中間テストの結果が返ってきて、私は何とか全科目平均点前後を取ることができた。最低赤点回避なんてギリギリのハードルを課していたけど、思ったよりいい結果だったのでほっとしていた。
「雪穂、お疲れ様。がんばったね」
琴美が私の席までやってきて肩を叩く。ようやくテストから解放されて、心なしか琴美の表情も明るい。
「何とか乗り切ったよ、ありがとう、琴美」
私もほっとして、ずっと勉強を見てくれた琴美にお礼を言うと、どういたしましてと琴美は笑顔を浮かべた。その様子だと、琴美も問題はなかったみたいだ。
「それで? 今日はこれからどうするの?」
テストが終わったら打ち上げをやろうと、前々から琴美と話していた。結果によっては慰めの会になるかもしれないと心配していたけど、晴れやかな気持ちで臨める。
「やっぱり、駅前のパフェかなぁ。ずっと我慢してたし」
「そう言うと思った。さっそく行こう」
琴美に手を引かれ、私は立ち上がる。
「あ、待って。あのさ、琴美。もうひとり誘っても……いいかな? お礼しなきゃって、ずっと考えてたの」
私が琴美に確認を取ると、概ね察したのか、琴美は嬉しそうに聞き返してくる。
「桜川くん?」
「うん」
「もちろんだよ。じゃあ、今から誘いに行こう」
そう言って、琴美が私の背後に回り込んで背を押す。心の準備はしていたつもりだったのに、一歩足を前に出す度に心臓の鼓動は早くなった。
目的の教室は隣。廊下からそっと覗いてみると、桜川くんはまだ教室にいた。幸い、教室には数えられるぐらいしか人は残っていなくて、桜川くんもひとりだったし、話しかけるチャンスだ。
琴美もそう思ったのか、ほら、と軽く肩をつつかれた。私はうなずいて、教室内に足を踏み入れる。ドアのレールをまたいだ瞬間、自分のクラスとまったく同じ造りなのに、まるで別世界に入り込んだみたいな気がしてさらに緊張が増す。私はこのクラスの人から見れば異分子だ。教室内の視線がすべて私に注がれているような怖さと戦いながら、振り払うように足早に桜川くんの席へまっすぐ進む。
「あのっ……桜川くん」
声をかけると、桜川くんがこちらを見上げ、そしてはっきりと驚いた顔をした。
「高山さん? 珍しいね、うちのクラスに来るなんて」
「あ、うん……」
珍しいどころか、入るのすら初めてだ。
「何か用? あ、テストどうだった?」
矢継ぎ早の質問のどれに答えたらと、元々の緊張に相まってよけいに混乱した。このままじゃいけないと、お腹の辺りを押さえながら小さく深呼吸をして整理する。その間桜川くんはにこにこと笑顔のままで待ってくれていた。
「えっと、ね、テストは大丈夫だったよ。思ったより、いい点取れた。桜川くんのおかげだよ、ありがとう」
しどろもどろになりながら、私は何とかお礼までの言葉を紡いだ。それを聞いて、桜川くんの笑顔はさらに輝きを増した。
「そっかぁ、よかったね。僕は結局そんなに教えてないし、単純に高山さんががんばったからだと思うよ」
そんなことない。テスト内容を思い返してみたら、桜川くんに教えてもらったところはしっかりと出ていたし、そこに時間がかからなかったから他の範囲を勉強する時間ができたことだってあったはずだ。でも、努力を褒めてもらえたことは素直に嬉しかった。
「あ、その報告に来てくれたの?」
桜川くんの言葉に、はっとする。褒められたことを噛み締めていたらつい言葉が止まってしまった。やっぱり会話って難しい。
「ち、違うよ! その……今から、ちょっと時間ある? 琴美とテストの打ち上げ行こうって言ってるんだけど……お礼したくて、その、よかったら一緒に」
まくし立てるように一気に言うと、桜川くんは目を見開いたままその表情を固めてしまった。急に言われて困ってしまっただろうかと不安になりながら、私もぐっと口を締めて桜川くんの返事を待った。
「……いいの?」
「え? あっ、うん。もちろん。琴美も賛成してくれたし」
桜川くんが信じられないような顔をしながら聞き返してきたので、私は念押しでうなずいた。そっか、この間連絡先の交換を断ったばかりなのに、急に誘ったりしたらびっくりするよね。
「ありがとう、じゃあ、ぜひ」
