翌日、フリーは村の端にある小さな診療所に居た。
そこにリルと母の姿は無い。
「はい、そこに手を入れてー」
「……はーい……」
リルとフリーが小さい頃から通っているこの診療所には、キツイ印象の女医が一人いるきりだった。
青みがかった黒髪を肩につかない程度に切り揃えたツリ目の医者に言われて、フリーが嫌そうに治療器へと手を入れる。
(うぅ……、この感じ、嫌なんだよねー……)
診療所の机に備え付けられた治療器は、内部に取り付けられた石同士が反応し、治癒術とほぼ同様の光を溢れさせている。
(手の皮が……ゾワゾワする……)
じわじわと傷口の肉や皮が動き、肉同士を繋ぎ合う感覚に、フリーが顔を引き攣らせていると、医者は手のひら大の浅い容器にいくつかのガラス片を並べて持ってきた。
「ほら、ガラス片がまだ残ってたわよ。血管に入ったりすれば、心臓に流れる事だってあるんだからね?」
じりっと詰め寄られて、フリーは引き攣った笑いを浮かべた。
「次は絶対、すぐに、病院に来ること!! いいね!?」
片手を治療器に入れているため、それ以上下がりようがないフリーが、ガラス片を眼前に突きつけられて冷や汗を浮かべつつ答える。
「は、はーい……」
「全く、この間もすぐ病院に来るように念を押したのに、あんな大きな傷、痕が残ったらどうするの。フリーは女の子なんだから、もっと体を大事に……」
「先生ー、温熱終わりましたー」
その声に、他の患者がいてくれて助かったと、フリーはホッとする。
「はいはーい」
と医者は返事をしつつ、小さくひとつ舌打ちを残して去った。
心配してくれるのは有難かったが、長すぎるお説教は勘弁してほしい。
フリーは、不思議な光を放つ治療器に視線を落とす。
今頃リルは、母と共に能力測定中のはずだ。
上手くいってるかな……。
と、フリーはリル達に思いを馳せた。
----------
「この石に両手をあてて、いいと言うまで離さないようにな」
「は、はい」
封具屋では、髭の店主が風呂敷包の中から取り出したひと抱えほどの丸い石に、リルが言われるままに手を添えたところだった。
ツヤツヤと言うわけではないが、なだらかなフォルムのその石は、触れるとひんやりとしていた。
石がごく僅かに振動する音が、ブウウウンと低く耳に届く。
(うわ……どんどん冷たくなってくる……)
石は低く唸り続け、急速に身体中の熱を吸い取られてゆく感覚に、背筋がぞくりと震える。
(なんか……怖い……)
「お、お母さん……」
恐怖から、母に助けを求めるが、母はいつも通りに笑って答えた。
「大丈夫よ、リルの持っている力がどのくらいあるか量っているだけだから。
痛くも痒くもないでしょ?」
「う、うん……」
痛かったり痒かったりはしないけど……。
何か……。
……何か……。
出てきちゃ、いけない、ものが……。
リルの中にチリっと小さな何かが揺らめいた。
心臓の音が、やけに大きく響いている。
小さな何かは、青白く光っている。
(何……だろう……)
ふわりと揺れると、それは一瞬で大きく広がった。
(これは………………炎……?)
リリーが先に異変に気付く。
けれど、それは既に手遅れだった。
ゴウッとリルを中心に熱気が部屋を包む。
さっきまで冷たくて仕方なかった石が、焼けるほどに熱い。
低かった振動音も今は耳を刺すほどに甲高く、ギィィィィとその限界を告げていた。
「容量超過だ! 石から手を離せ!!」
髭の店主が太い声で叫ぶ。
(手を……。石から……。離さな……きゃ……)
リルはその言葉を確かに耳にする。しかし体が動かない。
息は上がり、苦しいのに、この体は自分のものじゃないように、まるで動こうとしなかった。
「聞いてるのか!? 手を……!!」
「危ない!!」
リルの肩を掴もうとした店主へ、リリーが飛び付いた。
ドサっと二人一緒に床に倒れて、店主は叫ぶ。
「な……何を……!?」
「今あの子に触れたら、融けてしまいます!」
言い切られ、店主は息を呑んだ。
焼けるのではなく、融けると彼女は言った。
それは一体、どれだけ高位の炎なのか。
鬼火で実現できる温度ではないはずだ。
この少年は、鬼との子ではなかったのか!?
