「ゲン エスンナ!!」

 村までやってくると、門番のひとりイーズルが気さくに声をかける。『エスンナ』は正午から日没までの挨拶、つまり『こんにちは』のことだ。

「エスンナ! イーズル ……と、キンダー」

イーズルの挨拶に答えた後、もうひとりの門番の顔を見る。その男、キンダーはオレから顔をそむけ、あからさまにシカトする。
 オレを槍で打ちのめし、子供に話しかけたら血相を変えて追いかけてきた男。村人たちが徐々にオレたちに心を開いていく中、こいつだけは未だに敵意を捨てていなかった。

「きょうは これ もってきた」

 カタコトの異世界語を話しながら、おれは背中のカゴに入れていた干し肉を見せる。

「マコト うった ターグル ももにく オレたち ほした」

 ターグルは元の世界の鹿に似た獣だ。ただその角は6本あり、頭から首にかけて3対生えている。肉の味も鹿に近い……らしい。オレはそもそも鹿の肉をちゃんと食べたことがないからわからないけど、リョウはそう言っていた。

「いいねえ! バーハ と ゲサーシィ!!」
「ゲサーシィ?」

 オレは服のポケットから紙束とペンを取り出す。この村でゆずってもらったものだ。『バーハ』はわかる。小麦によく似た『フフッタ』という穀物を発酵させて作る"ビール"。ハルマのスキルで醸造し、この村に卸す、俺たちの主要産業でもある。問題は『ゲサーシィ』……初めて聞く言葉だ。

「おお そうか ゲサーシィ は ええと…… ビール(バーハ) と ほしにく よい!!」

 イーズルは、オレがメモを取り出した事で察し、説明を始める。うんうん、とオレはうなづきながらメモをとる。

「ハグハ と ほしにく よい!!」

 うんうん。『ハグハ』は、フフッタを、練って焼いたこの世界の主食。要するにパンだ。

「そして おれ と アニーラ よい!! これ ゲサーシィ!!!」

 イーズルそう言った次の瞬間に、キンダーの鉄拳がイーズルの頬を目掛けて飛んできた。アニーラはキンダーの妹だ。イーズルがアニーラを好きなことは、村中の人間が知っている。

 なるほど、ゲサーシィは"合う"とか"相性がいい"って意味か。今でも村人と話すたびに新しい言葉と出会う。意外な言葉が抜け落ちてたりする。

「うわっ グ グラグシした だけだぞ キンダー!!」
「おまえ グラグシ わらえない!!」

 メモを取り終わって顔を上げると、キンダーがイーズルの胸ぐらをつかんでいた。異世界人同士の言葉は、まだちゃんと聞き取れない。けど、何となく想像つく。『グラグシ』は差し詰め"冗談"といったところか。

 キンダーは、妹に男が言い寄るのをよく思っていない。彼女が未亡人で、まだ亡き夫を想い続けているからだと他の村人が言っていた。その夫は数年前に、あのケルベロスの古城で命を落としている。転生者を古城に案内し、戻ってこなかったらしい。キンダーがオレたち転生者に冷たい態度を取るのもそれが理由のようだ。

「ピサスラパータ にいさん?」
「あっ ゲンだ! こんにちは(エスンナ)!」

 噂の主、アニーラがやってきた。『ピサスラパータ』は……わからない。この言葉も要確認だ。彼女の横には息子のセンディもいる。あの日、オレに木の実の名前を教えてくれた子供だ。キンダーは軽く舌打ちをして、イーズルをつかむ手を離した。

こんにちは(エスンナ) アニーラ センディ」

 オレは二人に頭を下げる。異世界人の挨拶では頭を下げるようなことはしないのだけど、元日本人としてのクセでついついこれをやってしまう。それを見てアニーラはクスッと笑う。

「おべんとう サパーラ はい これ にいさんの こっちが イーズルの」

 アニーラが肘から下げたバスケットから中身を取り出して二人に渡す。また知らない単語。とっさに聞き取れた音をカタカナに変換してメモに書き残す。

「うわぁ! うれしいな!  ありがとう アニーラ!!」

 イーズルは大げさに喜ぶ。その様子を見て、またキンダーが舌打ちをする。

 二人が手渡された弁当は、『パクランチョ』だ。これはパン(ハグハ)に肉と野菜を挟んだもの、元の世界で言うところの"サンドイッチ"だ。

「それと……」

 アニーラはオレの方に向き直った。思わず鼓動が大きくなる。本当に美人だ。大きな瞳と、血色の良い頬や唇を真正面から見ると、イーズルが夢中になるのもよくわかる。そして、キンダーの方から殺気を感じる……。

「むらおさ いった ゲン きたら せいせきどう こい」

 アニーラはゆっくり、はっきりと、オレが聞き取りやすい口調で話す。

「聖石堂に……?」

 聖石堂は村の中央にある石造りの建物……オクト達が聖石を奪い取ったあの建物だ。村長の家と役場も兼ねる、文字通り村の中心部である。
 村長があそこにオレを呼び出す……何か重たい意味がありそうだ。

「オレも いく」

 キンダーは険しい視線をオレに向けた。