久居は、リリーが菰野と会話をする間、リルの世話をしていた。
「うわぁぁぁぁぁんっっどうしようぅぅぅぅ……」
と、二人が会話を始めた後ろで、リルが目に溢れんばかりの涙を溜めて、頭を抱えていたからだ。
「リル、落ち着いてください。まずは周囲に落ちていないか捜してみましょう」
半ばパニックに陥りかけているリルを驚かさないように、そっと久居が視界に入っていくと、リルはそのままの姿勢でコクリと頷いた。
「うん……」
山に入る直前で、リルは一度転んでいる。
久居が倒れた彼を引き上げたとき、あの石が確かに目に入った。
(石が落ちているとすれば、あそこからここまでの間ですね……)
久居がほんの一瞬の回想から戻ると、リルが首巻きを両手で差し出していた。
「これありがとうー。とってもふかふかだったー」
何だか少し的外れな気もする、手触りへの感想と共に渡された首巻きを受け取ると、久居にリルの残した微かな温かさが伝わってくる。
瞬間、あの日の強烈な後悔が久居の胸をよぎる。
(あの時……もし、私が弟の傍を離れる前に、もう少し気を配ることができていたら……)
後には、幾度となく繰り返された景色が続く。
絶望、慟哭。縋り付く思いで抱き上げた弟は、雪に晒され、ほんの微かな温もりを残すのみだった。
「久居?」
リルの声に久居は慌てて顔を上げる。
「ふかふかだったよ?」
何故そこを繰り返すのか、理解に困るところではあったが、久居はとにかく返事をした。
「それは、よかったです」
久居が、ぎこちなくならないよう慎重に笑顔を作ると、リルの真っ直ぐな微笑が返ってきた。
「うんっ♪」
この笑顔が傷付かなかった事を、久居は誰にともなく感謝しながら、どこか弟を思わせる、その人懐っこい横顔を見つめる。
リルは、早速石捜しに取り掛かっていた。
久居は、リルから受け取った首巻きを身に付けると、リルと共にこの周辺を捜して回ったが、残念ながら石は見つける事ができなかった。
「この辺には落ちてなかったよぅぅぅうううぅ」
リルがリリーに半べそのまま報告する。
「あらあら……」とリリーは困り顔でリルを振り返った。
「菰野っ、水汲んできたよ、手当てして!」
フリーが、ちゃぷちゃぷとバケツの水を揺らしながら、息を弾ませて戻ってくる。
菰野のためにと、急いで行き戻ってきた様子に、菰野は感謝を込めて微笑んだ。
「ありがとう、フリーさん」
「ごめんね……私のせいで……そんな怪我……」
フリーは、菰野の赤く染まった肩に視線を落とすと、その表情を曇らせる。
「フリーさん、さっきの僕と同じような事言ってる」
菰野は栗色の瞳を緩やかに細めた。
水を受け取った久居が菰野の手当てを始める反対側に、フリーは腰をおろす。
「フリーさんの母君は、誰のせいでもないと仰っていたよ」
久居が、それはそれは慎重に菰野の共衿をつまんで肩下までゆっくりおろしてゆく。
傷になるべく障らないようにという久居の配慮を、菰野はくすぐったく感じつつも、ひりつく痛みに小さく眉を寄せる。
それでも、フリーには出来る限りの笑顔を添えて、菰野は話を続ける。
「言うなれば、運命だったって事なのかな?」
「運命……?」
フリーはその言葉を繰り返す。
普段の生活では耳にすることのなかったその単語は、なぜだかとても意味ありげに聞こえた。
「素敵な母君だね」
言われて、フリーは菰野と肩を並べて、リリーを見た。
リリーは、少し向こうで本格的に泣き出したリルを宥めている。
「うん……」
菰野の言葉に、フリーは心から頷いた。
フリーにとって母は、こうなりたいと思う理想の姿だった。
「ちょっと前まで、足元まで髪を伸ばしてて、すごく綺麗だったんだよ」
菰野はその言葉に相槌を打ちながら、自身の母の言葉を思い浮かべていた。
