*  *  *

「うわ……」

 オレは絶景に言葉を飲み込んだ。西の空が真っ赤に染まり、太陽が沈もうとしている。
 サスルポの巣から3時間あまり……ガズト山の尾根に到着した。ここまで来るとかなり遠くまで見渡せる。山の麓を流れる川は、西日を反射して黄金色に輝きながら南に向かう。その途中に村があり、そこから視線を左に移せば、オレたちの隠れ里がある山の影がぼんやりと見えた。さらにその奥には稲妻を孕んだ黒雲。南の街道に停滞する嵐だろう。

「そろそろ夜よ。まだ歩くの?」

 リョウがシャリポに尋ねる。よほどの理由がなければ、夜の山を歩き回るのは危険だ。

「もうすぐ つく」
「は? もうすぐって……」

 何もない尾根。この周りに彼らの聖域とやらがあるとは思えない。ギョンボーレ2人はこちらを振り向きもせずに、歩き続けていた。

「ん?」

 その背中を追い続けていると、不意に視界がかすみ始めた。霧だ。つい今、夕焼けの絶景を見たばかりだったのに、あっという間に周囲が真っ白になるほどの霧に囲まれた。

「山の天気は変わりやすいと言うけど……」

 それにしたって、この霧は突如現れたとしか言いようがなかった。自然現象とは思えない。シャリポは霧の中を黙々と歩き続ける。

「みんな! 前にいる人の背中を見失わないでね!!」

 リョウは最後方にまわって、後ろから声をかけ続けた。尾根伝いの細い足場を、オレたちは一列になって進む。その足場すら、白い闇に消えて見失いそうになる。足元を意識し、しっかりと踏みしめながら、前の背中を見つめながら進み続ける。ギョンボーレの奴ら、どこまで歩かせる気だ?
 不思議なのは、さっき夕焼けを見ていたはずなのに、いつまで経っても夜にならないことだ。視界は悪いが、周囲は白いまま。時間が止まったようだった。

「ついたぞ」
「え?」

 シャリポたちが足を止める。途端に、オレたちの周りにたち込めていた霧がすうっと晴れていく。

「嘘でしょ……」

 オレたちは尾根を歩いていたはずなのに、いつの間にか谷底にいた。両側の斜面は、四角い石で階段状に補強され、その上には花が咲き乱れている。花壇の段々畑といったところか。その花畑の所々には、やはり石で作られた建物が立つ。歴史の教科書で見た古代ギリシアの神殿のような形の建物だ。

「わがいちぞくの みやこだ」 

 街というよりは、巨大な庭園のような印象を抱いた。花が咲き乱れる谷のあちこちに石造りの建物はが点在し、やはり石で舗装された道が通る。その横には水路が掘られ澄んだ水が陽光に輝きながら流れていた。
 外にいるギョンボーレは皆、シャリポと同じような背格好だった。とがった耳と白い肌。そして明るい色の長い髪。顔はみな美形で、年齢も性別も見分けにくい。彼らは思い思いのところで楽器を奏でたり、それに合わせて踊ったりしている。

「まさにエルフの里って感じですね」

 アツシが360度全方位を眺めながらいう。オレもそのイメージに納得だった。ファンタジーでお馴染みの妖精の国だ。

「ここだ」

 シャリポは、谷の中心にあるひときわ大きな建物までオレたちを連れてきた。白い石の壁と、丸い柱で支えられた三角形の屋根、それぞれに細かい彫刻が施されている。

「おまえたちの なかで ことばを まなぼうと いいだしたのは だれだ?」

 建物の入り口につづく階段の手前で、シャリポは尋ねてきた。

「言い出しっぺはゲン。皆に呼びかけたのは私よ」

 リョウは答える。

「僕もです!」

 すかさずアツシも一歩前に歩み出た。

「ちょっ! アツシ!」
「水くさいですよリョウさん」

 この先に何があるかわからない。リョウは敢えて最年少のアツシの名を出さなかったのだが……

「僕ら3人のスキルがあって初めて辞書作りは可能になるんです。ここまできたら一連托生ですよ!」
「はぁ……わかった」

 リョウは観念する。普段はおとなしい中学生だが、こういう時の腹の座り方は大人顔負けだ。

「よし さんにんを だいひょうしゃと みなす これより われらが おう オベロンに あってもらう」
「えっ!?」

 後ろの方でハルマがが声を上げた。

「ついてこい」

 シャリポと子供のギョンボーレは階段を昇り始めた。

「あの……ゲンさん!」

 後に続こうとするオレの背中を、ハルマがトントンと叩いた。

「どうした?」
「もしかしたら、ただの偶然かもしれませんが……これから会う奴、ひょっとした俺達の世界を知ってるかもしれません」
「どういうことだ? 連中の王ってヤツがか?」
「はい、オベロンって名前……俺達の世界の『妖精の王』と同じ名前です」
「なんだって!?」
「……あ、それでか」

 アツシ、がポンと軽く手を叩く。

「いや、僕も聞き覚えがあったんです。ラノベや漫画に出てくる名前なんで……」
「もとはヨーロッパの伝説に出てくる名前です。そこからシェイクスピアの戯曲にも登場するようになって、最近のファンタジー作品でも出てくることが多いです」

 オレたちの知る妖精(エルフ)によく似たギョンボーレ族。そして妖精の王(オベロン)と同じ名前を持つ彼らの王。偶然? ……いや、それにしては出来すぎている。

「なにしてる! はやくこい!?」

 シャリポが階段の途中でとまり、オレたちに声をかけてきた。

「何にしても、会ってみなければわかりません。行きましょう」

 アツシの言葉に、俺とリョウは目を合わせて頷いた。

「気をつけて」

 ハルマはそう言って、オレたちを見送った。