私が家に閉じこもっている間に、太陽はより熱く輝く季節になっていた。カレンダーは七月から八月に、最高気温もずっと高止まりしていて、日陰を歩いていても汗が噴き出してくる。しばらく直射日光に当たっていなかった私の身体はすぐに対応できなくて、暑さですぐにだるくなる。いや、夏は毎年そんな感じだったかなと、思い返した。
喫茶店に入ると、ほどよく冷えた空気で身体の火照りが冷める。このお店はいつ来ても居心地がよくてほっとする。たぶん私や琴美が知るずっと前から、この佇まいはずっと変わらずにいるんだろうなと思う。
食べ慣れたジャンボサイズのパフェ。舌の上に転がしたバニラアイスがじんわりと溶けて染み込んでいくと、甘さと冷たさでキンと目が覚める。
食べながら、琴美は連絡をまったく取っていなかったここ数日のことを話してくれた。どこに行ったとか、夏休みの課題をどこまで進めたとか、取り留めのない、いつもどおりの日常の話。私には話せることがほとんどなかったから、何でもないことでも琴美が楽しそうに話してくれるのが嬉しかった。
食べ終わってしばらくすると、さすがに話題が尽きたのか、しだいに琴美の口数も少なくなり、私から目線を外すことが多くなる。しかたないよねと思いつつ、琴美にばかり話をさせるのも申し訳なくなって、私も必死で話題を探した。
すると、ふいに琴美が神妙な表情で口を開く。
「あのさ……実は、愁も呼んであるの」
「えっ」
私は思わず言葉を失う。
「愁も、すごく心配してたよ」
うん、と私はうなずく。そういえば、あの時は一瞬でも琴美のことを忘れたことがショックで、これまで経験したことがないくらい狼狽していた。余裕なんて全然なかったし、むしろ拒絶したような態度で終わっていたんだ。私は琴美に連れ添ってもらって病院に行ったけど、愁くんはおばあさんが一緒だったこともあって、その場所で別れたからそれっきりだ。
「あの時の話を蒸し返すわけじゃないよ? でも、あれから連絡も取れなくて、愁がすごく心配してたのは確かだし、雪穂がどうするにしても……ちゃんと、話はした方がいいよ」
私はもう一度うなずく。
「あの時はごめんね、琴美。私、自分勝手だったよね。ちゃんと話をしたわけでもないのに、勝手に好きになって、勝手にショック受けて、琴美にやつあたりまでしてさ」
琴美に対してのあの態度は本当に反省しているし、今にして思えばすごく恥ずかしい。
でも琴美は何も気にしてないよというように、笑った。
「何言ってんの、雪穂。恋なんて、そもそも自分勝手なんだよ」
その時、店のドアが開いて、愁くんが姿を現した。
琴美が私の隣に移動して座り直し、愁くんは私たちと向かい合う格好で座って、コーヒーを注文する。私と琴美も、空っぽになったパフェグラスを返して、それぞれ飲み物を追加した。
「久しぶり、雪穂。身体の調子、どう?」
どこから話そうかと悩んでいた私を察してか、愁くんが話を切り出した。
少し距離を測りかねているような聞き方。身体の調子、なんて言っても、私の頭の中のことを心配しているのは間違いない。それはそうだよね、あんな状態を最後に連絡取れなくなったら誰だって心配する。
私はその心配に応えるように、にこりと笑顔を浮かべる。
「うん。大丈夫――とは言えない、かな。残念だけど」
そのまま最後まで言えたらよかったけど、言葉と共に、せっかく浮かべた笑顔は消えた。愁くんには、嘘や強がりを言いたくない。ちゃんと本当のことを伝えることが、ちゃんと向き合うってことだ。愁くんの気持ちにも、自分の気持ちにも。
「どういう……こと?」
愁くんの表情が強張る。
私はあの日病院に行ってから言われたこと、ずっと家に閉じこもっていたこと、今日琴美のおかげでようやく外に出てこられたことを順を追って話した。私が話し終わるまでの間、愁くんは一言も発さず、うなずくこともできずに、ただ泣きそうな表情を深めるようにしてじっと聞いていた。
