夢の中、リルは必死で走っていた。
暗い夜の森で、耳を頼りにフリーを追う。
あの日の焦りが蘇る。
リルは、あの夜の出来事を思い出していた。
これは……、フリーが凍結した日だ。
と、夢の中の幼い自分を見つめる、もう一人の自分が居た。
その先で、烏帽子をかぶった男が、刀を振り上げている。
ここで、フリーが斬られそうになって……。
ヒュッと風を切り、刀は真っ直ぐに振り下ろされる。
そこへ飛び込んだのは、あの日の自分だった。
男の刀から、刃が失われる。
男は怯えた顔をしていた。
あの日の自分は、それに全く気付かない。
男は後退り、逃げようとしていた。
けれど、あの日の自分は、男へ炎を放った。
ダメだ!!
早く炎を引っ込めなきゃ!!
その人が融けてしまう!!!!
リルは強く念じる。
引っ込め!
引っ込め!!
ダメだ!! 引っ込め!!!
----------
「うーん……うーん……」
リルがうなされだした事に気付いたのは、リルの上で丸くなっていた白い塊だった。
ふんふんと鼻先をリルの顔へ近付け様子を見たそれは、ザラザラとした舌で『ザリッ』と音を立ててリルの頬を舐める。
「うわぁっ!?」
いまだかつて感じたことのない感触に、リルは飛び起きた。
(ーーあれ……? 今ボク、何か夢を……)
その夢は、何か、とても、大事なことで、忘れてはいけないような事だったはずなのに……。
リルは何も思い出せない自分に、どこか恐怖を感じた。
心臓はまだ早鐘を打っている。
冷や汗のようなものが、じわりとリルの全身を濡らしてゆく。
ふと目の前を見ると、白猫がころんと転がっていた。
猫は、慌てて立ち上がると、フーーッと威嚇を始める。
『こっ、このくそガキが!! うなされてるとこわざわざ起こしてやったってのに、なんつー態度だ!!』
どうやら、リルが跳ね起きた拍子に、上に乗っていた牛乳が転がったようだ。
「…………ぎ……」
白猫の元気そうな姿に、リルの瞳に涙が浮かぶ。
『フン、泣いて謝るんならまあ許してやらんこともな……』
「牛乳っ!!」
リルは、喜びに任せて白猫を抱き締めた。
両腕に絞られた猫が、ギニャァァと悲鳴をあげる。
「よかった!! 生きてたんだね!?」
『やめろぉぉぉ!! 死ぬぅぅぅ!!』
リルは嬉しそうに、白猫の背に顔を埋めている。
白猫は、ジタバタと派手にもがいた後、ぐったりした。
「リル!? 目が覚めたの?」
二人の声に、クリスが駆け寄る。
その足音に、リルはびくりと肩を揺らした。
悲しげに伏せた薄茶色の瞳を、じわりと持ち上げながらおそるおそる振り返るリルに、クリスは罪悪感を感じつつ笑顔を見せた。
若干引き攣った笑顔ではあったが、クリスに笑顔を見せられて、リルがキョトンとした顔になる。
(え、えーと……。まず謝って……。ううん、お礼が先かしら。な、なんて切り出そう……)
クリスが引き攣った笑顔を張り付けたまま、悩み出す。
無言で見つめ合う二人。
先に口を開いたのは、リルだった。
「クリスは……」
途切れた言葉に、クリスはリルの瞳を見る。
柔らかな薄茶色をした瞳は、不安げに揺れていた。
「ボクのこと、怖くないの……?」
拒絶される事を恐れながらも、僅かな期待を宿して見つめられ、クリスは言葉に詰まる。
「そ、それはえっと……」
少女は胸いっぱいに息を吸い、全部吐いて、それから話し出した。
「全然怖くないって言ったら、嘘になっちゃうけど……」
クリスは今度こそ、リルに向かってまっすぐ微笑む。
「もう、怖がらないって決めたの!」
胸を張って言い切るクリスの、金色の髪とリボンが揺れる。
陽の光を浴びてきらきら輝くその姿に、リルと牛乳は目を奪われた。
クリスは、そんなリルの腕から、ヒョイと牛乳を抱き上げた。
「ほら、牛乳の手には鋭い爪が生えてるでしょ?」
クリスが牛乳の前足を手に取ると、指で押し広げて見せる。
普段隠されている鋭い爪が、二人の前にあらわになった。
「うん……?」
リルは、突然何だろうという顔をしながらも頷く。
「やろうと思えばこの爪は、私の手だって簡単に切り裂けるけど」
「そんなことっ」
リルが慌てて反論するのを、クリスは笑って受け止める。
「うん、牛乳はしないよね」
『当然だ』と腕の中で牛乳も笑ったような顔をした。
「リルの炎も、同じだと思うの」
クリスは、牛乳を下におろしてやりながら、続ける。
「リルの炎は、私のこと傷つけたりしないって思えるから」
顔を上げて、クリスが微笑む。
「だから大丈夫。もう怖くないよ」
リルは、クリスを驚いたような顔で見ていた。
