしくないのかな……」
リルの呟きに、久居は内心苦笑しつつも文化の違いを考えてみる。
「どこの国の方なのでしょうね」
もしかしたら、彼も人間ではないのかも知れない。この状況に悲しんでいるなら、カロッサの知り合いである可能性は高かったが、声をかけるべきかどうかは、まだ判断できなかった。
「フリーが言ってたよ、ああいうのってロシュツキョーって言うんでしょ?」
「……露出狂では、無いと思いますが……」
リルはどうにも相手の格好が気になっているようだ。
男の左耳には小さな金属の飾りが二つついていて、そのひとつから細い鎖で丸い輪に十字がはまったような飾りが下がっている。
俯いているため顔の横にかかっていた、その握り拳大くらいの飾りを、男が震える手で掴んだ。
「俺が守ると……心に誓ったのに……カロッサさん……」
ポタリと一粒。堪え切れなかった雫が、焼け焦げた地面に吸い込まれた。
どうやら、カロッサの敵ではなさそうだが、かと言って自分達の敵でないとは限らない。
そう思う久居が最善の手を思案している間に、リルが動いた。
リルは炎を纏っていたため、久居は肩を掴むことができない。
「誰だ!!」
リルがほんの数歩進んだところで、男が気付く。
男は金髪をなびかせ瞬時に立ち上がり、片手を前に出し障壁を張りつつ、もう片方の手でゴシゴシと乱暴に顔を擦る。
「君は……鬼だったのか」
耳もツノも隠れたままの、リルの炎に気付くのも早い。
(その言い方は、リルを知っているという事でしょうか……?)
男は、リルの姿に障壁をたたんだが、久居は内心警戒を強めた。
久居は、自分と同じくらいの歳に見えるその男を、強敵になり得ると判断し、いつでも障壁が張れるように心構える。
「お兄さん、カロッサのお友達?」
他意のないリルの一言に、男は何故か耳まで真っ赤になった。
「とっ……ともだち、では、ないが……」
「え、お友達じゃないの? どういう関係の人?」
「かっ、かんけいっ!? ……いっ、いや、関係は、ある。ぞ。一応、俺が警護を担当して、いた……」
男の声が震え、顔色が見る間に赤から青へと変わる。
「……っ、すまない……っ。俺の、力不足で……彼女を助けられなかった……っ」
絞り出すような声と共に、男は頭を下げた。
今のところ、敵ではないらしい。
警戒は残しつつも、久居が会話に加わる。
「私は久居、こちらはリルです。現在の状況についてお聞きしてもよろしいですか?」
「お……いや、私はレイザーランドフェルト=ハイネ・カイン=シュリンクス。時の魔術師殿と、その弟子カロッサさんの警護を天界より任じられています」
「レイ……ザー…………なんだっけ」
リルの脳が四文字で力尽きている。
久居は内心、リルが彼の台詞の後半部分に反応しないでいてくれた事にホッとする。
彼はまだ、ヨロリ様がもういない事を知らないようだ。天界というのも、初めて聞く単語だった。
「レイザーランドフェルト。あなた方は魔術師殿の使いで外に出ていたはずですが、空竜は一緒ではないのですか?」
なるほど、彼がどこからどうやって警護していたのかはわからないが、我々の事は把握されているらしい。
「空竜は、向こうの茂みに隠れてもらっています」
「ああ、こんな状態だからですね……」
「レイー……ラン……ノ?」
「いや、レイザーランドフェルト。現状、カロッサさんは行方不明です。何者かに拐われたのは分かっていますが、相手は鬼だということしかわからず、現在南西の方角に生命反応があります」
「レイラーダンド……えーと、なんだっけ」
「レイザーランドフェルトな……。えー、それで、魔術師殿は、探知する限りこちらに生命反応があるのですが、魔術師殿の姿は見当たらず、現在捜索中で……」
「レイラーダンドペルロ!」
「レイザーランドフェルト……いや、もう、好きに呼んでくれ……」
リルに調子を崩されつつも、一々返事をするあたり、律儀な男だと久居は思う。
「じゃあ、レイでいい?」
「いきなり短いな! ん? リルは名前それで全部なのか? そういう文化圏……」
「ボクはリール・アドゥールって名前だよ」
「「え?」」
男と久居の声が重なる。
「いや、なんで一緒に驚いてんだよ……って、いやいや、すまない。使者の方々に非礼を……」
思わず突っ込んでしまったらしく、慌てて謝ろうとする彼を止めて、久居が伝える。
「いえ、私達はほんの小間使いです。肩書きも立場もありません。どうぞ楽に話してください」
「そ、そっか? いやでも、俺には一応立場があるしな……」
喜んだり悩んだり、赤くなったり青くなったり、泣いたり焦ったり、忙しい男だ。
「久居に、ボクの名前教えたことなかったっけ?」
リルが不思議そうに首を傾げて、久居を見上げる。
「ええ……ですが、それは私が一度も聞かなかったからですね。気にしないで下さい」
リルに微笑んだ久居が、男の視線を感じて顔を上げる。
「私は苗字はありませんので、久居で全てです」
正しくは、苗字はあの日の海に捨ててしまった。菰野様の傍に仕えるには、不要だったからだ。
久居にそう言われて、男が少し考える仕草をする。
「そうなのか。じゃあ俺だけ長いのも呼びづらいだろうし、二人ともレイでいいよ」
と、まだわずかに涙の残る露草色の瞳を細めた。