「そういうわけなの。だから、ごめんね、ずっと連絡できなくて」
私はそう言って、小さく頭を下げる。お母さんからスマホを受け取った時、中身を見てみると、琴美と同じくらい愁くんからも何度も電話やメッセージが送られていた。メッセージのどれもが、私を気遣うものばかりだった。
「そんなの、気にしなくていいよ。それより……雪穂がそんな大変なことになってたなんて。ひょっとして、水族館に行った時から?」
さすがに愁くんは察しがいい。私はごまかさず、うん、と答えた。
「あの時はちょっと違和感があったぐらいだったから、私も気がつかなかったけどね」
愁くんが自分のせいだと責任を感じることがないように、私は苦笑いを浮かべるようにして言った。
「それで、雪穂はどうするの? 元の状態に……って」
その問いに、私はしばらく言葉を詰まらせた。そして結局明確な答えを出すことはできず、ゆっくりと首を横に振る。
「……さっき琴美にも言ったけど、やっぱりわかんない。どっちにも決められなくて、でもこうして動けるうちは、もう閉じこもっていたりはしたくない。いつか……ううん、そう遠くないうちに、決めなくちゃいけないのかもしれないけど」
井田先生が言っていたように、たぶん、いつ何が起こっても不思議じゃない。だから取り返しがきかないことになる前に、覚悟を決めなきゃいけないんだ。このまま記憶を失う覚悟で今の生活を続けるのか、目覚める保証のないまま、また眠りにつくのか。
琴美が私に言ってくれた言葉は本当に嬉しいけど、琴美の気持ちを全力で信じていたいけど、やっぱり誰にも確かなことは言えない。ただの気休めでしかないことは私自身も、たぶん琴美も、十分わかっている。
「僕に……できることはない? 僕にできることだったら、何でもするよ」
愁くんが絶望にうつむきかけていた顔をくっと上げ、私にまっすぐ力強い視線を向ける。何でもするという言葉に嘘はない、そう思わせてくれるような眼差しだ。
嬉しい。相変わらず私は単純で、自分の境遇も顧みずそう思ってしまう。
やっぱり、嫌だな。もういいなんて、本心では思ってない。愁くんのことを好きだという気持ちを、初めて抱いたこの気持ちを、自分勝手でもいいから、一方通行でもいいから、このまま持っていたい。
ただ――
「愁くん。もう、いいんだよ」
私は、そう言った。
これ以上、愁くんに負い目を感じてほしくない。
「私の事故も、私のこの人工脳も、もちろん今の状況だって、愁くんのせいじゃないよ。愁くんは何も悪くない。おばあさんだって、悪くないよ。私はたぶん、できることをやっただけだし、おばあさんが助かって本当によかった。私はただ、運がよくなかっただけだもん。いや、人工脳のおかげで目を覚ませた分、むしろ運はよかったのかな? でも、だからさ、愁くんは私のことに責任を感じる必要なんてない。愁くんは優しかったよ。勉強教えてくれたり、励ましてくれたり、勇気づけてくれたり、水族館も本当に楽しかった。もう、十分だよ。だから、だからね――」
もう、私のことは構わなくていいよ。
そう言おうとしたけど、どうしてもその言葉が出てこない。
言わなきゃ。言って、愁くんを楽にしてあげなきゃ。絞り出そうとすればするほど喉の奥が熱くて、唇が震える。すると――
「十分なんかじゃ、ないよ」
愁くんが、私の言葉を否定するようにそう言った。
「確かに、最初は祖母を助けてくれたお礼がしたくて、その場にいられなかった罪悪感もあって、何かできることをしようと思った。けど、今はそんなんじゃない。それははっきりと言える。一緒に勉強して、一緒にパフェを食べて、すごく楽しかった。雪穂は僕にとってもう大事な友達だよ。その友達が、今現実に大変な状況にあって、何も思わないわけないじゃないか。僕はまだ雪穂と出会って数ヶ月しかたってなくて、琴美ほど積み重ねてきたものも、してあげられることも少ないのかもしれないけど―でも、できることをしたい」