(もしかして、母様が見たという妖精は……)
おそらくそうだろうと、確信に近いものを感じながらも、菰野はそれ以上考えることを止める。
そうだと分かってしまえば、きっと、どこかで『何故』と思ってしまうだろうから……。
「菰野様」
声に振り返ると、濡らした手ぬぐいを持った久居が眉を寄せ、どこか辛そうな顔をしていた。
「少し……沁みますよ」
「ああ、気にするな」
(久居は昔から、自分が怪我をするより俺が怪我をした時の方が、痛そうな顔をするんだよな……)
久居は、菰野の予想通りの顔で、濡れ手ぬぐいを至極慎重に菰野の傷へ重ねる。
ひた、と触れる冷たい感触と痛みに菰野がびくりと肩を揺らすと、反対側からフリーが恐る恐る声をかけてきた。
「い、痛い? 菰野……」
「うんまあ……それなりに……」
菰野が答えてそちらを見れば、フリーもまた、金色の瞳に涙を滲ませ、酷く痛そうな顔で菰野を見つめている。
「……痛そう……」
まるで涙のように、ぽつりと零されたフリーの言葉。
菰野は無理矢理笑顔を作って答えた。
「だっ大丈夫だよ、このくらい。すぐ治るから」
左右を痛そうな顔に挟まれて、菰野は、間違っても痛いなどとは言えないなと思った。
「困ったことになったわね……」
独り言のようなリリーの言葉に、手当てを終えた久居が声をかける。
「石が見当たらないのですか?」
久居にはあの石の効果はよく分からなかったが、強力なものであるということだけは、リルとの会話から心得ていた。
「ええ……あれがもし人の手に渡ったらとしたら……」
リリーの表情が、ふっと一段暗くなる。
「……少なくとも、あの石を身につけた人なら、この山の結界付近までは登れるでしょうね……」
リリーはそう言いながら、この場の全員を見渡す。
皆に、緊張が走った。
「それは……早急に捜し出さないといけませんね……」
久居の言葉に、菰野も同意する。
「明日また山を下りてみるか」
そんな菰野を、久居は先回り気味に制した。
「ええ、明日。私が、一人で」
半眼の久居に「菰野様は休んでいてください」とハッキリ言われて、菰野が不服そうに「えー」と声をあげる。
「ボ、ボクも行くっ!!」
慌てた様子で会話に加わるリルに、久居が振り返り「それは助かります」と告げたところで、フリーが叫んだ。
「あんたはっ! 石落としてごめんなさいが先でしょ!?」
いつの間にかリルの頭はフリーの両拳にガッチリ固定されていて、ぐりぐりと拳を捻り込まれたリルが絶叫する。
「ぎゃぁぁぁああっ! ごめんなさいぃぃいいいぃぃぃっっ!!」
そんな双子を横目に、リリーが
「それじゃ、お弁当を持って来ようかしらね」と背を向ける。
「私も手伝う」と、フリーが同行を申し出た。
「うう……」
まだ両こめかみを押さえて呻くリルに、フリーが釘を刺す。
「ちゃんと耳澄ましてるのよっ」
「はぁぃ……」と二人を見送ったリルが、申し訳なさそうに、しょんぼり、菰野と久居を振り返った。
謝ろうとしているのだろう。
もじもじと俯くリルが口を開くのを、二人は黙って待っていた。
「本当に……ごめんなさい……」
口にすると、リルの薄茶色の瞳に引っ込んだはずの涙がじわりと滲んだ。
「ええ、次からはもっと気を付けてくださいね」
久居が苦笑を浮かべて答える。
「そういうことだね」
菰野もふわりと口元で微笑み、久居の意見に同意を示した。
二人の答えに、リルは驚いた。
フリーはいつも厳しく叱りつけてくるタイプだったので、謝った時にも、やはり叱られたことしかなかった。
菰野と久居は、過ぎた事で、さらに今反省しているのなら、それ以上言う必要はない。という考えようだ。
あたたかな眼差しの二人に、リルはただ一生懸命頷いた。
