ねえ、笑って。君の笑顔が好きだから

 けれど味わえば味わうほど敦斗はこれを食べたかったのに食べられなかったのだ、と思うと切なくなると同時に昼間も感じた疑問を再び抱く。そもそも食べたかったのが未練だったとして、こうやって美桜が代わりに食べることが本当に未練を晴らすことになるのだろうか。

「あつ――」
「あれ? 外崎さん?」
「え?」

 美桜は自分の名前を呼ぶ声に慌てて顔を上げる。すると、そこには心春とクラスメイトの女子の姿があった。美桜と同じようにクレープを買いに来たようで、同じ包み紙のクレープを手に持っていた。特に親しい訳でもないのに話しかけてくる二人に少し戸惑いつつも、美桜はなんとか愛想笑いを浮かべる。そんな美桜の手元を見たクラスメイトの――ああ、ようやく思い出した。宇田だ。下の名前は覚えていない――が声を上げた。

「って、外崎さんが食べてるの限定ティラミス? いいなー、私たちもそれ買いに来たんだけど買えなかったんだよ。ね、心春」
「うん……」

 辛そうな表情を浮かべる心春に、美桜はどこか気まずさを感じる。こういうときどうすればいいのだろうか。友達なら「一口食べる?」と聞くところなのか。けれど美桜と心春は友達、と言えるような関係ではない。それに人にあげたものを食べるのも嫌だ。それならいっそもう食べないからとあげてしまおうか。いやいや、それじゃあ敦斗の未練が。
 敦斗に助けを求めようにも、微妙な表情で隣に座ったままの敦斗はさっきから一言も話さない。いや、今何か言われても返事ができないのだけれど。だからと言って……。

「うん……食べたかったの」

 美桜がどうするべきかと悩んでいると、心春はポツリと呟いた。

「そのクレープ、敦斗が……好きだったから……うぅっ……」
「心春……」
「ごめん……やっぱり、帰るね」
「あ、待って!」

 駆け出した心春を宇田は慌てて追いかける。何が何だかわからないまま取り残された美桜は心春の言葉が引っかかった。

「ねえ、敦斗」
「え?」
「さっき上羽さんが言ってたことだけど」

 敦斗は何を言われるのかわかったのか目を逸らす。そんな敦斗に美桜はクレープを差し出すと尋ねた。

「これ、食べたことあったの?」
「どう、だったかな」
「上羽さん、敦斗がこれ好きだったって言ってたけど」
「あー……そうだよ。前に食べたことがあって。でももう一回食べたいなってそう思ったんだよ。悪いか?」
「別に悪くはないけど」

 だったら最初からそう言えばよかったのに。美桜はそう思いながらクレープに口をつける。美桜の手のぬくもりで生クリームが少し溶けてしまった。
 敦斗は以前、これを誰と食べたのだろう。

「……にが」

 頬張ったところにコーヒーパウダーが固まっていたのか、口の中はほろ苦さでいっぱいになっていく。甘いはずなのに苦いティラミスのように、敦斗が今何を考えているのかもよくわからなかった。


 なんとなくわかってはいたけれど、限定クレープを食べても敦斗が成仏することはなかった。ただティラミスのクレープを美桜が食べて美味しかった、というだけだ。それでもショッピングモールからの帰り道、どこか敦斗がご機嫌だったからまあいいかと美桜は思うことにする。

「それで?」
「え?」

 美桜の隣を浮かぶ、というよりもはや歩くといった方が正しいのではないか。器用に地面すれすれで歩くようなそぶりで浮く敦斗に美桜は尋ねた。

「クレープの他には心当たりあるの?」
「うーん、そうだなー」

 腕を組み、考え込むようなポーズを取る。そして思いついたとばかりに敦斗は言った。

「遠足に行きたかった」
「遠足?」
「そう。来月親睦を深めるための遠足あるだろ。あれ」

 そういえばそんなものもあった気がする。美桜はおぼろげにしか覚えていない来月の予定をなんとか思い出す。たしか、隣の市にある大型のテーマパークに行く予定だった。それに行きたかった、と敦斗は言っているのだ。
 有り得なくは、ない。ないのだけれど、成仏できない未練だと言われると疑いたくもなる。けれど、本人が言うからにはきっとそうなのだろう。

