空の上、雲より高いところに、それは浮かんでいた。
大きな神殿を中心に荘厳な街並みが広がり、そこから先は転々と村が広がっている。
リル達が暮らしていた、菰野達の藩ほどの広さがある大陸は、空中に浮かんでいるだけでなく、ものすごい速さで移動していた。
まるで、太陽を追いかけるように。
そのため、その大陸に夜は来なかった。

大陸をぐるりと囲むように建てられた壁の外、大陸の端の崖っぷちに、一人座している青年の姿がある。
ものすごい速度で移動しているにも関わらず、大陸は何か不思議な力で包まれているのか、そこに暮らす人々が風に煽られることは無いようだった。
肩下まである長い金髪が、青年の顔まわりを緩やかに彩っている。
キリリとした顔立ちで地上を眺めている青年の瞳は、空と同じ澄み切った青色をしていた。
青年の後ろには長い尾羽が伸び、腰からは真っ白な翼が一対、柔らかそうに広がっている。

同様の翼を持つ緑髪の青年が、壁の内側から、壁よりも高く飛び上がる。
金髪青年の後姿に気付いて、緑髪の青年は声をかけた。
「レイザーラ」
名を呼ばれ、金髪の青年が勢いよく振り返る。
輝く金髪の合間で、耳飾りから細い鎖で繋がれた金色の輪のようなものが顔の横で揺れた。
「壁の外に出るなよ、結界範囲外だぞ」
言いながら、緑髪の青年はレイザーラと呼んだ青年の隣に降り立つ。
「なんだお前か、脅かすなよ」
金髪のレイザーラは、そんな青年に不服そうに言う。
レイザーラの嫌そうな顔を気にする風もなく、青年はその隣へ気安く座った。
「最近いつもここにいるよな。一人でつまんなくないか?」
「仕事だ」
半眼で短く答えるレイザーラに、青年は彼が覗いていたポイントを覗き込む。
「ああ、お前あの家見張ってるんだっけな」
緑髪の青年は、三白眼気味の小さめな瞳を悪戯っぽく瞬かせて言う。
「知ってるか? レイザーラが来る前はあれ、隊長自ら見張ってたんだぜ?」
得意げな友人に、レイザーラは「引き継ぎがあったよ」とあっさり返した。
「なぁ、あそこに何があるんだよ。他の奴らは知らないらしいし、隊長に聞いても教えてくれないし……」
レイザーラの監視ポイントを横から覗き込みつつ、友人は機密事項を堂々と尋ねてくる。
「俺も知らされなかった」
レイザーラはボソリと事実だけを答えた。
「じゃあ分からないまま……」
「自分で調べた。お前と一緒にするな」
眉間に皺を寄せ、ムッとした顔になった生真面目な友を見て、緑髪の青年は楽しそうに笑った。
「お。さすが幹部候補生。やー、姿勢が違うね、見習いたいね。ほんと、こんな息子なら将軍も鼻が高いなぁっ!」
明るく笑う青年に、レイザーラは若干圧されながらも断った。
「……おだてたって、教えないぞ」
「ええーーー?」
「機密事項だ」
「ケチー、堅物ー」
あまり悪意を感じない非難の声を背に受けつつ、レイザーラは監視先の家へと視線を移す。
あそこに居るのは時間を操る天才『時の魔術師』とその後継候補者だった。
(……後継候補者である妖精……カロッサさんは、俺と同じく拾われ子らしい)
恩に報いるべく努力する姿勢が、ここからでも十分に見てとれた。
レイザーラ自身も、ずっとそうやって生きてきた。

