「うぉっと」
長身の男が、身をよじって火球をかわす。
大男は、炎を纏った拳ではじき返したが、煙を上げて拳が半分ほど溶ける。

大男が苦しむ様を、足は止めないままに長身の男が嘲った。
「ばっかじゃねぇの、あれもうほぼ水色だろ? 当たりにいくとか……ぶふっ」
橙の三つ編みを揺らして本気で笑う仲間を、同じく走りながら大男が恨めしそうに睨む。
「ぐっ……俺は、お前ほど夜目は効かん」
「見えなくても分かんだろ、アレは」
「カエン様より上か……」

竜から、続いて横凪に三発の火球が放たれる。
それを、ヒョイと避ける長身。
「火力だけはな」
大男も今度は確実に避ける。
「そこらの鬼では無いということか」
「ま、そんな報告で、俺らがお咎めなしになんならいーんだけど、な!!」
長身の男が大きく飛び上がり、いつの間にか両手にじゃらりと持っていた針束を、空竜目掛けて十字に投げる。

空竜の本体から両翼まで広範囲に狙う針に、久居が即断する。
「リル、炎を全部刀に!!」
「うん!」
久居の握る刀がずっしりと重くなってゆく。
まだ炎の付与は続いていたが、久居は構わず大きく凪ぎ払う。
弧を描くように、刀から炎が空竜を守るように放たれた。
あちこちで焼けつくような音がして、針が溶け落ちる。
「全部溶けたね!」
喜ぶリルの声を背に、久居は大男が両拳に構えた火球を振りかぶるのを確認する。
「火球を二つお願いします!」
ド、ドンと二発続けて放たれた火球を、久居がリルの火球で正確に撃ち落とす。

そこから交互に来る鬼二人の攻撃を、確実に二度ずつ防いだところで、眼下が海に変わった。
久居の背筋をぞくりと寒気が這い上がる。
しかし、今は海に怯えている場合ではない。

空竜はどんどん高度を落としていたが、なんとか海岸を越え、海の上まで辿り着いてくれた。
「空竜さん、もう少しです! もう少しだけ頑張ってください!!」
久居の励ましに、リルも
「くーちゃん! もうちょっとだよ!!」
と、涙声で応援する。

空竜にはもう返事をする余裕はなかったが、代わりに必死で羽ばたいた。
その度に、鮮血が夜空に舞う。

「おい、他に何かないのかよ、このままじゃ逃げられるぜ」
苛立ちを隠さぬまま、長身の男が大男を振り返る。
「お前こそもっと違う事ができんのか、そんな細い針じゃ役に立たん」
「あ゛ぁ!? お前の火の玉よりよっぽど、ってか自分の技使われて、もっとイラッとしねぇのかよあいつ!」
言い返した長身の男が、はぁ。と一つ大きくため息を吐く。
「……しゃーねーな」
「そうだな」
長身の言葉に大男が頷くと、長身の男はヒョイと大男の肩に乗った。
その足を無事な方の手で掴んで、大男が全力で駆ける。
「頼んだぞ!」
「ま、やれるだけな」
ドン!! という音とともに、長身の男が、大男を発射台に夜空に飛び出した。

「来るよ!」
リルの声と同時に、両手に反った刃を構えた男が、腕を交差させた状態で突っ込んでくる。

今の空竜の速度では、振り切れない。
久居が放った二つの火球を、男は二本の刃でそれぞれ弾き飛ばし、両腕を振り上げる。

尻尾だ。

久居の迎撃で本体までは届かなかったが、男は尻尾を切り落とすつもりらしく、二本の刃を頭上に構え、渾身の力で斬りかかる。

久居の刀では届かない、刀を再構築している時間もない。海に飛び込む覚悟で一歩踏み出すと、刀を包んでいた炎がグンと伸びた。

これなら届く!!

踏み出した勢いのまま、ぐんと踏み込んで刀を横一閃する。

襲い来る炎を、男は双刃でガードする。
男の体のすぐ脇で、薄水色の炎と刃が押し合い激しい音と煙が上がる。
男も刃の炎をより明るく強靭にと力を注いでいるが、リルの炎に刃の半分ほどが蒸発して、
「ってられっかよ!!」
男が双刃を捨て、飛び離れる。
追跡を諦めたばかりの男に、久居の放った針が三本、深々と刺さった。

「ってめぇ!」

落下しつつも反撃の体勢を整えようとする男へ、久居がさらに腕を振る。
それは、先ほど男が放ったのと同じ、針を十字に投げる方法で、防ぎきれない数の針がいくつか男に突き刺さった。

「リル、火球を、炎の余りがなくなるまでください」
ザブンと水しぶきを上げて、男が背から海に落ちる。

「性格悪ぃな! クソが!!」
男が海から顔を出したときには、空竜はだいぶ離れていた。
「貴方ほどでは、ありませんよ」
久居が律儀に返事をしながら、大男のいた海岸から、長身の男が落ちた辺りまで、広範囲に火球をありったけ撃ち込み続ける。

追跡防止の目眩しにか、繰り返す水しぶきと水蒸気で海上が白く霞み、海の匂いが一層濃くなる。

「てめぇ! 覚えてろよ! ぜってぇ俺が斬り刻んでやるからな!!」
遠く微かに、鬼の叫び声が聞こえたが、久居は聞かなかったことにする。

鬼達は、もうそれ以上追っては来れなかった。

しばらく耳を澄ましていたリルが、
「もう大丈夫だよ」
と告げると、既に低空飛行で尻尾の先が何度も海水に浸かっていた空竜が、完全に腹から着水した。

水蒸気が上がって、リルが慌てて炎を引っ込める。
久居はすぐさま海に飛び込んで、怪我の治癒を始めた。
空竜は、怪我したところが海に浸からないよう、精一杯翼を上げるような仕草をしているが、うまくいかずにちゃぷちゃぷと飛沫を浴びては小さな悲鳴を上げている。
「よく頑張ったねぇ……くーちゃん、えらいねぇ……」
リルが半ベソで空竜を労っている。
「空竜さん、本当にありがとうございます」
久居も心からの礼を述べながら治癒にあたるが、もう怪我を全部治せるだけの力は残っていない。

「……っ、すみません……空竜さん、今は応急処置で、後ほど、もう一度治癒させてください」
久居が、自分の力不足を呪いながら絞り出した言葉に、空竜は「クォン」と鳴いて快く応えた。

ホッとした途端、久居の足がもつれた。

着衣のまま泳いでいたからか、疲労からか、体が思うように動かない。
『怖い』と思ったのは、海に対してか、死に対してか、それとも菰野を救えない事に対してなのか、分からないまま暗い海へ引き込まれる。

久居は、波間にとぷんと小さな音を一つ残して、海に消えた。