にこりと笑って桜川くんがそう言った。勇気を出して声をかけたのが無駄にならなくてよかったと、私は嬉しくなった。
どん、と重量感のある音がして私たちの目の前に大きなパフェが置かれ、私と琴美は歓迎の拍手をする。桜川くんも私たちに合わせて拍手をしていたけれど、顔には若干驚きの色が見えていた。
道中、私と琴美がよく食べに行くパフェだということを説明した。甘いものは好き? と尋ねたら好きだよと言っていたので安心したけど、初見だと大きさにびっくりしても無理はないと思う。
「二人は、これをよく食べに来るんだ?」
食べ進めながら、桜川くんが聞いた。
「月に二、三回くらいかな。桜川くんは、パフェとかよく食べる?」
「いや、あんまり。ひとりもそうだけど、男友達と一緒でも行く機会ってないからね。だから、正直に嬉しい。このサイズにはびっくりしたけど」
ちょっと気恥ずかしそうにしながらも、穏やかに笑って桜川くんはパフェを食べ続けている。でも無理していそうな雰囲気はちっとも見えないから、私たちに気を使っているわけでもなさそうで、ほっとした。
それからしばらくパフェを食べることに意識を傾けながら、テスト期間中の話とか、難しかった問題の話をした。順位は基本的には公表されず、クラス内だけでふんわりとしたニュアンスで伝えられるのだけど、桜川くんは今回も学年トップみたいだった。
私の努力を褒めてくれたけど、その裏で桜川くんも私以上に努力をしているんだろう。そうじゃないと毎回トップなんて取れないだろうし。
今回のテストは終わったけど、あと一ヶ月もすれば次のテストのためにまた私も努力しなくてはいけない。ちょっと気が重いけど、何だかやれそうな気はした。それが終われば球技大会、夏休みと楽しみなイベントが続くからがんばらないと。
「でもさ、ちょっと意外だったよ」
会話の途中で、ふいに琴美が口を開く。
「何が?」
「雪穂と桜川くんが話してるとこ、ちゃんと聞くの初めてだったけど、思ったより雪穂が慣れてるなって思って」
「えぇ……」
私は思わず引いた声を上げてしまった。普段の私の接し方はずいぶんとひどいものみたいだ。ちょっと自分を省みる必要があるかもしれない。
「これだったら大丈夫かなぁ……ねぇ、私からひとつ提案があるんだけど」
「提案?」
桜川くんが首を傾げる。
「うん。あのさ、私たち、お互いのこと苗字じゃなくて下の名前で呼び合わない?」
「え、私も? 何で?」
突然の琴美の言葉に、私は驚いて思わず聞き返した。慌てる私に目を向けながら、何やら含みのある笑みを浮かべて琴美は続ける。
「だって、桜川くん、ってなんか長くて呼びづらいなーと思って。私たちだけ下の名前で呼ぶのもずるいし、だからお互いにね」
指摘されて、桜川くんがなるほど……と苦笑いを浮かべながらうなずく。ひょっとしたらこれまでにも同じことを言われた覚えがあるのかもしれない。
「僕は別に気にしないよ。高山さんさえ、よければ」
桜川くんの目がこちらに向けられる。私のさっきの反応を気にしているんだろう。私が下の名前で呼ぶ相手なんてそれこそ数えるほどしかいなくて、距離を詰めるのが苦手な私にとってはけっこう高いハードルだ。
けど、そんなことばっかり言ってちゃダメだ。今までできなかったこと、勇気出してやってみなくちゃ。
「……うん、わかった。私も、いいよ」
私が了承すると、桜川くんはちょっと意外そうな顔をして、驚いているようだった。でもすぐに笑顔に戻って、琴美と私と、順番に目を向ける。
「じゃあ、改めてよろしく。僕は桜川愁、愁です」
「高山……雪穂です」
桜川くんに続いて、私も改めて自己紹介をする。よそよそしく、頭を下げた。
「じゃあ、ここから下の名前ね。ほら、雪穂。雪穂も何か話してよ」
満足げに琴美が言って、私の肩を小突く。そうはいっても、何を話したらいいのか。
少しだけ考えて、そうだ、と私は思い出した。今日の最後に言おうと思ってたこと、今なら言えるかもしれない。いや、今しかないかも。
私は意を決して、提案する。
「あのっ、桜川くん」
「愁くんでしょ」
すかさず琴美から修正が入る。琴美は厳しい。
「……えと、愁くん。私からも、ひとつだけ」
私は人差し指を控えめに立てて、そう言った。
