目を覚まして以来、ふらりとひとりで密かに訪れる場所がある。

 駅から少し離れた交差点。特別へんぴな場所というわけでもないけれど、メインの通りからずれているためか、あまり人や車の往来は多くない。

 ここが、私が事故に遭った場所だと聞いた。

 交差点の角のガードレールに、車がぶつかったような形跡がある。それが自分の事故の時のものだったら嫌だな、と思った。話を聞くのと違い、その痕跡をこの目で見てしまうというのは妙に生々しさが漂って、気分が悪くなる。

 何度かこの場所に立ってみても、事故の前後のことを思い出すことはなかったから、本当に私はここでそんな大変な目に遭ったのかと、不思議に思ってしまう。

 それでもここに足が向いてしまうのはどうしてなんだろう。思い出したい、と思ってるわけじゃないのに。

 似た感覚を、別の場面で感じた覚えがある。しばらく考えて、そうだ、と思いついた。

 落とし物、だと思った。持っていたはずのものをなくしたことに気づいて、その日歩いた道を、記憶を巻き戻して探し歩く。どこにあるのかわからないけど、どこかにあるはずだという気持ちと、大事なものがそこにないという漠然とした不安。それを探し求めてさまよっている時と、ちょうど同じような気持ちになっている気がした。

 私は、何を探しているんだろう。

 自問してみたけど、正直わからなかった。

 ただ目覚めてからずっと、どこか自分の一部分を失ったようで―確かに、脳という臓器自身をなくしてはいるのだけど、それも少し違うような気がして、心がざわついて落ち着かない、と思うことはあった。

 たぶん、私が無意識に探しているのは、自分の欠片なのだと思う。

 記憶と呼べるほど確かなものではないけれど、眠っている間の途切れてしまった時間を埋めるように、自分の中に染みついたように残っているものがある。

 それは、形のない無だった。どれほどの時間かもわからない、どれぐらい深いのかもわからない、ただどこまでも広がる深海のように。私はきっと、そんな場所にいた。

 そしてそこから抜け出した時に、私は私ではなくなってしまったんじゃないかと、何かを落としてきてしまったんじゃないかと、ふと不安になる。

 そんなことを考えてしまうけど、とても言葉にはできなかった。だから誰にも、琴美にもまだ言っていない。言葉にしたら、誰かに話したら、また心配かけてしまうかもしれないし。

 ふと、手のひらを自分自身に向けてみる。手のひらを、足を、身体を、自分の目で見ることのできる自分自身をじっくりと観察する。

 私、私だよね?

 自分でも何を言ってるんだろうと思うけど、そんな疑問を感じられずにいられなかった。

 私は、高山雪穂。自分の名前を心の中で言い聞かせるように繰り返す。何にも言い表せない、名前の見つからない不安にも似た気持ちを振り払うように。

 交差点でしばらくの間立ち尽くした後、私はさまようように、足が向くままに歩を進める。

 駅前の広場、その中心には大きな桜の木が生えている。今は緑の葉が青々と茂っているけど、春には満開に咲き誇って街全体をピンク色に染めてくれる。私はその満開の桜を見るのが毎年楽しみだったけど、今年は眠っていたから見られなくて残念だった。

 その桜の木を囲うように設置された、円形のベンチまで私の身体は運ばれて、ゆっくりとそこへ腰を下ろした。

 夕暮れ時の静かな喧騒。ざわりと揺らぐ木々の葉。頬をなでる風が気持ちよくて、ようやく自分がこの世界に根付いていると感じる。目や耳や、肌で感じるすべてのものが、私に生きている心地をくれる。

 少しだけ、私が見えた気がした。

「……あっ」
 気づくと、私の隣にひとりのおばあさんが腰を下ろしていた。

 その人と会うのは初めてじゃない。私がこの場所にやってくると、まるで待っていたかのように私の側に座る。私に声をかけることも、何かを話すわけでもなく。

 おばあさんは私に向かってにこりと笑みを浮かべると、そっと手を差し出してくる。

 その手の中に、いつも飴玉を握りしめて。

 私は飴玉を受け取って、小さく会釈をする。何だか不思議な感覚だった。まるで覚えはないけど、でも幾度となく繰り返しているような。

 それからおばあさんは、私の方を一度も見なくなる。流れる景色を、映画でも見ているかように、ただまっすぐ一点に視線を向ける。でもその表情はずっと、柔らかい笑顔のままだった。

 しばらくおばあさんと一緒に景色を眺めた後、私はそれじゃあ、と言って立ち上がり帰路につく。おばあさんは何も言わないし、手も振らないし、私を見ることもしない。

 でも、次に私がここにやってきたらまた会えるような、そんな気はしていた。

 歩きながら、もらった飴玉を口に放り込む。今日はイチゴ味。甘い香りが口の中にじわりと広がる。

 小さい頃に、もう亡くなってしまった祖母によくもらった飴も確かこんな味。優しく頭をなでられているような、懐かしくて温かい記憶が甦るようだった。