店主が思い巡らす間にも、店内のあらゆるものが、熱に巻かれ、熱気に煽られめちゃくちゃになってゆく。
「リル!! 石を離して!!」
ぼんやりと開かれたままのリルの瞳は、すでに光を失っていた。
リリーの必死の叫びは、もうリルの耳に届いていない。
「リル!!!!」
ピシッと石に亀裂が入る。
次の瞬間、石は大きく弾けて粉々になった。
支えを失って、リルはそのまま後ろに倒れる。
ドサッという音の前に、ゴッと強かに頭を打つ音がした。
リリーは、慎重にリルへ触れる。
「……気を失っているだけみたいね……」
汗にまみれたリルの額に張り付いた、薄茶色の髪をそっと剥がす。
リルはほんの少し眉を寄せて、疲れた顔で眠っていた。
「ふぅ……。危うく店ごと潰されるところだったな……」
髭の店主は、パタパタとエプロン状の作業着の前を叩きながら、息を吐いた。
「すみません……」
「いやいや……。しかし、計測岩塊を割ってしまう程となると、うちで手に入るもので封じ切れるかどうか……」
計測用の石は、もうその姿をどこにも残していなかった。
「そうですか……」
リリーの沈んだ声に、店主は苦笑を浮かべて振り返る。
「方々にあたってみよう。いつもお前さんの結界には世話になっているからな」
そう言って、店主は店の外を確認する。
植木も、看板も、店の外は少し前と寸分変わらぬ様子だった。
これだけの力を発揮させても、結界の外となる店外には全く影響が出ていない事に、店主は感嘆する。
この店の営業用結界を張ったのは、他でもないリリーだった。
「ただなぁ……、その……額が……」
店主は申し訳なさそうに、頭を掻きながら言う。
「ええ、それは分かっています。計測石の弁償もさせてください」
リルが手を当てていた石は、この店で一番大きい、普段は棚の奥に仕舞われているような代物だったが、それですら、リルの力には耐えきれなかった。
「ああ、助かるよ」
「いえ、ご迷惑をおかけしました」
「封石の目処がつき次第連絡しよう」
「お願いします……」
酷く荒れた店内で、そんな会話をして、リリーはリルを背負い、店を出た。
生まれてから十四年を経てもまだ、リルの身体は、細いリリーの背にすっぽりと収まるサイズだった。
リリーはそんなリルを振り返る、背中ですぅすぅと眠る我が子は、思っていたよりも、ずっと軽く、小さく思える。
この小さな温もりを、そう遠くないうちに手放す事になる。
リリーはもう、それを分かっていた……。
----------
黒い煙が、もうもうと立ち上る。
炎は今、譲原の眠る棺を包んでいた。
葛原は、父を見送りながら、燃え上がる炎に誓いを立てる。
(父上……。喪が明けたらすぐにでも、菰野をそちらへ逝かせます。
楽しみにしていてください……)
そこにリルと母の姿は無い。
「はい、そこに手を入れてー」
「……はーい……」
リルとフリーが小さい頃から通っているこの診療所には、キツイ印象の女医が一人いるきりだった。
青みがかった黒髪を肩につかない程度に切り揃えたツリ目の医者に言われて、フリーが嫌そうに治療器へと手を入れる。
(うぅ……、この感じ、嫌なんだよねー……)
診療所の机に備え付けられた治療器は、内部に取り付けられた石同士が反応し、治癒術とほぼ同様の光を溢れさせている。
(手の皮が……ゾワゾワする……)
じわじわと傷口の肉や皮が動き、肉同士を繋ぎ合う感覚に、フリーが顔を引き攣らせていると、医者は手のひら大の浅い容器にいくつかのガラス片を並べて持ってきた。
「ほら、ガラス片がまだ残ってたわよ。血管に入ったりすれば、心臓に流れる事だってあるんだからね?」
じりっと詰め寄られて、フリーは引き攣った笑いを浮かべた。
「次は絶対、すぐに、病院に来ること!! いいね!?」
片手を治療器に入れているため、それ以上下がりようがないフリーが、ガラス片を眼前に突きつけられて冷や汗を浮かべつつ答える。
「は、はーい……」
「全く、この間もすぐ病院に来るように念を押したのに、あんな大きな傷、痕が残ったらどうするの。フリーは女の子なんだから、もっと体を大事に……」
「先生ー、温熱終わりましたー」
その声に、他の患者がいてくれて助かったと、フリーはホッとする。
「はいはーい」
と医者は返事をしつつ、小さくひとつ舌打ちを残して去った。
心配してくれるのは有難かったが、長すぎるお説教は勘弁してほしい。
フリーは、不思議な光を放つ治療器に視線を落とす。
今頃リルは、母と共に能力測定中のはずだ。
上手くいってるかな……。
と、フリーはリル達に思いを馳せた。
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「この石に両手をあてて、いいと言うまで離さないようにな」
「は、はい」
封具屋では、髭の店主が風呂敷包の中から取り出したひと抱えほどの丸い石に、リルが言われるままに手を添えたところだった。
ツヤツヤと言うわけではないが、なだらかなフォルムのその石は、触れるとひんやりとしていた。
石がごく僅かに振動する音が、ブウウウンと低く耳に届く。
(うわ……どんどん冷たくなってくる……)
石は低く唸り続け、急速に身体中の熱を吸い取られてゆく感覚に、背筋がぞくりと震える。
(なんか……怖い……)
「お、お母さん……」
恐怖から、母に助けを求めるが、母はいつも通りに笑って答えた。
「大丈夫よ、リルの持っている力がどのくらいあるか量っているだけだから。
痛くも痒くもないでしょ?」
「う、うん……」
痛かったり痒かったりはしないけど……。
何か……。
……何か……。
出てきちゃ、いけない、ものが……。
リルの中にチリっと小さな何かが揺らめいた。
心臓の音が、やけに大きく響いている。
小さな何かは、青白く光っている。
(何……だろう……)
ふわりと揺れると、それは一瞬で大きく広がった。
(これは………………炎……?)
