私が目を覚ました時、私は『私』ではなくなっていた。

 後から聞いた話だけれど、私は事故で数ヶ月もの間、意識が戻らなかったらしい。

 驚いて、すぐに信じる気持ちにはなれなかったけど、否定もできなかった。ただ、ほんの一瞬のような、時間の概念も忘れるほど永遠のような――そんな曖昧な時間を、どこかで過ごしていたような気がする。

 でも周囲の反応を見て、私は次第にそれが本当なんだと納得した。目を覚ましたのは病院だったけれど、ずっと付き添ってくれていたお母さんも、お見舞いに来てくれた友達も嬉しそうに泣いてくれたし、季節は冬から春に変わっていた。

 私が覚えている限りの、最後の記憶は何だっただろう――聞くと、学校の帰り道に車にはねられたらしい。正直、そのことは何も思い出せない。事故の衝撃で記憶が飛んでしまっているのかもしれない。

 ただ、それよりもずっと衝撃だったのは目覚めた後のことだった。

 リハビリが順調に進み、日常生活に戻って支障ないと判断されてようやく退院が決まった日のこと。

 担当医の井田先生とお母さんから、それは聞かされた。

 私の頭の中には、人工的に作られた機械の脳が入ってるらしい。事故で欠損した、本当の脳の代わりに。その人工の脳がうまく働いてくれているおかげで、私は目を覚ますことができたという。

 重い口ぶりで一言一言、お母さんはそのことを私に告げた。まるで罪を犯した懺悔をするように、許してほしいと言っているように、私には見えた。

 あぁ、そう。

 そうなんだ、と私は努めて軽い調子で納得してみせた。

 実感がわかなかった、というのもあるけど、それ以上に声を震わせながら話すお母さんの姿にいたたまれない気持ちになったんだ。

 詳しい説明を受けてもよく理解できなかったけれど、とにかく私が意識を取り戻すにはその方法に賭けるしかなかったということらしい。

 結果、私は目を覚ますことができてそれまでの日常に戻ろうとしているし、そのことを歓喜するお母さんがいる。そんな姿を見て、今さらその判断を否定したり責めたりなんてできるはずがない。

 だから私は、そんなこと気にしてないよ、という態度を見せるしかなかった。

 説明を自分なりに要約すると、人工脳は本物の脳と機能として同じ役割を果たすことができ、私の脳にある様々な記憶や、考え方のような個人差に構築されたものは、データをコピーするような要領で人工脳に写し取っているらしい。そうすることで私は事故に遭う前――まだ本物の脳を持っていた頃と同じ『私』でいられることができているのだとか。

 あとはよくわからなかったけど、あまり考えると具合が悪くなる気がして諦めた。

 ただ、私の頭の中は機械になっていて、その機械の脳が私のすべてを動かしている。そういう意味では私は別人に生まれ変わったと言えるのかもしれない。たとえ、周囲の人や私自身が何も違和感を覚えないくらい、私が変わっていなかったとしても。

 私は目を覚ました時、私でありながら『私』ではなくなったんだ。