リルは、久居を振り返る様子もなく、背を向けたままじっと立っていた。
「リル、これはーー……」
全く反応のない少年を不審に思いながらも、久居はその肩へそっと手を伸ばす。
「リル……?」
チリッと僅かな音を立てて、久居の伸ばした指は、リルに触れる前に溶けた。
異変に気付いた久居が、慌てて手を引く。
(指先が溶けた!?)
久居の右手の指先は焼け爛れた様に色が変わり、そこから嫌な臭いの煙がのぼっている。
ハッと、リルの向いている方に、同じように煙をあげているものがあることに久居は気付いた。
(それはまさか……)
二つ並んだそれは、人の足のようだった。
けれどそれは、足首から膝までの半分ほどのところから、下だけしか残っていない。
(葛原様の……足……?)
リルの方へ向いたまま立っているその足は、逃げることすらできなかった様を表しているようで、久居に底知れぬ恐怖を抱かせた。
(これを……リルが……?)
ぞくりと全身が粟立つ。
葛原の足の近くには、あの四角い封印石が落ちていた。
(石だけ残ったのですね……)
紐はおそらく焼けてしまったのだろう。
久居はそれを手に取ろうとしたが、炎に焼かれた石は予想以上にまだ熱を持っていて、首巻きで包んで拾いあげる。
リルの正面に回ると、その少年が現実を見ていないことがよく分かった。
(とにかく、リルを正気に戻さなくては……)
久居は、あの膜の事も葛原の事も、この少年に尋ねなくてはならなかった。
目を凝らせば、リルの周囲には青白い炎のようなものが薄っすらと全身を包み込んでいる。
原理は分からないものの、それに触れると溶けるようだと理解して、久居は手を出さずに声だけをかける。
「リル! 私が分かりますか?」
「ーー……」
応えるように、リルが小さく何かを呟いた。
「リル!? しっかりしてください!!」
リルの耳が小さく跳ねる。
「ーー……久居……」
反応があったことに、久居がほっと息を吐く。
「…………久居……が……」
しかし、ぼんやりと開かれたままの薄茶色の瞳は光を取り戻す事なく、かわりにぽろりと大粒の涙が零れた。
「久居が……死んじゃった……」
その言葉は久居に衝撃を与える。
(私が死んだものと思い込んで……、リルはこんな……!?)
「ボクの……」
小さな少年の、小さな呟きは、涙と一緒に、ぽろりぽろりと零れた。
「ボクのせいで……久居が……」
「ーー……っ!」
悲しみに沈む少年の言葉に、久居は大きく息を呑む。
思わず久居は小さな肩を握っていた。
「リル! 私は生きています!!」
音を立てて、久居の両手から煙があがる。
「だからどうか、戻ってきてください!!」
構わず、久居は訴える。
この少年の悲しみを、この涙を、今すぐ止めたかった。
「リル!!」
青年の魂の叫びに、薄茶色の大きな瞳が揺れ、ゆっくりと光を取り戻す。
それに合わせるように、リルを包んでいた炎が消える。
まるで夢から覚めるように目覚めた少年は、目の前に立つ青年を見上げた。
「久……居……?」
「リル!」
青年が、力強く応える。
「久居っ! 無事だったの!?」
リルは、喜びに破顔した。
「ええ……、リルのおかげで助かりました……」
久居はその喜びを受け止めながら、言葉を選んで答えた。
「え、ボクは何も……」
答える少年がぐらりと揺らぐ。
「あれ?」
「リル!?」
久居は溶け残った腕で、何とかその体を支えた。
「大丈夫ですか!?」
「うん……何か……疲れちゃった……みた……い……」
答えながら、リルは久居の腕を枕がわりに、寝息を立て始める。
すっかり安心しきったような寝顔に、異常は見受けられない。
(……眠ってしまっただけですか……)
きっと、色々あって、頑張り過ぎて、疲れてしまったのだろう。
まだ目尻に涙を残したまま、久居の腕の中で眠る少年の安らかな寝顔。
久居は、この心を壊さず済んだ事に心底胸を撫で下ろした。
が、次の瞬間、問題が一つも解決していないことに気付く。
(あの膜はどうすれば……)
リル達の村の方向から聞こえてきた、ガササと草を分ける音。
久居は咄嗟に首巻きでリルを抱えた腕の溶けた手を覆い、もう片方の腕を背に回して隠した。
「あらあら……これは……」
リリーは、膜に包まれた娘と、久居に掴まって眠る息子を一瞥すると、困ったような表情で、久居に視線を合わせた。
「あ、あのっ」
