街の中を、少女は赤いスカートに白の前掛けをひるがえしながら、木靴で駆けていた。
その足元には真っ白な猫が、相棒のように付き従う。
淡い金色の髪は片側の高い位置で括られていて、赤いリボンと一緒に彼女が走る後をなびいた。
一人と一匹からひと区画ほど離れたあたりを、揃いの深緑色のコートと帽子を身につけた男達が追っていた。

「あ、あの子だねー」
リル達は広い街の隅に達つ背の高い建物の屋根から、それを眺めていた。
久居には人々は砂粒ほどの大きさにしか見えないが、視力に優れたリルにはそれぞれの表情までよく見えているらしい。
「見つかりましたか」
久居は、そんなリルがうっかり落ちないよう、背中をしっかり掴んでいる。
「えっと、絵と同じような腕輪をつけててー」
少女の左手首には、あの絵と模様こそ違うが、確かに同じ形の腕輪がついている。
「白い猫と一緒でー」
白猫は、透き通るような青い瞳で、まるで少女を守るように、その小さな背に少女を庇うようにしていた。
「悪い人に追われてるんだよね」
細い路地裏で息を潜め、男達が通り過ぎるのを待っていた少女は、最後の一人に気付かれてしまい、また走り出す。
「うん、間違いないっ」
リルが、やったとばかりにぐっと手を握りしめる。
「……追われて……いるのですか?」
久居は、その言葉に引っかかりを感じた。
「うん」
「今現在?」
「うん!」
元気に頷くリルが首を持ちあげる前に、久居が動き出す。
「助けに行きますよ!」
ひらりと身軽に屋根から舞い降りる久居を、リルが慌てて追う。
「待ってー、ボクもーっ」
久居は、リルの指していた辺りを目指し、街へと駆け出した。

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狭い路地を駆ける少女の行手に、コートの男が二人、姿を見せる。
振り返れば、後ろからも三人、四人とコートの男達が集まり、合わせて八人となった男達は、じりじりと少女を包囲していった。

トン、と肩が壁に触れ、少女はこれ以上後がないことを知る。
包囲網から一歩踏み込んできた男へ、白猫が全身の毛を逆立てて威嚇する。

少女は、左手首につけた腕輪を、右手でしっかりと握りしめていた。
この路地の狭さでは、こちらも痛い目には遭うかも知れない。
それでも、少女はそれを使おうとしていた。

少女の脳裏に母の最後の言葉が蘇る。
立ち上がれなくなった母は、血に濡れながらも、震える指で少女を撫でて言った。
『クリス……。この腕輪は決して、邪な人に渡さないで……』
母は、涙をこぼしながらも、微笑んで私に託した。
『クリスなら……きっと出来るわ』

母のためにも、死んでいった皆のためにも、少女はそれを守り抜かなければならなかった。
(絶対守ってみせる!)
怪我を覚悟で、少女は腕輪を握る手に力を込める。
(私にはもう、これしか残ってないもの!!)

「そこまでです!」

薄暗い路地裏に、凛と響いた青年の声。
コートの男達は一斉にそちらを振り返った。

そこには、ここらでは見ない服を着た、黒髪の青年が立っていた。
冬でもないのに長い首巻きを巻いたその青年は、黒い瞳で真っ直ぐ男達を見据えている。
「大勢で、一人の少女を取り囲むなんて感心しませんね」
久居は落ち着いた様子でそう告げる。
リルからは人数を聞かずに来てしまったが、これだけの人数ならどうとでもなるだろう。
相手が人ならば。と内心で付け足す久居に、コートの男達のうちの一人が叫んだ。
「何だお前は!」
「あなた方に名乗る名はありません」
久居は、リルが追いついたことを確認すると、会話を続けることを放棄する。
「や、やっと追いついた……」と、リルは息を整えつつ、路地の入り口からぴょこっと顔を出した。
「リルは女の子をお願いします」
久居が口の中で囁く程度の声で告げる。
「うんっ」
リルの耳はそれを聞き漏らしたりはしない。

「邪魔するなら容赦しねぇぞ」
男の一人が、コートの下のタイをゆるめる。
「ええ、どうぞご遠慮なく」
久居がさらりと答える。
「かかれっ!!」
男の号令と共に、八人の男達は一斉に久居へ向かった。

久居は、最初に飛びかかって来た男を躱し、背に鋭く肘を入れると、そのままの勢いで次の男を蹴り飛ばし、足がつくと同時に次の男の顎を下から上へ殴り上げた。

(何……この人……)
突然の乱入に、少女も目を丸くして久居を見ている。
久居に視線が集まる中を、こっそりこっそりリルが通り抜ける。
が、一人だけ、それに気付いた男がいた。
「大丈夫?」
声をかけられて、少女は初めてリルを見た。
歳の頃十歳かそこらに見える子が、少女へ人懐こそうな笑顔を見せている。
「怪我はない?」
「あ、う、うん。大丈……」
思わず答えかけた少女が、少年の青い帽子のその後ろでコートの男が腕を振り上げた事に気付く。
危ない、と叫ぼうと息を吸った時には、その男は横から蹴りを食らって吹き飛んだ。
「そっか、よかった」
少年は、少女から視線を外すことなくニコッと笑った。
リルの後ろには、いつの間にか久居が立っている。
「ええと……あなた達は?」
少女の質問に、久居が内心ギクリとする。
「ボクはリルだよー。こっちは久居ー」
リルはそんな久居の心を知ってか知らずか、平然と答えた。
「ど、どうして、助けてくれたの……?」
警戒を滲ませて少女が問う。
少女は手首の腕輪から、片時も手を離そうとしない。
「君が悪者に襲われてたからだよー」
リルの言葉に、久居が内心慌てる。
「悪者って……なんで……」
少女の警戒が色濃くなる。
ジリっと半歩後退る少女に、リルは変わらぬ調子で返した。
「あれ? 君の方が悪者だった?」
思うもよらない言葉に、少女は驚きを浮かべつつも答える。
「ううん……」
「じゃあやっぱり、向こうが悪者だよね」
「う、うん……」
「君みたいに可愛い子が、悪者のはずないもんね」
リルは、ふわりと微笑む。
陽を浴びて柔らかく輝く薄茶色の髪が、優しい色で笑顔を彩った。

突然の言葉と真っ直ぐな笑みに、どこか圧倒されて、少女が顔を赤くする。
『可愛い』だなんて、そんな事、言われたのはいつぶりなのか。
少女にはとても思い出せそうになかった。