* * *
東の大陸北端、ビスリャド岬。ガズト村からだと陸路で60日、王宮から海路を利用しても40日以上かかる大陸の端の端。そんな辺境の岬のさらに沖合にある孤島が目的地だ。
「すごい……本当にひとっ飛びで、ここまで来られるんですね」
クルシュの手綱を握りながらシホは言った。どれだけ遠くであっても、この霊獣には関係ない。シホの案内で、オレとリョウとアツシ、そして5名のギョンボーレの護衛で、ハンシイ姫の避難先へ向かっていた。
ビスリャド岬は聞いていた以上に荒涼な土地だった。恐らく夜の支配域、つまり人が住めない、聖石なき土地のひとつだろう。草木一本生えず黒い岩肌が岬の突端まで続いている。その先に海の真ん中にぽつんと、黒い点がある。あれが姫がいる島か。
「よくこんな所まで逃げることが出来たね」
「あの島には魔王の眷属が住んでいました。私がそれを討伐したとき、魔物に遭遇することなくここまで来れるルートを開拓したんです」
オクトによるクーデターが起きる直前、宮廷侍女の一人が何かを予感して、姫の身柄をシホに預けたのだという。そしてシホもまたオクトに疑念を持っていたため、護衛を付けてあの島に姫を送った。
「それにしても、シホさんの書き溜めていた辞書があって助かります。僕たちは、宮廷言葉なんか殆ど知らないので、姫の前で無礼な振る舞いをするところでした」
アツシが言う。この世界には宮廷言葉という、一種の敬語があった。人間の王族やその周囲にいる人々が使う言葉で、名詞や動詞に多くの変化が現れる。ギョンボーレの図書館で、そういう言葉の存在には気がついていたけど、系統だった研究は殆どできていなかった。
「あ、ありがとうございます。けど、皆さんの作り上げた辞書に比べれば貧相な内容です……」
「ううん。ゲンの〈連続攻撃〉と私の〈叡智投影〉があったから、あそこまでやれたの。それ無しで、あそこまでまとめたなんて、本当に尊敬する」
シホは宮廷言葉を含んだ数百の言葉を書き留め、簡単な辞書を作っていた。もちろん彼女は〈自動翻訳〉スキルを持っているので、そんな作業必要ない。けど、王族の人々と触れ合ううちに〈自動翻訳〉だけでは不十分と考えて、宮廷付きの学者に文字と言葉を教えてもらったのだという。
「最初は、オクトから王宮の護衛を命令されたのがきっかけでした。魔王軍が王都に直接攻撃を仕掛けてきた時期があって、私が防衛を任されたんです。王宮の法によれば、魔族との戦いでは、貴族や王族の権力よりも転生者の指揮が優先されます。ですから……」
「〈自動翻訳〉で指示を下すだけでよかった?」
「はい。私以外の転生者は皆そうしていました。普段、頭を下げている相手に命令を出せるのが面白いというのもあったのでしょう。そのうち、魔王軍の襲撃を期待するような空気まで防衛隊に生まれました」
「はぁ……まったく」
なんで転生者ってのはそうなんだろう……。
「でも、シホさんは違ったんですね?」
「私はチームで目標を達成するには、命令してるだけじゃダメって知ってたんで……。あ、私これでも、前の世界ではチアリーディングのキャプテンだったんです」
なるほど。小柄だけど引き締まった細身の身体。何かスポーツやっていた人なのかな、と思っていたけどそういうことか。
「チアは仲間同士の事をしっかり理解していないといけません。キャプテンなら尚更。ですから私はこの世界の人とも理解し合う必要があると思って、言葉の勉強を始めたんです」
奇跡だな。オレは思った。こんな人が、オクトの下にいたなんて。本来ならこういう人こそ、『勇者』を名乗るのにふさわしいんじゃないか? もしオクトたちが転生していなかったら、きっとこの人が世界を救い、本当に平和な時代を築けたんだろう。惜しい。本当に惜しい。
「さぁ、着きます。島の中央いある塔、あそこに姫がいます!」
シホが指差す先には、村の聖石堂を少し大きくしたような塔が建っていた。