「う、うんっ、気を付ける……っ」
「うわぁぁぁぁぁんっっどうしようぅぅぅぅ……」
と、二人が会話を始めた後ろで、リルが目に溢れんばかりの涙を溜めて、頭を抱えていたからだ。
「リル、落ち着いてください。まずは周囲に落ちていないか捜してみましょう」
半ばパニックに陥りかけているリルを驚かさないように、そっと久居が視界に入っていくと、リルはそのままの姿勢でコクリと頷いた。
「うん……」
山に入る直前で、リルは一度転んでいる。
久居が倒れた彼を引き上げたとき、あの石が確かに目に入った。
(石が落ちているとすれば、あそこからここまでの間ですね……)
久居がほんの一瞬の回想から戻ると、リルが首巻きを両手で差し出していた。
「これありがとうー。とってもふかふかだったー」
何だか少し的外れな気もする、手触りへの感想と共に渡された首巻きを受け取ると、久居にリルの残した微かな温かさが伝わってくる。
瞬間、あの日の強烈な後悔が久居の胸をよぎる。
(あの時……もし、私が弟の傍を離れる前に、もう少し気を配ることができていたら……)
後には、幾度となく繰り返された景色が続く。
絶望、慟哭。縋り付く思いで抱き上げた弟は、雪に晒され、ほんの微かな温もりを残すのみだった。
「久居?」
リルの声に久居は慌てて顔を上げる。
「ふかふかだったよ?」
何故そこを繰り返すのか、理解に困るところではあったが、久居はとにかく返事をした。
「それは、よかったです」
久居が、ぎこちなくならないよう慎重に笑顔を作ると、リルの真っ直ぐな微笑が返ってきた。
「うんっ♪」
この笑顔が傷付かなかった事を、久居は誰にともなく感謝しながら、どこか弟を思わせる、その人懐っこい横顔を見つめる。
リルは、早速石捜しに取り掛かっていた。
久居は、リルから受け取った首巻きを身に付けると、リルと共にこの周辺を捜して回ったが、残念ながら石は見つける事ができなかった。
「この辺には落ちてなかったよぅぅぅうううぅ」
リルがリリーに半べそのまま報告する。
「あらあら……」とリリーは困り顔でリルを振り返った。
「菰野っ、水汲んできたよ、手当てして!」
フリーが、ちゃぷちゃぷとバケツの水を揺らしながら、息を弾ませて戻ってくる。
菰野のためにと、急いで行き戻ってきた様子に、菰野は感謝を込めて微笑んだ。
「ありがとう、フリーさん」
「ごめんね……私のせいで……そんな怪我……」
フリーは、菰野の赤く染まった肩に視線を落とすと、その表情を曇らせる。
「フリーさん、さっきの僕と同じような事言ってる」
菰野は栗色の瞳を緩やかに細めた。
水を受け取った久居が菰野の手当てを始める反対側に、フリーは腰をおろす。
「フリーさんの母君は、誰のせいでもないと仰っていたよ」
久居が、それはそれは慎重に菰野の共衿をつまんで肩下までゆっくりおろしてゆく。
傷になるべく障らないようにという久居の配慮を、菰野はくすぐったく感じつつも、ひりつく痛みに小さく眉を寄せる。
それでも、フリーには出来る限りの笑顔を添えて、菰野は話を続ける。
「言うなれば、運命だったって事なのかな?」
「運命……?」
フリーはその言葉を繰り返す。
普段の生活では耳にすることのなかったその単語は、なぜだかとても意味ありげに聞こえた。
「素敵な母君だね」
言われて、フリーは菰野と肩を並べて、リリーを見た。
リリーは、少し向こうで本格的に泣き出したリルを宥めている。
「うん……」
菰野の言葉に、フリーは心から頷いた。
フリーにとって母は、こうなりたいと思う理想の姿だった。
「ちょっと前まで、足元まで髪を伸ばしてて、すごく綺麗だったんだよ」
菰野はその言葉に相槌を打ちながら、自身の母の言葉を思い浮かべていた。