警護という名の監視を続ける中で、勝手に抱いた親近感は、いつの間にか青年の中でその姿を変えていった。

そうしていつしか、レイザーラは勤務時間外までも彼女を目で追っている自分に気付いた。

「お! 誰か出てきたぞ。可愛い子じゃないか」
隣で、いつの間にか監視ポイントを横から覗き込んでいたらしい青年の声がして、レイザーラはハッとする。
「あんな若い子が住んでたん……」
「っバカ、見んな!!」
嬉々として身を乗り出す友の肩を掴むと、レイザーラは思わず後ろへ引き倒した。
「うわ!?」
不意の出来事に、緑髪の青年は抵抗も出来ず転がる。
「何だよ急に! 俺だってちゃんと気配くらい断ってーー」
ガバッと起き上がり抗議し始めた青年が、レイザーラの顔を見て目を丸くした。
レイザーラは耳まで真っ赤にして、それを少しでも隠したいのか、口元を腕で覆っている。
「……っっ」
赤面に気付かれて、レイザーラがさらに眉を顰める。
「はっはーん」
緑髪の青年は、にやにやと笑い出した。
「な、なんだよ……」
「いやいや、よくわかった。なんでレイザーラが自由時間削ってまで警護に励んでるのか、よーーくわかったよ」
「なんなんだよっ」
「いやーぁ、いいねぇー。春だねー」
楽しくてたまらないという様子の青年に、レイザーラは堪らず叫ぶ。
「あああもうっ! お前も仕事しろっっ!!」

休憩時間は、もうとっくに終わっているはずだった。

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そんな天界の遥か下。
地上では、リル達があの大きな街を出て、街道を歩いていた。

少し動けば汗ばむほどの陽気の中、どこまでも広がる青空の下を、三人と一匹は歩いている。

クリスは、奪われていた腕輪を取り戻して、もうこの街にいる理由が無くなったのだろう。
早々に街を去ろうとする後ろを、リル達が追った。

「あのね、クリス。ボク達は、お使いを頼まれてここに来たんだ」
リルが、もう依頼は達成したと踏んだのか、クリスにそう話しかける。
「え? お使い?」
隣を歩くクリスが、不思議そうな顔でリルを見る。
「うん」
「いったい誰の……?」
「えっとね、カロッ……」
「リ、リル!! それはまだーー……っっ!!」
リルを止めようと叫びかけた久居が、激しい痛みに顔を歪めた。
ガンガンと痛む頭を押さえて、今にも屈み込みそうな様子の久居に、リルが声をかける。
「久居、頭痛いの?」
「ええ、少し……」
絞り出すような久居の言葉に、リルは思う。
(久居の『少し痛い』って、すごく痛いんだよね……)
「大丈夫です、ただの二日酔いですから……。それより……」
止めようとする久居に、心配顔だったリルがキリッとした表情で返す。
「お仕事終わったら、クリスに話すって約束したのっ」
「そ、それはカロッサ様に伺ってからの方が良いのでは……」
言いながらも、久居は思う。
(それに、おそらくまだ終わりでは無いでしょう……)
あのフードの少年鬼に言われた言葉が、鮮明に蘇る。
『四環はしばらく預けておく。すぐ取りに行くが、な……』

考え込むように黙ってしまった久居を見て、リルが歯痒そうに唸った。
「うー……」
リルは、返事を待つクリスを振り返ると、精一杯の誠意を持って伝える。
「じゃあ、カロッサに報告したら、また来るっ」
「でも、私もこのまま街を出るつもりだし、その時どこに居るか……」
困ったように答えるクリスを真っ直ぐ見つめて、リルは心を込めて言った。
「クリスがどこに居ても、ボクが見つけて会いに行くからねっ」
そんなリルの言葉に、クリスは小さく目を見張る。
「待っててねっ」
きっと、それはリルの本心なのだろう。
クリスには、どこにいるかもわからない相手を、この広い国で探すなんて途方もない事のように思えた。
けれど、リルの気持ちだけは、真っ直ぐクリスの心へ届いた。
「うん、わかった」
青空の下で、クリスが金色の髪と赤いリボンを風に揺らして微笑む。
「待ってるね」
白い猫も、少女の腕の中で同じように笑っていた。