「ええ、説明しないといけないわね、色々と……」
久居がどこから質問しようかと悩む間に、リリーは落ち着いた様子で話し始めた。
「とりあえず、あの二人は心配しないで。ああしている限り、命の危険はないわ」
言われて、久居が長い長い安堵の息を吐く。
久居にとって、菰野の無事は何より優先すべき事項だ。
「ただ……あそこから二人を出すのは、私達には不可能だわ」
「え……」
静かに、けれどハッキリと告げられた事実に、久居は言葉を失う。
「基本的に、あの凍結空間はそれを作った本人にしか解除できないものなのよ……。その本人が中に居ては……」
「それでは……一体、どうすれば……」
久居の額を汗が伝う。動揺からか、痛みからかは本人にもわからなかった。
「刻の管理者と呼ばれていた私の御師匠様(せんせい)なら何とかしてくださったと思うのだけれど……」
リリーが俯きながら、独り言のように話す。
久居は、その言葉が過去形であることに動揺した。
「あ、いいえ、御師匠様なら何とかしてくださるわ」
久居の動揺に気付いてか、リリーがにこりと笑顔を見せて、久居に答える。
「ただ、ここからはとても離れたところにいらっしゃるから、すぐにと言うわけにはいかないけれど」
「そう……なのですか……」
話しながら、リリーは救急箱の蓋を開ける。
「とにかく、傷の手当てをしましょう」
「あ、リルさんはどこにもお怪我はないようです」
久居の言葉に、リリーが不思議そうに言う。
「あなたが傷だらけでしょう?」
「あ……いえ、私は……」
久居はギクリとするのを隠しつつ、平静を装って答える。
「たいした怪我ではありませんので……」
「そ……そう?」
言われて、リリーは戸惑った。
目の前の青年は、頭から血を流し、体のあちこちに擦り傷を作り、足には切り傷の他にも矢が刺さっている。
(どう見てもそうは思えないけれど……。他人に手当てされたくないのかしら……)
久居は、その背で溶け残った葛原の足を隠していた。
リリーはそれ以上詮索しないことにして、自分の息子へ視線を移す。
「それじゃ、リルだけでも連れて帰ろうかしらね」
「担いで……ですか? ご自宅までは距離があるのでは……?」
「大丈夫よ、この子は軽いから……」
抱き上げようとするリリーに抵抗するように、リルはぎゅっと両手で久居の腕を握りしめる。
「あら?」
「これは……」
「あらあら、ごめんなさいね、今離すから……」
リリーがその指を解こうと手をのばす。
「うう、久居……」
眠っているリルが、悲しげに久居の名を呼んだ。
思わず手を止めるリリー。
久居とリリーは視線を交わす。
「何だか、無理に離すのも可哀想ね……」
「お二人さえよろしければ、私はリルさんが目を覚ますまで、このままでも……」
言われて、リリーがリルの胴を抱えていた手を離すと、リルはまたぎゅっと久居に密着した。
「それじゃ、この毛布と救急箱はあなた達で使ってちょうだい」
「ありがとうございます」
リリーは、こちらに頼ろうとしない青年の姿にほんの少し苦笑を滲ませつつ、毛布を草の上におろす。
「ここに置いておくわね」
「あ、はいっ」
黒髪の青年は、リリーがしゃがむと何故か一緒にしゃがみ込んだ。
そして、リリーが立つのに合わせて立ち上がる。
(怪我でも隠してるのかしら……。まあ、そろそろクザンが着く頃よね。治療はあの人に任せましょう……)
リリーは不審な動きを気にしながらも、後は夫に任せることにして、その場を離れることにした。
「じゃあ、私はお弁当を持ってくるわね」
「度々申し訳ありません……」
久居はリリーの姿が見えなくなるまで見送ると、ようやく近くの木の幹に背を預けた。
(咄嗟に誤魔化してしまいましたが……)
久居は、そこに残った足を見る。
(私達に関わったせいで、リルが人を殺めてしまった……)
当のリルは、久居の腕の中ですやすやと寝息を立てている。
その幸せそうな寝顔を見つめながら、久居は願う。
(せめて、人という存在が彼らにとって軽いものであるといいのですが……)
「リル、これはーー……」
全く反応のない少年を不審に思いながらも、久居はその肩へそっと手を伸ばす。
「リル……?」
チリッと僅かな音を立てて、久居の伸ばした指は、リルに触れる前に溶けた。
異変に気付いた久居が、慌てて手を引く。
(指先が溶けた!?)