(もしかして、母様が見たという妖精は……)
おそらくそうだろうと、確信に近いものを感じながらも、菰野はそれ以上考えることを止める。
そうだと分かってしまえば、きっと、どこかで『何故』と思ってしまうだろうから……。
「菰野様」
声に振り返ると、濡らした手ぬぐいを持った久居が眉を寄せ、どこか辛そうな顔をしていた。
「少し……沁みますよ」
「ああ、気にするな」
(久居は昔から、自分が怪我をするより俺が怪我をした時の方が、痛そうな顔をするんだよな……)
久居は、菰野の予想通りの顔で、濡れ手ぬぐいを至極慎重に菰野の傷へ重ねる。
ひた、と触れる冷たい感触と痛みに菰野がびくりと肩を揺らすと、反対側からフリーが恐る恐る声をかけてきた。
「い、痛い? 菰野……」
「うんまあ……それなりに……」
菰野が答えてそちらを見れば、フリーもまた、金色の瞳に涙を滲ませ、酷く痛そうな顔で菰野を見つめている。
「……痛そう……」
まるで涙のように、ぽつりと零されたフリーの言葉。
菰野は無理矢理笑顔を作って答えた。
「だっ大丈夫だよ、このくらい。すぐ治るから」
左右を痛そうな顔に挟まれて、菰野は、間違っても痛いなどとは言えないなと思った。
「困ったことになったわね……」
独り言のようなリリーの言葉に、手当てを終えた久居が声をかける。
「石が見当たらないのですか?」
久居にはあの石の効果はよく分からなかったが、強力なものであるということだけは、リルとの会話から心得ていた。
「ええ……あれがもし人の手に渡ったらとしたら……」
リリーの表情が、ふっと一段暗くなる。
「……少なくとも、あの石を身につけた人なら、この山の結界付近までは登れるでしょうね……」
リリーはそう言いながら、この場の全員を見渡す。
皆に、緊張が走った。
「それは……早急に捜し出さないといけませんね……」
久居の言葉に、菰野も同意する。
「明日また山を下りてみるか」
そんな菰野を、久居は先回り気味に制した。
「ええ、明日。私が、一人で」
半眼の久居に「菰野様は休んでいてください」とハッキリ言われて、菰野が不服そうに「えー」と声をあげる。
「ボ、ボクも行くっ!!」
慌てた様子で会話に加わるリルに、久居が振り返り「それは助かります」と告げたところで、フリーが叫んだ。
「あんたはっ! 石落としてごめんなさいが先でしょ!?」
いつの間にかリルの頭はフリーの両拳にガッチリ固定されていて、ぐりぐりと拳を捻り込まれたリルが絶叫する。
「ぎゃぁぁぁああっ! ごめんなさいぃぃいいいぃぃぃっっ!!」
そんな双子を横目に、リリーが
「それじゃ、お弁当を持って来ようかしらね」と背を向ける。
「私も手伝う」と、フリーが同行を申し出た。
「うう……」
まだ両こめかみを押さえて呻くリルに、フリーが釘を刺す。
「ちゃんと耳澄ましてるのよっ」
「はぁぃ……」と二人を見送ったリルが、申し訳なさそうに、しょんぼり、菰野と久居を振り返った。
謝ろうとしているのだろう。
もじもじと俯くリルが口を開くのを、二人は黙って待っていた。
「本当に……ごめんなさい……」
口にすると、リルの薄茶色の瞳に引っ込んだはずの涙がじわりと滲んだ。
「ええ、次からはもっと気を付けてくださいね」
久居が苦笑を浮かべて答える。
「そういうことだね」
菰野もふわりと口元で微笑み、久居の意見に同意を示した。
二人の答えに、リルは驚いた。
フリーはいつも厳しく叱りつけてくるタイプだったので、謝った時にも、やはり叱られたことしかなかった。
菰野と久居は、過ぎた事で、さらに今反省しているのなら、それ以上言う必要はない。という考えようだ。
あたたかな眼差しの二人に、リルはただ一生懸命頷いた。
「う、うんっ、気を付ける……っ」