「あのテーマパークにさジンクスがあるんだ」
「ジンクス?」

 敦斗がポツリと呟いた。敦斗は空を見上げ、遠くを見つめていた。その表情がなぜか寂しそうに見えた。

「そ。好きな奴と一緒に回ると両思いになれる、それから観覧車の中で告白すると上手く行くっていうのがさ。あ、べ、別に信じてるわけじゃないぞ。でもちょっとぐらい後押ししてもらいたいっていうか、なんというか。絶対に俺なんて好きになってもらえないってそう思ってたから、さ」
「そう、なの?」

 美桜から見ると心春は敦斗のことを好きなように思う。けれど当の本人である敦斗はそれに気づいていないのかも知れない。そうなるともっと早くに告白しておけば今頃はこんなふうに未練を残して漂うこともなかったのに、と思ってしまうと気の毒というかなんというか。

「なんだよ」
「別に」

 ジッと見ていたのに気づいたのか、敦斗は眉をひそめた。美桜は慌てて誤魔化すように前を向く。夕日が沈み始め、そろそろ日が暮れる。この時間に誰かとこんなふうに外を歩くのはいつぶりだろう。そうだ、あの頃――。

「前もさ、こうやって一緒に歩いたよな」
「え?」
「えってなんだよ。忘れたのか?」
「ち、違うよ。忘れてない」

 美桜が首を振り否定すると敦斗は「ホントか?」と疑わしそうな視線を向けた。忘れるわけがない。それどころか同じことを考えていた、とは恥ずかしくて言えなかった。
 あの頃、敦斗と二人で病院から歩いた道のりで見た夕焼け、今日の夕焼けはそれとよく似て見えた。
 もしもあのとき、何かが違っていれば今もこうやって二人並んで歩けていたのだろうか。そんなこと考えても仕方がないのについ想像してしまう。あの日、美桜が転んでいなければ、敦斗が祖母の死に間に合っていれば。もしかしたら違う未来が、あったのかもしれない、と。

「俺、なんで死んじまったんだろ」
「敦斗……」
「なんて、な。夕日見て感傷的になるなんて俺ヤバいな!」

 へらへらと笑う敦斗に美桜の胸は痛む。そんな顔で笑わないで。
 美桜は手のひらを握りしめると、敦斗に言った。

「私にできることなら何でもするから! 遠慮なく言ってね!」
「美桜?」
「そりゃ生き返らせることはできないけど、でも敦斗の未練、ちょっとでも晴らしてそれで……それで……」

 笑って逝って欲しいから。
 喉の奥まで出かけたその言葉はどうしても言うことができなかった。未練がなくなれば敦斗はいなくなる。わかっていたはずなのに、その事実がどうしようもなく辛かった。


 それから数日、美桜は敦斗がそばにいるということが意外はいつも通りの学校生活を送っていた。時折、授業中に美桜を笑わせようとしたり頭上から「その問題間違ってる」と指摘したりすることがあったけれど、それ以上は何もなかった。
 そんなある日、LHR(ロングホームルーム)の時間に来月の遠足の班決めをすることになった。クラスに親しい人がいない美桜はこの時間が苦手だ。だいたいいつもあぶれた人同士で組むかどこかの空いているグループに最終的に組み込まれる。今日もそのつもりだった。けれど、周りが盛り上がっている中、机から離れない美桜に敦斗は言う。

「お願いがあるんだけど」
「え?」

 普通のトーンで返事をしそうになって、美桜は慌てて口を押さえる。幸い、周りは誰と班を組むかできゃっきゃしていて美桜の声なんて聞こえていないようだった。それでも変に思われないように口元を隠したまま小声で返事をする。