久居の右手の指先は焼け爛れた様に色が変わり、そこから嫌な臭いの煙がのぼっている。
ハッと、リルの向いている方に、同じように煙をあげているものがあることに久居は気付いた。
(それはまさか……)
二つ並んだそれは、人の足のようだった。
けれどそれは、足首から膝までの半分ほどのところから、下だけしか残っていない。
(葛原様の……足……?)
リルの方へ向いたまま立っているその足は、逃げることすらできなかった様を表しているようで、久居に底知れぬ恐怖を抱かせた。
(これを……リルが……?)
ぞくりと全身が粟立つ。
葛原の足の近くには、あの四角い封印石が落ちていた。
(石だけ残ったのですね……)
紐はおそらく焼けてしまったのだろう。
久居はそれを手に取ろうとしたが、炎に焼かれた石は予想以上にまだ熱を持っていて、首巻きで包んで拾いあげる。
リルの正面に回ると、その少年が現実を見ていないことがよく分かった。
(とにかく、リルを正気に戻さなくては……)
久居は、あの膜の事も葛原の事も、この少年に尋ねなくてはならなかった。
目を凝らせば、リルの周囲には青白い炎のようなものが薄っすらと全身を包み込んでいる。
原理は分からないものの、それに触れると溶けるようだと理解して、久居は手を出さずに声だけをかける。
「リル! 私が分かりますか?」
「ーー……」
応えるように、リルが小さく何かを呟いた。
「リル!? しっかりしてください!!」
リルの耳が小さく跳ねる。
「ーー……久居……」
反応があったことに、久居がほっと息を吐く。
「…………久居……が……」
しかし、ぼんやりと開かれたままの薄茶色の瞳は光を取り戻す事なく、かわりにぽろりと大粒の涙が零れた。
「久居が……死んじゃった……」
その言葉は久居に衝撃を与える。
(私が死んだものと思い込んで……、リルはこんな……!?)
「ボクの……」
小さな少年の、小さな呟きは、涙と一緒に、ぽろりぽろりと零れた。
「ボクのせいで……久居が……」
「ーー……っ!」
悲しみに沈む少年の言葉に、久居は大きく息を呑む。
思わず久居は小さな肩を握っていた。
「リル! 私は生きています!!」
音を立てて、久居の両手から煙があがる。
「だからどうか、戻ってきてください!!」
構わず、久居は訴える。
この少年の悲しみを、この涙を、今すぐ止めたかった。
「リル!!」
青年の魂の叫びに、薄茶色の大きな瞳が揺れ、ゆっくりと光を取り戻す。
それに合わせるように、リルを包んでいた炎が消える。
まるで夢から覚めるように目覚めた少年は、目の前に立つ青年を見上げた。
「久……居……?」
「リル!」
青年が、力強く応える。
「久居っ! 無事だったの!?」
リルは、喜びに破顔した。
「ええ……、リルのおかげで助かりました……」
久居はその喜びを受け止めながら、言葉を選んで答えた。
「え、ボクは何も……」
答える少年がぐらりと揺らぐ。
「あれ?」
「リル!?」
久居は溶け残った腕で、何とかその体を支えた。
「大丈夫ですか!?」
「うん……何か……疲れちゃった……みた……い……」
答えながら、リルは久居の腕を枕がわりに、寝息を立て始める。
すっかり安心しきったような寝顔に、異常は見受けられない。
(……眠ってしまっただけですか……)
きっと、色々あって、頑張り過ぎて、疲れてしまったのだろう。
まだ目尻に涙を残したまま、久居の腕の中で眠る少年の安らかな寝顔。
久居は、この心を壊さず済んだ事に心底胸を撫で下ろした。
が、次の瞬間、問題が一つも解決していないことに気付く。
(あの膜はどうすれば……)
リル達の村の方向から聞こえてきた、ガササと草を分ける音。
久居は咄嗟に首巻きでリルを抱えた腕の溶けた手を覆い、もう片方の腕を背に回して隠した。
「あらあら……これは……」
リリーは、膜に包まれた娘と、久居に掴まって眠る息子を一瞥すると、困ったような表情で、久居に視線を合わせた。
「あ、あのっ」
「ええ、説明しないといけないわね、色々と……」