「あ、あのね、リル。それで、えっと」
クリスの頬が、じわりと熱くなってくる。
お礼を伝えるだけなのに、なぜかとても恥ずかしく感じて、クリスは思わず俯く。
「今回は、その、助けてくれて……」
「ありがとうっっ!」
元気に礼を言ったのは、リルの方だった。
「な、何でリルがお礼言うのよ……」
(私が言おうと思ってるのに……)
困った顔のクリスの前で、リルはじわりと目尻に涙を浮かべた。
「えへへ……」
リルは、嬉し涙を指先で掬いながら、幸せを噛み締めるように笑った。
「クリスの言葉が、すごく嬉しかったから……」
リルの可憐で儚げな笑顔に、クリスはさらに赤面した。
「わ、私も、ほら、その、あの、えっと!」
どうしてこんなに赤くなるのか、自分でもわからないまま、半ばやけくそにクリスが叫ぶ。
「たっ、助けてくれて、ありがーー」
「あれ? そういえば久居は……」
クリスの言葉を遮って、リルは久居の姿を探す。
キョロキョロとあたりを見回したリルは、木の幹にもたれたまま動かない久居を見つけた。
「久居!?」
まさか……。とリルの頭に嫌な予感が過ぎる。
「久居! どうし……」
「待ってリル!」
慌てて駆け寄ろうとするリルを、クリスが止める。
「寝かせといてあげて!」
「え?」
リルが振り返った。
「久居さん、牛乳のために……」
クリスの言葉に、リルは牛乳を見る。
「そっか……牛乳酷い怪我だったもんね……」
今はすっかり元気そうにしている牛乳だったが、一時はひどい有様だった。あの状態からここまでに戻すには、相当数の作業を、一つ一つ正確にこなしたのだろう。
「久居、頑張り過ぎちゃったんだね……」
そっと顔を覗くと、久居は青ざめて疲れ切った顔をしていた。
(いっつも、ボクの分まで頑張ってるから……)
リルは思う。
倒れそうな時、久居はいつもみたいにすぐ駆けつけてくれた。
ボクのこと、全然怖がってなかった。
お父さんの炎を見慣れてたからかな?
それとも、久居は分かってたのかな……。
ボクの、力を……。
リルは、自分の足元を削り、リルの力を逸らしてくれた久居の行動を思い返す。
(力……)
リルは自分の手の平を見つめた。
(ボク、あの時、力が使えたんだよね……?)
ぎゅっと両手を握って思う。
(これからは、ボクも少しは久居の役に立てるかな……)
「リ、リル……?」
物思いにふけるリルに、クリスが声をかける。
今度こそ、ちゃんと謝ってお礼を言いたい。と少女は思っているのだが、当のリルは全く聞いていそうにない。
(まあでも、最初は耳を隠す練習からって言われちゃうんだろうけど……)
リルは、苦笑を浮かべながら、自分の耳を布の上から押さえた。
……つもりだった。
けれど、その手は何にも阻まれる事なく、側頭部に触れた。
(あれ?)
リルはもう片方の手で、反対側の耳にも触れてみる。
しかしこちらも、耳に触れる事なく側頭部に触れる。
(あれ??)
「リル? どうかし……」
(無い!?)
リルは、顔を真っ青にして、叫んだ。
「ボクの耳いいいいぃぃいいぃぃぃ!!」
リルの絶叫に、心配して声をかけたクリスの言葉は、かき消えた。
眠っていたはずの久居が瞬時に起き上がる。
「リル! どうしました!?」
「うわぁぁぁぁんっ久居ぃぃぃ!」
リルが、泣きながら久居の胸に飛び込む。
(あーあ、起こしちゃった……)
と、クリスはリルを宥める久居を見る。
(久居さんにもお礼言いたいんだけど……)
「耳がぁぁ、ボクの耳がぁぁぁっ!」
「まずは落ち着いてください!」
何だかよくわからないけれど、リルは耳が無いと大泣きしている。
そんな事あるわけがないと、クリスは思う。
多分、布の上から触ったからじゃないだろうか。
クリスは、まだしばらくお礼を聞いてもらえそうにない二人の様子に、がっくりと肩を落とし、大きくため息を吐いた。
暗い夜の森で、耳を頼りにフリーを追う。
あの日の焦りが蘇る。
リルは、あの夜の出来事を思い出していた。
これは……、フリーが凍結した日だ。
と、夢の中の幼い自分を見つめる、もう一人の自分が居た。
その先で、烏帽子をかぶった男が、刀を振り上げている。
ここで、フリーが斬られそうになって……。
ヒュッと風を切り、刀は真っ直ぐに振り下ろされる。
そこへ飛び込んだのは、あの日の自分だった。
男の刀から、刃が失われる。
男は怯えた顔をしていた。
あの日の自分は、それに全く気付かない。
男は後退り、逃げようとしていた。
けれど、あの日の自分は、男へ炎を放った。
ダメだ!!