「お願いってなに?」
「あのさ、遠足のグループなんだけど心春たちのところに入ってくれない?」

 どうして、と聞き返そうとして敦斗が心春のことを好きだったことを思い出した。一緒に遊園地を回りたいと思っていたことも。別に美桜のそばにいないで遠足の間中、心春のそばにいればいいのでは、と一瞬思ったけれど、それでは味気ないのかもしれない。
 美桜は心春たちの方へと視線を向ける。心春はクレープ屋で一緒にいた宇田やいつも一緒に騒いでいる子達とグループを組むようだ。男子が一緒にグループじゃないだけマシ、かもしれない。それでもあの輪の中に今から入っていくのは。
 美桜は視線を敦斗へと戻す。敦斗は美桜ではなく心春たちをジッと見つめていた。一緒に、回りたい、よね。

「や、ごめん。無理だったら――」
「……わかった」
「え?」

 クラスを見てもあぶれているのは美桜だけで、どうせどこかのグループには入れてもらわなければならないのだ。それが心春達のグループになるだけのこと。
 美桜は立ち上がると、心春達がいる教卓の方へと足を進めた。ざわついていたはずの教室がどこか静かになった気がする。みんなが美桜を見ているのではないか。そう思うと、今すぐ自分の席に戻りたくなる。けれど、美桜以上に不安そうな表情を浮かべている敦斗に大丈夫だよ、と伝えるように小さく頷いた。

「あ、あの」

 緊張して声が裏返る。震える手を隠すようにぎゅっと握りしめた。美桜の声が聞こえたのか不思議そうに心春が振り返った。

「どうしたの?」
「えっと、その」

 心春につられるように他の女子もこちらを見た。その視線が怖くて思わず目を逸らしそうになる。けれど、そらした先にいるのは敦斗だ。美桜が敦斗にできることなんてこれぐらいなんだから、勇気を出すんだ。
 不躾な視線を感じながらも、美桜は何とか口を開いた。

「は、班に、入れて、もらえない、かな」
「え?」

「いいよ」でも「いやだ」でもなく聞き返されてしまうのが一番辛い。せっかく勇気を振り絞って言った言葉をもう一度言わなければいけないのだ。やっぱり何でもない、とこのまま回れ右して戻りたい。戻りたい、けれど……!

「わた、しも上羽さんたちの班に入れて欲しいの。ダメ、かな」

 今度こそきちんと届いたはずだ。恐る恐る顔を上げ、心春達を見る。困惑した表情の宇田や他の女子の中で、心春だけは真っ直ぐに美桜を見つめていた。そして、笑顔を浮かべた。

「いいよ」
「え、心春。なんで」
「何でってクラスメイトじゃん。それとも美咲はやだ? 反対?」
「べ、別にやだってわけじゃないけど」

 やだと大っぴらに言えないけれど歓迎はしない、そんな不満が聞こえて来そうな表情で美咲と呼ばれた女子は言う。他の子達も概ね美咲と同じ意見なのだろう。顔を見合わせて「でも……」とか「やっぱり……」とかこそこそ言い合っている。ただそんな女子の中で宇田だけは「まあいいんじゃない?」と肩をすくめて言った。

「え、なんで?」

 宇田の言葉に美咲はあからさまに嫌そうな表情を浮かべる。リーダー格である心春に対しては言えなくても宇田になら言える、というようなよくわからない序列があるようだ。けれどなんでと尋ねられた宇田はさも当たり前とでも言うように数を数え始めた。

「だって私に、心春に美咲。それから百合に静香でしょ。岡野、六人グループを組むようにって言ったんだからあと一人いるじゃん」
「それは、そうだけど」

 男女ともにが十八人ずつということもあり、岡野はあまりが出ないように六人グループにしたようだ。それでも美咲は不服そうで「でも」とか「だって」とか言っていた。そんな美咲に宇田は続ける。

「それともあそこで余ってる橋本連れてくる?」

 指さす方を見ると、美桜と同じように余ってしまっている橋本という男子の姿があった。おそらくどこかの男子グループが五人になっているはずだが、誰も誘うことなく放置されたおかげで一人だけポツンと残る形になっていた。