久居がどこから質問しようかと悩む間に、リリーは落ち着いた様子で話し始めた。
「とりあえず、あの二人は心配しないで。ああしている限り、命の危険はないわ」
言われて、久居が長い長い安堵の息を吐く。
久居にとって、菰野の無事は何より優先すべき事項だ。
「ただ……あそこから二人を出すのは、私達には不可能だわ」
「え……」
静かに、けれどハッキリと告げられた事実に、久居は言葉を失う。
「基本的に、あの凍結空間はそれを作った本人にしか解除できないものなのよ……。その本人が中に居ては……」
「それでは……一体、どうすれば……」
久居の額を汗が伝う。動揺からか、痛みからかは本人にもわからなかった。
「刻の管理者と呼ばれていた私の御師匠様(せんせい)なら何とかしてくださったと思うのだけれど……」
リリーが俯きながら、独り言のように話す。
久居は、その言葉が過去形であることに動揺した。
「あ、いいえ、御師匠様なら何とかしてくださるわ」
久居の動揺に気付いてか、リリーがにこりと笑顔を見せて、久居に答える。
「ただ、ここからはとても離れたところにいらっしゃるから、すぐにと言うわけにはいかないけれど」
「そう……なのですか……」
話しながら、リリーは救急箱の蓋を開ける。
「とにかく、傷の手当てをしましょう」
「あ、リルさんはどこにもお怪我はないようです」
久居の言葉に、リリーが不思議そうに言う。
「あなたが傷だらけでしょう?」
「あ……いえ、私は……」
久居はギクリとするのを隠しつつ、平静を装って答える。
「たいした怪我ではありませんので……」
「そ……そう?」
言われて、リリーは戸惑った。
目の前の青年は、頭から血を流し、体のあちこちに擦り傷を作り、足には切り傷の他にも矢が刺さっている。
(どう見てもそうは思えないけれど……。他人に手当てされたくないのかしら……)
久居は、その背で溶け残った葛原の足を隠していた。
リリーはそれ以上詮索しないことにして、自分の息子へ視線を移す。
「それじゃ、リルだけでも連れて帰ろうかしらね」
「担いで……ですか? ご自宅までは距離があるのでは……?」
「大丈夫よ、この子は軽いから……」
抱き上げようとするリリーに抵抗するように、リルはぎゅっと両手で久居の腕を握りしめる。
「あら?」
「これは……」
「あらあら、ごめんなさいね、今離すから……」
リリーがその指を解こうと手をのばす。
「うう、久居……」
眠っているリルが、悲しげに久居の名を呼んだ。
思わず手を止めるリリー。
久居とリリーは視線を交わす。
「何だか、無理に離すのも可哀想ね……」
「お二人さえよろしければ、私はリルさんが目を覚ますまで、このままでも……」
言われて、リリーがリルの胴を抱えていた手を離すと、リルはまたぎゅっと久居に密着した。
「それじゃ、この毛布と救急箱はあなた達で使ってちょうだい」
「ありがとうございます」
リリーは、こちらに頼ろうとしない青年の姿にほんの少し苦笑を滲ませつつ、毛布を草の上におろす。
「ここに置いておくわね」
「あ、はいっ」
黒髪の青年は、リリーがしゃがむと何故か一緒にしゃがみ込んだ。
そして、リリーが立つのに合わせて立ち上がる。
(怪我でも隠してるのかしら……。まあ、そろそろクザンが着く頃よね。治療はあの人に任せましょう……)
リリーは不審な動きを気にしながらも、後は夫に任せることにして、その場を離れることにした。
「じゃあ、私はお弁当を持ってくるわね」
「度々申し訳ありません……」
久居はリリーの姿が見えなくなるまで見送ると、ようやく近くの木の幹に背を預けた。
(咄嗟に誤魔化してしまいましたが……)
久居は、そこに残った足を見る。
(私達に関わったせいで、リルが人を殺めてしまった……)
当のリルは、久居の腕の中ですやすやと寝息を立てている。
その幸せそうな寝顔を見つめながら、久居は願う。
(せめて、人という存在が彼らにとって軽いものであるといいのですが……)