早く炎を引っ込めなきゃ!!
その人が融けてしまう!!!!
リルは強く念じる。
引っ込め!
引っ込め!!
ダメだ!! 引っ込め!!!
----------
「うーん……うーん……」
リルがうなされだした事に気付いたのは、リルの上で丸くなっていた白い塊だった。
ふんふんと鼻先をリルの顔へ近付け様子を見たそれは、ザラザラとした舌で『ザリッ』と音を立ててリルの頬を舐める。
「うわぁっ!?」
いまだかつて感じたことのない感触に、リルは飛び起きた。
(ーーあれ……? 今ボク、何か夢を……)
その夢は、何か、とても、大事なことで、忘れてはいけないような事だったはずなのに……。
リルは何も思い出せない自分に、どこか恐怖を感じた。
心臓はまだ早鐘を打っている。
冷や汗のようなものが、じわりとリルの全身を濡らしてゆく。
ふと目の前を見ると、白猫がころんと転がっていた。
猫は、慌てて立ち上がると、フーーッと威嚇を始める。
『こっ、このくそガキが!! うなされてるとこわざわざ起こしてやったってのに、なんつー態度だ!!』
どうやら、リルが跳ね起きた拍子に、上に乗っていた牛乳が転がったようだ。
「…………ぎ……」
白猫の元気そうな姿に、リルの瞳に涙が浮かぶ。
『フン、泣いて謝るんならまあ許してやらんこともな……』
「牛乳っ!!」
リルは、喜びに任せて白猫を抱き締めた。
両腕に絞られた猫が、ギニャァァと悲鳴をあげる。
「よかった!! 生きてたんだね!?」
『やめろぉぉぉ!! 死ぬぅぅぅ!!』
リルは嬉しそうに、白猫の背に顔を埋めている。
白猫は、ジタバタと派手にもがいた後、ぐったりした。
「リル!? 目が覚めたの?」
二人の声に、クリスが駆け寄る。
その足音に、リルはびくりと肩を揺らした。
悲しげに伏せた薄茶色の瞳を、じわりと持ち上げながらおそるおそる振り返るリルに、クリスは罪悪感を感じつつ笑顔を見せた。
若干引き攣った笑顔ではあったが、クリスに笑顔を見せられて、リルがキョトンとした顔になる。
(え、えーと……。まず謝って……。ううん、お礼が先かしら。な、なんて切り出そう……)
クリスが引き攣った笑顔を張り付けたまま、悩み出す。
無言で見つめ合う二人。
先に口を開いたのは、リルだった。
「クリスは……」
途切れた言葉に、クリスはリルの瞳を見る。
柔らかな薄茶色をした瞳は、不安げに揺れていた。
「ボクのこと、怖くないの……?」
拒絶される事を恐れながらも、僅かな期待を宿して見つめられ、クリスは言葉に詰まる。
「そ、それはえっと……」
少女は胸いっぱいに息を吸い、全部吐いて、それから話し出した。
「全然怖くないって言ったら、嘘になっちゃうけど……」
クリスは今度こそ、リルに向かってまっすぐ微笑む。
「もう、怖がらないって決めたの!」
胸を張って言い切るクリスの、金色の髪とリボンが揺れる。
陽の光を浴びてきらきら輝くその姿に、リルと牛乳は目を奪われた。
クリスは、そんなリルの腕から、ヒョイと牛乳を抱き上げた。
「ほら、牛乳の手には鋭い爪が生えてるでしょ?」
クリスが牛乳の前足を手に取ると、指で押し広げて見せる。
普段隠されている鋭い爪が、二人の前にあらわになった。
「うん……?」
リルは、突然何だろうという顔をしながらも頷く。
「やろうと思えばこの爪は、私の手だって簡単に切り裂けるけど」
「そんなことっ」
リルが慌てて反論するのを、クリスは笑って受け止める。
「うん、牛乳はしないよね」
『当然だ』と腕の中で牛乳も笑ったような顔をした。
「リルの炎も、同じだと思うの」
クリスは、牛乳を下におろしてやりながら、続ける。
「リルの炎は、私のこと傷つけたりしないって思えるから」
顔を上げて、クリスが微笑む。
「だから大丈夫。もう怖くないよ」
リルは、クリスを驚いたような顔で見ていた。