「俺が死んだから、一人足りないんだよな」

 舌打ちをする敦斗にそういうことかと美桜はようやく気づいた。男子の人数も女子と同じで十八人なので男女混合の班ができない限り余る人は出ない。けれど今は敦斗が亡くなったので全員で十七人だ。必然的に一組は五人の組ができる。なので今五人しかいないグループ二つはどちらかは橋本を入れ、どちらかはそのままのメンバーで問題ないことになる。その押し付け合いを今しているようだ。

「ああいうの、俺すっげー嫌いだわ」

 敦斗が苛ついているのが目に見えてわかった。そして。

「俺が死んでなければ、こんなくだらないことも起きなかったのにな」

 ポツリと呟いた敦斗の言葉に胸が痛む。美桜にできることは何かないのだろうか。

「……わかった」

 美桜が必死に考えている間に、美咲は諦めたようで心春が同じ班になることを受け入れてくれた。受け入れた、というよりは橋本と天秤にかけた結果、美桜の方がマシだと判断したようだったけれど。

「んじゃ、先生に言ってくるね」

 そう言って班のメンバーを先生に報告に行こうとする心春を美桜は呼び止めた。

「あ、あの」
「え?」
「ありがとう」
「……別に、クラスメイトだしね」

 そう言いながら心春は橋本へと一瞬視線を向けた。もしかしたら心春も敦斗と同じように橋本のことを気にしているのかも知れない。同じことを考える二人に、目には見えない結びつきがある気がして、胃の奥の辺りが重くなるのを感じる。この感覚は一体何なんだろう。

「どうしたの?」
「え、あ。えっと」

 不思議そうにする心春に、何を言えばいいのだろう。

「……もしかして橋本のこと?」
「え? ……うん」

 それだけではないけれど、でも間違っているわけではないので素直に頷いた。心春は岡野の元へ報告に行くため歩き出したので、自然と美桜もその隣を歩く。

「私も気になってるんだけどね。……敦斗がいたら、あんなことにはならなかっただろうな」
「……敦斗が」
「ん?」
「敦斗が生きていたら、なんて言ったと思う?」

 美桜の問いかけに、少し考えるそぶりをしてから心春は言った。

「くだらねえことすんなよ、かな」

 凄い、その通りだよ。思わずそう言いそうになって、でもそんなこと言えなくて美桜は「っぽい」と小さく笑った。
 先に他の女子グループが報告に来ていたのでその後ろに心春と美桜が並ぶ。相変わらずざわついている教室で、心春は気まずそうな表情を浮かべて言った。

「さっきの、さ。前に敦斗に言われたんだ」
「え?」
「高校入ってすぐのオリエンテーション覚えてる? あれで班決めするときにさ外崎さんぼっちになってたでしょ」

 そういえばそんなこともあったような気がする。けれど別にハブにされていたわけではなく、美桜自身が誰とも組もうとしなかったのだ。けれどそう思っていたのは美桜だけで、他人から見ればハブられていると見えていたらしい。

「あのとき、別に私たちには関係ないし最終的に岡野が何とかするでしょって思ってたんだけど、そしたら敦斗が小さい声で「くだらねえことすんなよ」って言ってたの」
「敦斗が……?」

 そんな話、知らない。思わず空中を漂う敦斗を見るけれど、そっぽを向いたままこちらを見ることはなかった。

「そのあと敦斗が岡野に「入学したばっかで知らない人も多いから自由に組めと言われても難しいです」って言ってね、それで出席番号順に班を組むことに決まったの」
「私、そんなの知らなかった」