愁くんが身を乗り出すように、より一層強く目に、言葉に力を込めた。
本当に、嘘をつかないよね、愁くんは。単純だから私はそう思ってしまうし、信じてしまう。
友達。友達かぁ。わかっていても、その言葉は少し残念。でも、いいんだ。それでも私には、十分なんだ。もう、言おうとして言えなかった言葉を言わなくてもいいから。私にもう少しだけ、わがままを言ってもいいと許されたような気がしたから。
「……朝日」
「えっ?」
「約束した……朝日を見に行きたい」
私の目から、涙がこぼれだしていた。飲み込んだ言葉の代わりに、私のわがままが口をついて出た。
ほんの気まぐれの口約束だったかもしれないけど、それでもあの瞬間私は、これまで感じたことがないほどドキドキして、でも最高に幸せだった。
このまま生きるのか、眠るのか、どちらにも決められず覚悟ができなかった理由は、それかもしれない。その心残りを、うやむやにしたくなかったからだ。
本当に私はわがままで自分勝手。神さまがいたら怒られてしまうかもしれない。
でも、お願い。これだけは叶えさせてほしい。
もう少し、もう少しでいいから、このまま何も起こらずいてほしい。
どうか――と、私は祈る気持ちでこぼれ落ちる涙を見つめていた。
「わかった。行こう、雪穂。約束したからね」
愁くんが力強くはっきりと、そう言った。
「……うん」
嬉しくて、しかたなかった。私は目の辺りを拭いながら、今度は自然と笑顔が浮かんだ。
「じゃあ、さっそく予定を決めよう。行くなら、早い方がいいでしょ?」
愁くんがスマホを取り出しながら、そう尋ねる。
「えっと……」
「それなら、来週にしない?」
それまで黙って聞いていた琴美が、ふいにそう言った。
「来週?」
「うん。来週、雪穂の誕生日でしょ」
「あっ……」
そういえば、しばらくカレンダーも見ていなかったから曜日感覚もなくて、すっかり忘れていた。
「一緒に祝おうよ。素敵な景色を眺めながらさ」
「……うん!」
琴美の手が、そっと私の肩に触れる。私は強くうなずいた。
喫茶店に入ると、ほどよく冷えた空気で身体の火照りが冷める。このお店はいつ来ても居心地がよくてほっとする。たぶん私や琴美が知るずっと前から、この佇まいはずっと変わらずにいるんだろうなと思う。
食べ慣れたジャンボサイズのパフェ。舌の上に転がしたバニラアイスがじんわりと溶けて染み込んでいくと、甘さと冷たさでキンと目が覚める。
食べながら、琴美は連絡をまったく取っていなかったここ数日のことを話してくれた。どこに行ったとか、夏休みの課題をどこまで進めたとか、取り留めのない、いつもどおりの日常の話。私には話せることがほとんどなかったから、何でもないことでも琴美が楽しそうに話してくれるのが嬉しかった。
食べ終わってしばらくすると、さすがに話題が尽きたのか、しだいに琴美の口数も少なくなり、私から目線を外すことが多くなる。しかたないよねと思いつつ、琴美にばかり話をさせるのも申し訳なくなって、私も必死で話題を探した。
すると、ふいに琴美が神妙な表情で口を開く。
「あのさ……実は、愁も呼んであるの」
「えっ」
私は思わず言葉を失う。
「愁も、すごく心配してたよ」
うん、と私はうなずく。そういえば、あの時は一瞬でも琴美のことを忘れたことがショックで、これまで経験したことがないくらい狼狽していた。余裕なんて全然なかったし、むしろ拒絶したような態度で終わっていたんだ。私は琴美に連れ添ってもらって病院に行ったけど、愁くんはおばあさんが一緒だったこともあって、その場所で別れたからそれっきりだ。
「あの時の話を蒸し返すわけじゃないよ? でも、あれから連絡も取れなくて、愁がすごく心配してたのは確かだし、雪穂がどうするにしても……ちゃんと、話はした方がいいよ」
私はもう一度うなずく。