リリーが先に異変に気付く。
けれど、それは既に手遅れだった。
ゴウッとリルを中心に熱気が部屋を包む。
さっきまで冷たくて仕方なかった石が、焼けるほどに熱い。
低かった振動音も今は耳を刺すほどに甲高く、ギィィィィとその限界を告げていた。
「容量超過だ! 石から手を離せ!!」
髭の店主が太い声で叫ぶ。
(手を……。石から……。離さな……きゃ……)
リルはその言葉を確かに耳にする。しかし体が動かない。
息は上がり、苦しいのに、この体は自分のものじゃないように、まるで動こうとしなかった。
「聞いてるのか!? 手を……!!」
「危ない!!」
リルの肩を掴もうとした店主へ、リリーが飛び付いた。
ドサっと二人一緒に床に倒れて、店主は叫ぶ。
「な……何を……!?」
「今あの子に触れたら、融けてしまいます!」
言い切られ、店主は息を呑んだ。
焼けるのではなく、融けると彼女は言った。
それは一体、どれだけ高位の炎なのか。
鬼火で実現できる温度ではないはずだ。
この少年は、鬼との子ではなかったのか!?
店主が思い巡らす間にも、店内のあらゆるものが、熱に巻かれ、熱気に煽られめちゃくちゃになってゆく。
「リル!! 石を離して!!」
ぼんやりと開かれたままのリルの瞳は、すでに光を失っていた。
リリーの必死の叫びは、もうリルの耳に届いていない。
「リル!!!!」
ピシッと石に亀裂が入る。
次の瞬間、石は大きく弾けて粉々になった。
支えを失って、リルはそのまま後ろに倒れる。
ドサッという音の前に、ゴッと強かに頭を打つ音がした。
リリーは、慎重にリルへ触れる。
「……気を失っているだけみたいね……」
汗にまみれたリルの額に張り付いた、薄茶色の髪をそっと剥がす。
リルはほんの少し眉を寄せて、疲れた顔で眠っていた。
「ふぅ……。危うく店ごと潰されるところだったな……」
髭の店主は、パタパタとエプロン状の作業着の前を叩きながら、息を吐いた。
「すみません……」
「いやいや……。しかし、計測岩塊を割ってしまう程となると、うちで手に入るもので封じ切れるかどうか……」
計測用の石は、もうその姿をどこにも残していなかった。
「そうですか……」
リリーの沈んだ声に、店主は苦笑を浮かべて振り返る。
「方々にあたってみよう。いつもお前さんの結界には世話になっているからな」
そう言って、店主は店の外を確認する。
植木も、看板も、店の外は少し前と寸分変わらぬ様子だった。
これだけの力を発揮させても、結界の外となる店外には全く影響が出ていない事に、店主は感嘆する。
この店の営業用結界を張ったのは、他でもないリリーだった。
「ただなぁ……、その……額が……」
店主は申し訳なさそうに、頭を掻きながら言う。
「ええ、それは分かっています。計測石の弁償もさせてください」
リルが手を当てていた石は、この店で一番大きい、普段は棚の奥に仕舞われているような代物だったが、それですら、リルの力には耐えきれなかった。
「ああ、助かるよ」
「いえ、ご迷惑をおかけしました」
「封石の目処がつき次第連絡しよう」
「お願いします……」
酷く荒れた店内で、そんな会話をして、リリーはリルを背負い、店を出た。
生まれてから十四年を経てもまだ、リルの身体は、細いリリーの背にすっぽりと収まるサイズだった。
リリーはそんなリルを振り返る、背中ですぅすぅと眠る我が子は、思っていたよりも、ずっと軽く、小さく思える。
この小さな温もりを、そう遠くないうちに手放す事になる。
リリーはもう、それを分かっていた……。
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黒い煙が、もうもうと立ち上る。
炎は今、譲原の眠る棺を包んでいた。
葛原は、父を見送りながら、燃え上がる炎に誓いを立てる。
(父上……。喪が明けたらすぐにでも、菰野をそちらへ逝かせます。
楽しみにしていてください……)