東の大陸北端、ビスリャド岬。ガズト村からだと陸路で60日、王宮から海路を利用しても40日以上かかる大陸の端の端。そんな辺境の岬のさらに沖合にある孤島が目的地だ。
「すごい……本当にひとっ飛びで、ここまで来られるんですね」
クルシュの手綱を握りながらシホは言った。どれだけ遠くであっても、この霊獣には関係ない。シホの案内で、オレとリョウとアツシ、そして5名のギョンボーレの護衛で、ハンシイ姫の避難先へ向かっていた。
ビスリャド岬は聞いていた以上に荒涼な土地だった。恐らく夜の支配域、つまり人が住めない、聖石なき土地のひとつだろう。草木一本生えず黒い岩肌が岬の突端まで続いている。その先に海の真ん中にぽつんと、黒い点がある。あれが姫がいる島か。
「よくこんな所まで逃げることが出来たね」
「あの島には魔王の眷属が住んでいました。私がそれを討伐したとき、魔物に遭遇することなくここまで来れるルートを開拓したんです」
オクトによるクーデターが起きる直前、宮廷侍女の一人が何かを予感して、姫の身柄をシホに預けたのだという。そしてシホもまたオクトに疑念を持っていたため、護衛を付けてあの島に姫を送った。
「それにしても、シホさんの書き溜めていた辞書があって助かります。僕たちは、宮廷言葉なんか殆ど知らないので、姫の前で無礼な振る舞いをするところでした」
アツシが言う。この世界には宮廷言葉という、一種の敬語があった。人間の王族やその周囲にいる人々が使う言葉で、名詞や動詞に多くの変化が現れる。ギョンボーレの図書館で、そういう言葉の存在には気がついていたけど、系統だった研究は殆どできていなかった。
「あ、ありがとうございます。けど、皆さんの作り上げた辞書に比べれば貧相な内容です……」
「ううん。ゲンの〈連続攻撃〉と私の〈叡智投影〉があったから、あそこまでやれたの。それ無しで、あそこまでまとめたなんて、本当に尊敬する」
シホは宮廷言葉を含んだ数百の言葉を書き留め、簡単な辞書を作っていた。もちろん彼女は〈自動翻訳〉スキルを持っているので、そんな作業必要ない。けど、王族の人々と触れ合ううちに〈自動翻訳〉だけでは不十分と考えて、宮廷付きの学者に文字と言葉を教えてもらったのだという。
「最初は、オクトから王宮の護衛を命令されたのがきっかけでした。魔王軍が王都に直接攻撃を仕掛けてきた時期があって、私が防衛を任されたんです。王宮の法によれば、魔族との戦いでは、貴族や王族の権力よりも転生者の指揮が優先されます。ですから……」
「〈自動翻訳〉で指示を下すだけでよかった?」
「はい。私以外の転生者は皆そうしていました。普段、頭を下げている相手に命令を出せるのが面白いというのもあったのでしょう。そのうち、魔王軍の襲撃を期待するような空気まで防衛隊に生まれました」
「はぁ……まったく」
なんで転生者ってのはそうなんだろう……。
「でも、シホさんは違ったんですね?」
「私はチームで目標を達成するには、命令してるだけじゃダメって知ってたんで……。あ、私これでも、前の世界ではチアリーディングのキャプテンだったんです」
なるほど。小柄だけど引き締まった細身の身体。何かスポーツやっていた人なのかな、と思っていたけどそういうことか。
「チアは仲間同士の事をしっかり理解していないといけません。キャプテンなら尚更。ですから私はこの世界の人とも理解し合う必要があると思って、言葉の勉強を始めたんです」
奇跡だな。オレは思った。こんな人が、オクトの下にいたなんて。本来ならこういう人こそ、『勇者』を名乗るのにふさわしいんじゃないか? もしオクトたちが転生していなかったら、きっとこの人が世界を救い、本当に平和な時代を築けたんだろう。惜しい。本当に惜しい。
「さぁ、着きます。島の中央いある塔、あそこに姫がいます!」
シホが指差す先には、村の聖石堂を少し大きくしたような塔が建っていた。