 美桜の言葉に、心春は寂しそうに微笑む。

「敦斗のいいところ、死んじゃう前に知ってあげてほしかったな」
「あ……っ」

 美桜が何か言おうとしたとき、前の子たちが報告を終え自分の席に戻っていく。心春は岡野に美桜を含めた六人の名前を伝え席に戻ろうとした。

「あ、あの。橋本君のこと……」
「……言わないよ」
「どうして?」
「私は、敦斗じゃないから」

 そう言われてしまうと、何も言えない。敦斗だからできた。美桜も心春も敦斗ではない。敦斗ではないけれど。

『敦斗が岡野に「入学したばっかで知らない人も多いから自由に組めと言われても難しいです」って言ってね、それで出席番号順に班を組むことに決まったの」』

 心春の言った言葉が脳裏を過る。敦斗はもういない。でも、敦斗に助けられた美桜はここにいる。

「せ、先生」
「ん?」

 突然話しかけてきた美桜に、岡野は驚いた様子だった。無理もない。入学して二ヶ月以上が経つが、美桜が自分から岡野に声をかけたのは初めてだった。

「あの……えっと」
「どうした? 上羽たちが組んでくれたんだろう? よかったな」
「えっと、はい。で、でも私のことじゃなくて」

 言葉が上手くまとまらない。なんと言えばいいのだろう。

「あの……」

 ふと気づくと、隣に敦斗が立っていた。まるで俺がついていると言わんばかりに美桜の隣に立つ敦斗の存在に、勇気をもらった。
 美桜は手のひらをぎゅっと握りしめると、呼吸を整え岡野の目を真っ直ぐに見つめた。

「あの……! あつ……細村君が亡くなったので男子の人数が、その、六で割り切れない数になっちゃってて……えっと、上手く組めなくなってるみたいなんです」
「ん? ああ、そうか。――たしかに、そうみたいだな」

 教室の奥、一人立ち尽くしたままになっている橋本の方に視線を向けると岡野は一瞬目を細めた。そして頷くと声を張り上げた。

「まだ決まってないのか? さっさと決めて報告に来いよ。来たところからバスの席順決めるぞ」
「え、ちょ、待ってよ」
「待たないああ、そうだ。男子は一人足りないだろ。余ったところ先生が入るからな」
「はぁ!?」

 岡野の一言で男子達は慌てて橋本を確保に行った。さながら橋本の争奪戦に発展した教室を見ながら、教師というのは意外と生徒のことをちゃんと見ているのだと思い知らされる。どういえば生徒がどう動くかなんて岡野にはわかりきっていることなのかもしれない。

「まあ、これで大丈夫だろ」
「ありがとうございます」
「……外崎は大丈夫か?」
「え?」
「何かあればいつでも言えよ」

 それは班決めのことなのかもしれない。もしくはクラスで浮いていることなのかもしれない。どちらにしても岡野が美桜を心配してくれていることに他ならない。
「ありがとうございます」と礼を言い、美桜は自分の席へと戻る。一人席に着いた美桜の机に腰掛けるように浮かぶと、敦斗はニッと笑った。

「お前、やるじゃん」
「……別に」
「褒めてんのに、素直じゃないな」

 ふっと笑った敦斗の表情は優しくて、どこか遠くを見ているようだった。

「ねえ、敦斗」

 美桜は小声で尋ねる。

「今、何を考えてる?」

 美桜の問いかけに、敦斗は目を閉じた。
 
「……寂しいなって」
 
 美桜は自分が尋ねたことがどれだけ残酷なことだったか、辛そうに言う敦斗の表情を見て初めて気づいた。
 寂しくないわけがない。たった数日前までこの教室には当たり前のように敦斗がいて、敦斗の居場所があった。友達と笑い合い、バカやって暮らすのムードメーカーだった。
 なのに、今この教室に敦斗はいないことにされている。美桜以外の誰にも見えない敦斗のことを、みんなが忘れたわけじゃない。それでもみんな敦斗のいない日々を当たり前のように生きている。これが寂しくないわけがない。辛く、悲しいわけがない。

「私に、何かできること、あるかな」
「……楽しんで」

 その一言は、美桜にとって思い一言だった。

「俺の分まで、楽しんで」

 わかった、と言い切る自信は美桜にはない。だから。

「頑張る」

 それが美桜に言える最大限の言葉だった。けれど敦斗はそんな美桜の言葉に嬉しそうに微笑んだ。