「あ、あのね、リル。それで、えっと」
クリスの頬が、じわりと熱くなってくる。
お礼を伝えるだけなのに、なぜかとても恥ずかしく感じて、クリスは思わず俯く。
「今回は、その、助けてくれて……」
「ありがとうっっ!」
元気に礼を言ったのは、リルの方だった。
「な、何でリルがお礼言うのよ……」
(私が言おうと思ってるのに……)
困った顔のクリスの前で、リルはじわりと目尻に涙を浮かべた。
「えへへ……」
リルは、嬉し涙を指先で掬いながら、幸せを噛み締めるように笑った。
「クリスの言葉が、すごく嬉しかったから……」
リルの可憐で儚げな笑顔に、クリスはさらに赤面した。
「わ、私も、ほら、その、あの、えっと!」
どうしてこんなに赤くなるのか、自分でもわからないまま、半ばやけくそにクリスが叫ぶ。
「たっ、助けてくれて、ありがーー」
「あれ? そういえば久居は……」
クリスの言葉を遮って、リルは久居の姿を探す。
キョロキョロとあたりを見回したリルは、木の幹にもたれたまま動かない久居を見つけた。
「久居!?」
まさか……。とリルの頭に嫌な予感が過ぎる。
「久居! どうし……」
「待ってリル!」
慌てて駆け寄ろうとするリルを、クリスが止める。
「寝かせといてあげて!」
「え?」
リルが振り返った。
「久居さん、牛乳のために……」
クリスの言葉に、リルは牛乳を見る。
「そっか……牛乳酷い怪我だったもんね……」
今はすっかり元気そうにしている牛乳だったが、一時はひどい有様だった。あの状態からここまでに戻すには、相当数の作業を、一つ一つ正確にこなしたのだろう。
「久居、頑張り過ぎちゃったんだね……」
そっと顔を覗くと、久居は青ざめて疲れ切った顔をしていた。
(いっつも、ボクの分まで頑張ってるから……)
リルは思う。
倒れそうな時、久居はいつもみたいにすぐ駆けつけてくれた。
ボクのこと、全然怖がってなかった。
お父さんの炎を見慣れてたからかな?
それとも、久居は分かってたのかな……。
ボクの、力を……。
リルは、自分の足元を削り、リルの力を逸らしてくれた久居の行動を思い返す。
(力……)
リルは自分の手の平を見つめた。
(ボク、あの時、力が使えたんだよね……?)
ぎゅっと両手を握って思う。
(これからは、ボクも少しは久居の役に立てるかな……)
「リ、リル……?」
物思いにふけるリルに、クリスが声をかける。
今度こそ、ちゃんと謝ってお礼を言いたい。と少女は思っているのだが、当のリルは全く聞いていそうにない。
(まあでも、最初は耳を隠す練習からって言われちゃうんだろうけど……)
リルは、苦笑を浮かべながら、自分の耳を布の上から押さえた。
……つもりだった。
けれど、その手は何にも阻まれる事なく、側頭部に触れた。
(あれ?)
リルはもう片方の手で、反対側の耳にも触れてみる。
しかしこちらも、耳に触れる事なく側頭部に触れる。
(あれ??)
「リル? どうかし……」
(無い!?)
リルは、顔を真っ青にして、叫んだ。
「ボクの耳いいいいぃぃいいぃぃぃ!!」
リルの絶叫に、心配して声をかけたクリスの言葉は、かき消えた。
眠っていたはずの久居が瞬時に起き上がる。
「リル! どうしました!?」
「うわぁぁぁぁんっ久居ぃぃぃ!」
リルが、泣きながら久居の胸に飛び込む。
(あーあ、起こしちゃった……)
と、クリスはリルを宥める久居を見る。
(久居さんにもお礼言いたいんだけど……)
「耳がぁぁ、ボクの耳がぁぁぁっ!」
「まずは落ち着いてください!」
何だかよくわからないけれど、リルは耳が無いと大泣きしている。
そんな事あるわけがないと、クリスは思う。
多分、布の上から触ったからじゃないだろうか。
クリスは、まだしばらくお礼を聞いてもらえそうにない二人の様子に、がっくりと肩を落とし、大きくため息を吐いた。