「連絡先……交換しませんか」
おそるおそる目を向けると、今日一番の驚いた表情を、愁くんが浮かべていた。
「雪穂、お疲れ様。がんばったね」
琴美が私の席までやってきて肩を叩く。ようやくテストから解放されて、心なしか琴美の表情も明るい。
「何とか乗り切ったよ、ありがとう、琴美」
私もほっとして、ずっと勉強を見てくれた琴美にお礼を言うと、どういたしましてと琴美は笑顔を浮かべた。その様子だと、琴美も問題はなかったみたいだ。
「それで? 今日はこれからどうするの?」
テストが終わったら打ち上げをやろうと、前々から琴美と話していた。結果によっては慰めの会になるかもしれないと心配していたけど、晴れやかな気持ちで臨める。
「やっぱり、駅前のパフェかなぁ。ずっと我慢してたし」
「そう言うと思った。さっそく行こう」
琴美に手を引かれ、私は立ち上がる。
「あ、待って。あのさ、琴美。もうひとり誘っても……いいかな? お礼しなきゃって、ずっと考えてたの」
私が琴美に確認を取ると、概ね察したのか、琴美は嬉しそうに聞き返してくる。
「桜川くん?」
「うん」
「もちろんだよ。じゃあ、今から誘いに行こう」
そう言って、琴美が私の背後に回り込んで背を押す。心の準備はしていたつもりだったのに、一歩足を前に出す度に心臓の鼓動は早くなった。
目的の教室は隣。廊下からそっと覗いてみると、桜川くんはまだ教室にいた。幸い、教室には数えられるぐらいしか人は残っていなくて、桜川くんもひとりだったし、話しかけるチャンスだ。
琴美もそう思ったのか、ほら、と軽く肩をつつかれた。私はうなずいて、教室内に足を踏み入れる。ドアのレールをまたいだ瞬間、自分のクラスとまったく同じ造りなのに、まるで別世界に入り込んだみたいな気がしてさらに緊張が増す。私はこのクラスの人から見れば異分子だ。教室内の視線がすべて私に注がれているような怖さと戦いながら、振り払うように足早に桜川くんの席へまっすぐ進む。
「あのっ……桜川くん」
声をかけると、桜川くんがこちらを見上げ、そしてはっきりと驚いた顔をした。
「高山さん? 珍しいね、うちのクラスに来るなんて」
「あ、うん……」
珍しいどころか、入るのすら初めてだ。
「何か用? あ、テストどうだった?」
矢継ぎ早の質問のどれに答えたらと、元々の緊張に相まってよけいに混乱した。このままじゃいけないと、お腹の辺りを押さえながら小さく深呼吸をして整理する。その間桜川くんはにこにこと笑顔のままで待ってくれていた。
「えっと、ね、テストは大丈夫だったよ。思ったより、いい点取れた。桜川くんのおかげだよ、ありがとう」
しどろもどろになりながら、私は何とかお礼までの言葉を紡いだ。それを聞いて、桜川くんの笑顔はさらに輝きを増した。
「そっかぁ、よかったね。僕は結局そんなに教えてないし、単純に高山さんががんばったからだと思うよ」
そんなことない。テスト内容を思い返してみたら、桜川くんに教えてもらったところはしっかりと出ていたし、そこに時間がかからなかったから他の範囲を勉強する時間ができたことだってあったはずだ。でも、努力を褒めてもらえたことは素直に嬉しかった。
「あ、その報告に来てくれたの?」
桜川くんの言葉に、はっとする。褒められたことを噛み締めていたらつい言葉が止まってしまった。やっぱり会話って難しい。
「ち、違うよ! その……今から、ちょっと時間ある? 琴美とテストの打ち上げ行こうって言ってるんだけど……お礼したくて、その、よかったら一緒に」
まくし立てるように一気に言うと、桜川くんは目を見開いたままその表情を固めてしまった。急に言われて困ってしまっただろうかと不安になりながら、私もぐっと口を締めて桜川くんの返事を待った。
「……いいの?」
「え? あっ、うん。もちろん。琴美も賛成してくれたし」
桜川くんが信じられないような顔をしながら聞き返してきたので、私は念押しでうなずいた。そっか、この間連絡先の交換を断ったばかりなのに、急に誘ったりしたらびっくりするよね。
「ありがとう、じゃあ、ぜひ」
にこりと笑って桜川くんがそう言った。勇気を出して声をかけたのが無駄にならなくてよかったと、私は嬉しくなった。