「あの時はごめんね、琴美。私、自分勝手だったよね。ちゃんと話をしたわけでもないのに、勝手に好きになって、勝手にショック受けて、琴美にやつあたりまでしてさ」
琴美に対してのあの態度は本当に反省しているし、今にして思えばすごく恥ずかしい。
でも琴美は何も気にしてないよというように、笑った。
「何言ってんの、雪穂。恋なんて、そもそも自分勝手なんだよ」
その時、店のドアが開いて、愁くんが姿を現した。
琴美が私の隣に移動して座り直し、愁くんは私たちと向かい合う格好で座って、コーヒーを注文する。私と琴美も、空っぽになったパフェグラスを返して、それぞれ飲み物を追加した。
「久しぶり、雪穂。身体の調子、どう?」
どこから話そうかと悩んでいた私を察してか、愁くんが話を切り出した。
少し距離を測りかねているような聞き方。身体の調子、なんて言っても、私の頭の中のことを心配しているのは間違いない。それはそうだよね、あんな状態を最後に連絡取れなくなったら誰だって心配する。
私はその心配に応えるように、にこりと笑顔を浮かべる。
「うん。大丈夫――とは言えない、かな。残念だけど」
そのまま最後まで言えたらよかったけど、言葉と共に、せっかく浮かべた笑顔は消えた。愁くんには、嘘や強がりを言いたくない。ちゃんと本当のことを伝えることが、ちゃんと向き合うってことだ。愁くんの気持ちにも、自分の気持ちにも。
「どういう……こと?」
愁くんの表情が強張る。
私はあの日病院に行ってから言われたこと、ずっと家に閉じこもっていたこと、今日琴美のおかげでようやく外に出てこられたことを順を追って話した。私が話し終わるまでの間、愁くんは一言も発さず、うなずくこともできずに、ただ泣きそうな表情を深めるようにしてじっと聞いていた。
「そういうわけなの。だから、ごめんね、ずっと連絡できなくて」
私はそう言って、小さく頭を下げる。お母さんからスマホを受け取った時、中身を見てみると、琴美と同じくらい愁くんからも何度も電話やメッセージが送られていた。メッセージのどれもが、私を気遣うものばかりだった。
「そんなの、気にしなくていいよ。それより……雪穂がそんな大変なことになってたなんて。ひょっとして、水族館に行った時から?」
さすがに愁くんは察しがいい。私はごまかさず、うん、と答えた。
「あの時はちょっと違和感があったぐらいだったから、私も気がつかなかったけどね」
愁くんが自分のせいだと責任を感じることがないように、私は苦笑いを浮かべるようにして言った。
「それで、雪穂はどうするの? 元の状態に……って」
その問いに、私はしばらく言葉を詰まらせた。そして結局明確な答えを出すことはできず、ゆっくりと首を横に振る。
「……さっき琴美にも言ったけど、やっぱりわかんない。どっちにも決められなくて、でもこうして動けるうちは、もう閉じこもっていたりはしたくない。いつか……ううん、そう遠くないうちに、決めなくちゃいけないのかもしれないけど」
井田先生が言っていたように、たぶん、いつ何が起こっても不思議じゃない。だから取り返しがきかないことになる前に、覚悟を決めなきゃいけないんだ。このまま記憶を失う覚悟で今の生活を続けるのか、目覚める保証のないまま、また眠りにつくのか。
琴美が私に言ってくれた言葉は本当に嬉しいけど、琴美の気持ちを全力で信じていたいけど、やっぱり誰にも確かなことは言えない。ただの気休めでしかないことは私自身も、たぶん琴美も、十分わかっている。
「僕に……できることはない? 僕にできることだったら、何でもするよ」
愁くんが絶望にうつむきかけていた顔をくっと上げ、私にまっすぐ力強い視線を向ける。何でもするという言葉に嘘はない、そう思わせてくれるような眼差しだ。
嬉しい。相変わらず私は単純で、自分の境遇も顧みずそう思ってしまう。
