「いや、全然。集中しちゃうから会話聞こえてないけど、たまに集中切れたときとかにぼそっと聞こえたりするから」
 耳下で揃えられた髪。ベリーショートが似合う彼女の耳には校則違反のピアスが、控え目に耳たぶで光っている。シルバー色のそれは、見つかったらすぐ没収されてしまうというのに「バレないバレない」と謎の自信でなんとか生活指導の先生の目をくぐり抜けている。
「でも呉野くんと話すことある?」
「あるよ。ほら、先週まで描いてたりんごの絵とか。慧子が最初に目をつけてたでしょ?」
 彼のりんごがすごいと知ったのは、隣で慧子が「すご」と珍しく人の絵を褒めたことがきっかけだった。
「ああ、あれはすごいけど……え、でも本人に話したの?」
「……? 話したよ?」
「えー勇者じゃん」
 信じられないとでも言うような顔で驚きを露骨に出してくる。
 慧子が「りんごは本当は描くの難しいんだよ」とか「呉野くんの目は逸材」とか、そんなことを言うものだから、目の前にいる彼の絵が気になって、こそこそと後ろからのぞいていた。慧子が指摘していたところを見ていくと、確かに自分の絵とは全然違っていて、絵の基礎なんて分からないけど、彼が上手いということだけは分かるようになった。
「それ聞いて呉野くんなんて言ってたの?」
「んー……信じてないような感じ?」
 あの時、彼に言った褒め言葉は全て、慧子からの受け売りみたいなものだったけど、でも本当にその通りだったんだ。光の当たり方とか、線の捉え方とか、意識すればするほど彼のように上手くは描けなくて、いつしか実物のりんごではなく、彼の描くりんごを見てる時間の方が長くなってしまっていた。
 正直、慧子が描くりんごと、彼の描くりんごのクオリティはほとんど同じようなもの見えた。あれを本当に初心者が描いているのかと思うと信じられないし、本当に彼のことは天才じゃないかとも思ってる。
「でも呉野くん話しやすかったよ」
 実際に話してみると、彼は普通に話してくれたし、会話も成立していた。
 わたしの言葉をちゃんと受け取ってくれて、変に相槌を打つこともしない。話していて何故だか居心地がいいと思える。そんな風に思うのは不思議だ。