どん、と重量感のある音がして私たちの目の前に大きなパフェが置かれ、私と琴美は歓迎の拍手をする。桜川くんも私たちに合わせて拍手をしていたけれど、顔には若干驚きの色が見えていた。
道中、私と琴美がよく食べに行くパフェだということを説明した。甘いものは好き? と尋ねたら好きだよと言っていたので安心したけど、初見だと大きさにびっくりしても無理はないと思う。
「二人は、これをよく食べに来るんだ?」
食べ進めながら、桜川くんが聞いた。
「月に二、三回くらいかな。桜川くんは、パフェとかよく食べる?」
「いや、あんまり。ひとりもそうだけど、男友達と一緒でも行く機会ってないからね。だから、正直に嬉しい。このサイズにはびっくりしたけど」
ちょっと気恥ずかしそうにしながらも、穏やかに笑って桜川くんはパフェを食べ続けている。でも無理していそうな雰囲気はちっとも見えないから、私たちに気を使っているわけでもなさそうで、ほっとした。
それからしばらくパフェを食べることに意識を傾けながら、テスト期間中の話とか、難しかった問題の話をした。順位は基本的には公表されず、クラス内だけでふんわりとしたニュアンスで伝えられるのだけど、桜川くんは今回も学年トップみたいだった。
私の努力を褒めてくれたけど、その裏で桜川くんも私以上に努力をしているんだろう。そうじゃないと毎回トップなんて取れないだろうし。
今回のテストは終わったけど、あと一ヶ月もすれば次のテストのためにまた私も努力しなくてはいけない。ちょっと気が重いけど、何だかやれそうな気はした。それが終われば球技大会、夏休みと楽しみなイベントが続くからがんばらないと。
「でもさ、ちょっと意外だったよ」
会話の途中で、ふいに琴美が口を開く。
「何が?」
「雪穂と桜川くんが話してるとこ、ちゃんと聞くの初めてだったけど、思ったより雪穂が慣れてるなって思って」
「えぇ……」
私は思わず引いた声を上げてしまった。普段の私の接し方はずいぶんとひどいものみたいだ。ちょっと自分を省みる必要があるかもしれない。
「これだったら大丈夫かなぁ……ねぇ、私からひとつ提案があるんだけど」
「提案?」
桜川くんが首を傾げる。
「うん。あのさ、私たち、お互いのこと苗字じゃなくて下の名前で呼び合わない?」
「え、私も? 何で?」
突然の琴美の言葉に、私は驚いて思わず聞き返した。慌てる私に目を向けながら、何やら含みのある笑みを浮かべて琴美は続ける。
「だって、桜川くん、ってなんか長くて呼びづらいなーと思って。私たちだけ下の名前で呼ぶのもずるいし、だからお互いにね」
指摘されて、桜川くんがなるほど……と苦笑いを浮かべながらうなずく。ひょっとしたらこれまでにも同じことを言われた覚えがあるのかもしれない。
「僕は別に気にしないよ。高山さんさえ、よければ」
桜川くんの目がこちらに向けられる。私のさっきの反応を気にしているんだろう。私が下の名前で呼ぶ相手なんてそれこそ数えるほどしかいなくて、距離を詰めるのが苦手な私にとってはけっこう高いハードルだ。
けど、そんなことばっかり言ってちゃダメだ。今までできなかったこと、勇気出してやってみなくちゃ。
「……うん、わかった。私も、いいよ」
私が了承すると、桜川くんはちょっと意外そうな顔をして、驚いているようだった。でもすぐに笑顔に戻って、琴美と私と、順番に目を向ける。
「じゃあ、改めてよろしく。僕は桜川愁、愁です」
「高山……雪穂です」
桜川くんに続いて、私も改めて自己紹介をする。よそよそしく、頭を下げた。
「じゃあ、ここから下の名前ね。ほら、雪穂。雪穂も何か話してよ」
満足げに琴美が言って、私の肩を小突く。そうはいっても、何を話したらいいのか。
少しだけ考えて、そうだ、と私は思い出した。今日の最後に言おうと思ってたこと、今なら言えるかもしれない。いや、今しかないかも。
私は意を決して、提案する。
「あのっ、桜川くん」
「愁くんでしょ」
すかさず琴美から修正が入る。琴美は厳しい。
「……えと、愁くん。私からも、ひとつだけ」
私は人差し指を控えめに立てて、そう言った。
「連絡先……交換しませんか」
おそるおそる目を向けると、今日一番の驚いた表情を、愁くんが浮かべていた。