やっぱり、嫌だな。もういいなんて、本心では思ってない。愁くんのことを好きだという気持ちを、初めて抱いたこの気持ちを、自分勝手でもいいから、一方通行でもいいから、このまま持っていたい。
ただ――
「愁くん。もう、いいんだよ」
私は、そう言った。
これ以上、愁くんに負い目を感じてほしくない。
「私の事故も、私のこの人工脳も、もちろん今の状況だって、愁くんのせいじゃないよ。愁くんは何も悪くない。おばあさんだって、悪くないよ。私はたぶん、できることをやっただけだし、おばあさんが助かって本当によかった。私はただ、運がよくなかっただけだもん。いや、人工脳のおかげで目を覚ませた分、むしろ運はよかったのかな? でも、だからさ、愁くんは私のことに責任を感じる必要なんてない。愁くんは優しかったよ。勉強教えてくれたり、励ましてくれたり、勇気づけてくれたり、水族館も本当に楽しかった。もう、十分だよ。だから、だからね――」
もう、私のことは構わなくていいよ。
そう言おうとしたけど、どうしてもその言葉が出てこない。
言わなきゃ。言って、愁くんを楽にしてあげなきゃ。絞り出そうとすればするほど喉の奥が熱くて、唇が震える。すると――
「十分なんかじゃ、ないよ」
愁くんが、私の言葉を否定するようにそう言った。
「確かに、最初は祖母を助けてくれたお礼がしたくて、その場にいられなかった罪悪感もあって、何かできることをしようと思った。けど、今はそんなんじゃない。それははっきりと言える。一緒に勉強して、一緒にパフェを食べて、すごく楽しかった。雪穂は僕にとってもう大事な友達だよ。その友達が、今現実に大変な状況にあって、何も思わないわけないじゃないか。僕はまだ雪穂と出会って数ヶ月しかたってなくて、琴美ほど積み重ねてきたものも、してあげられることも少ないのかもしれないけど―でも、できることをしたい」
愁くんが身を乗り出すように、より一層強く目に、言葉に力を込めた。
本当に、嘘をつかないよね、愁くんは。単純だから私はそう思ってしまうし、信じてしまう。
友達。友達かぁ。わかっていても、その言葉は少し残念。でも、いいんだ。それでも私には、十分なんだ。もう、言おうとして言えなかった言葉を言わなくてもいいから。私にもう少しだけ、わがままを言ってもいいと許されたような気がしたから。
「……朝日」
「えっ?」
「約束した……朝日を見に行きたい」
私の目から、涙がこぼれだしていた。飲み込んだ言葉の代わりに、私のわがままが口をついて出た。
ほんの気まぐれの口約束だったかもしれないけど、それでもあの瞬間私は、これまで感じたことがないほどドキドキして、でも最高に幸せだった。
このまま生きるのか、眠るのか、どちらにも決められず覚悟ができなかった理由は、それかもしれない。その心残りを、うやむやにしたくなかったからだ。
本当に私はわがままで自分勝手。神さまがいたら怒られてしまうかもしれない。
でも、お願い。これだけは叶えさせてほしい。
もう少し、もう少しでいいから、このまま何も起こらずいてほしい。
どうか――と、私は祈る気持ちでこぼれ落ちる涙を見つめていた。
「わかった。行こう、雪穂。約束したからね」
愁くんが力強くはっきりと、そう言った。
「……うん」
嬉しくて、しかたなかった。私は目の辺りを拭いながら、今度は自然と笑顔が浮かんだ。
「じゃあ、さっそく予定を決めよう。行くなら、早い方がいいでしょ?」
愁くんがスマホを取り出しながら、そう尋ねる。
「えっと……」
「それなら、来週にしない?」
それまで黙って聞いていた琴美が、ふいにそう言った。
「来週?」
「うん。来週、雪穂の誕生日でしょ」
「あっ……」
そういえば、しばらくカレンダーも見ていなかったから曜日感覚もなくて、すっかり忘れていた。
「一緒に祝おうよ。素敵な景色を眺めながらさ」
「……うん!」
琴美の手が、そっと私の肩に触れる。私は強くうなずいた。


