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 ヘンタルの丘の南方に広がる、漆黒の大森林ベンチラスカ。語源は、勇者歴以前のこの土地の古語で「夜の神の寝所の樹」という意味の言葉『ベント・ウィー・ラスコ』だとされている。
 その名の通り、この森一帯は(ウィー)の領域だ。聖石が発生しない地域のため、人が住める環境ではない。そして(ウィー)の眷属である魔物が跋扈し、歴史上この森では何度か魔王が誕生している。

 ヘンタルの丘から続く、足跡はこの森に向かっていた。シホによれば、オクト達は魔族討伐のために、一度この森を訪れていたそうだ。連中は「迷いの森」と呼んでいたらしい。オクトもその地形の複雑さから逃走経路に丁度いいと判断したのだろう。

 その奥地で()()は見つかった。

「間違いないのか?」

 オレはシャリポに問いただす。

「体表の8箇所に魔力が集中している結晶体を確認しました。恐らく、オクトの身についていた聖石兵器を核として成長した物質だと思われます」
()()にはあんな部位はありませんでした。アレがオクトである可能性は高いかと……」

 シホの表情も重々しい。袂を分かったとはいえ、共に魔王討伐をした者の無残な姿に複雑な思いを抱いているのだろう。

「そうか。オクト……馬鹿野郎……!!」

 大規模な山狩りの末に、シホ隊の騎士がここを発見した。すぐにシャリポ隊も合流し、一本の巨木を取り囲んだ。

 巨木には甲冑を着た人型の何かが同一化していた。それは影のように真っ黒で、身体のあちこちに巨大な結晶が突き出ている。人型は息づくように身体を上下させ、それに伴って結晶体の奥に宿る毒々しい光も明滅していた。

 それは転生者(ダンマルダー)魔王(マルダー)へと変貌していく過程の姿だった。

「歴史上、転生者本人が魔王となるケースは非常に稀です。大抵は、転生者が抱いた負の感情が周囲の物質に宿り、それが成長して魔王となります」
「だから、ギョンボーレ族はそれらの物質を破壊して、魔王の誕生を防いできた……そうだな?」

 シャリポは頷く。

「ですがオクトが恐らくこの森へ足を踏み入れたとき、本人が強すぎる負の感情に満たされた状態だったのでしょう」

 オレたちへの憎悪、戦に負けた屈辱、平然と仲間を見捨てる薄情さ、きっと最期の奴はそういう感情の集合体だった。

「しかも悪いことに聖石兵器という触媒がその感情に反応して(ウィー)の瘴気を集めてしまった……」

 マナと(ウィー)の瘴気の関係性も、聖石のメカニズムも研究途中なので、あくまで仮説だ。けど、あの8つの石がオクトの魔王化の原因となった可能性は高い。

「こいつはいつ動き出す?」
「わかりません。けど確実なのは、魔王として覚醒する前に倒すべきだということです。8つの聖石が魔王にどんな力を与えるかわかりませんから……」
「そうか……」

 オレは、魔王へと成長中のオクトの姿を眺めた。思えばこの世界で最初にオレに声をかけた男だった。

「お前が少しでも、この世界に敬意を持ち、この世界のことを知ろうとしていれば、な……」

 賢者の称号まで行かなくとも、せめてギョンボーレ族の助力を得ていれば……「勇者オクト」の名前で歴史に名を残せたかもしれない。

「シホ!!」

 オレは横にいるもうひとりの転生者に声をかける。

「あなたの持っている聖石兵器、その最大出力でアイツを葬ってやってくれ」
「は、はい。ですが……決着は大賢者ゲン自身の手でつけるのでは」
「自称勇者の暴君オクトならそれが出来た。けど、奴はもはや魔王オクトだ」
「はぁ……」
「魔王を倒した勇者は、次代の民を導かなくてはいけない。その役目はオレがやるべきじゃない。大賢者が勇者になれば、すべての権力がオレに集まる。それでは、オレが第二のオクトになってしまう」
「そんな!」

 シホを思い切り首を横に振った。

「あなたは決して暴走するような人じゃない!!」
「多分、オクトも自分のことをそう思ってたはずだ。〈自動翻訳〉スキルを悪用して人を騙す方法を思いつかなければ……」

 最初は冒険をスムーズにするための小ワザ程度のものだったのだろう。オクトも、この世界に転生したということは、生前に何らかの善行があったはずだ。そんなヤツが最初から世界征服を目指していたとは、考えたくなかった。

「それに、滅茶苦茶になったこの世界を立て直すには、あなたのような人が上に立つべきなんだ。勇者シホ」
「……わかりました」

 しばらくの沈黙の後、シホはそう答え、聖石がはめ込まれた剣を抜き放った。

「勇者シホの名において、魔王を討伐する!」

 闇が支配するベンチラスカの森に、光の柱が立ち上り、煌々と樹々を照らした。その光は、この不毛な内戦「勇者・賢者戦争」の集結を告げるものとなった。