エレナはミリアの手をつかんだ。

「お嬢様、いかがなさいましたか?」

 侍女が困惑している。

「あなた、手は痛くない?」

「いいえ、なぜでございますか?」

「冷たいお水で洗濯して、荒れたりしてないかと思って」

 思ったよりも赤くはなっていないようだ。

「ええ、なんともございませんよ。お洗濯の時には奥様のご配慮でお湯を足して使わせてもらっておりますので」

「それは良かったですわ。冷たい水では辛いですものね」

「はあ……」

「それに、毎晩お布団を暖めてくれていたでしょう。わたくしが気持ちよく眠れるように配慮してくれていたのよね」

「あれは奥様のお考えでございます」

「お母様の?」

「ええ、いつまでもおねしょしているようでは嫁にも出せないと心配なさっておられまして」

 いろいろなところで心配をかけてしまっていたようだ。

 エレナは手に力を込めてミリアを見つめた。

「ねえ、ミリア」

「はい、お嬢様」

「いつまでもわたくしのお姉ちゃまでいてくださいね」

 ミリアが顎を震わせながら驚愕の表情を浮かべている。

「お、お嬢様、ど、どうなさったのですか?」

「日ごろの感謝を伝えておくべきだと思って」

 ミリアが手を離してエレナの額に手を当てた。

「お熱はないようですが……。それよりむしろ、わたくしの方が寒気がいたします」

 皮肉屋な侍女の言葉を聞くのはずいぶん久しぶりのような気がする。

「ちょっと、どういう意味よ!」と荒い言葉を言いつつ、つい笑みが漏れてしまう。

 ミリアも微笑む。

「安心いたしました。その方がお嬢様らしゅうございますもの」

 まったくこの侍女ときたら。

 本当に……。

 本当にわたくしのことをよく理解してくれているわね。

 ベッド脇の鏡台に向かって髪を整えてもらっていると、ミリアが鏡の中のエレナをのぞき込んできた。

「それにしても、わたくしのような侍女が公爵の娘だなどと、何の妄想でございますか。またラテン語の勉強のふりして小説の本を重ねていらっしゃったのですか」

 やっぱりバレていたらしい。

 首を振って否定しようとすると、侍女が頭を両手で挟んでピンをはめた。

 エレナはあらためて言葉で否定した。

「そ、そのようなはしたないこと、このわたくしがするはずがないではありませんか」

「さあ、どうでしょうか」

 手を止めたミリアがかたわらの枕の下から本を引っ張り出した。

 表紙には『ラテン語教本』と書かれている。

「寝床に入ってから本を読むと目が悪くなるとあれほど申し上げておりますのに、困ったお嬢様でございますこと」

 エレナは鏡の中のミリアから視線をそらした。

 耳元でささやき声が聞こえる。

「……犯人は侍女でございますよ」

 はあ?

「ちょっと、恋愛小説に犯人がいるはずないでしょ!」

 思わず叫んでしまった。

「ああ、恋愛小説でございましたか」

 はっとした表情のエレナを見て、鏡の中の侍女が笑っている。

「寝床で小説などをお読みになると、おかしな夢を見てしまって、またおねしょをなさいますよ」

「するわけないでしょ。わたくしだって、一人で起きておトイレくらい行けます」

「さようでございますか。ご立派におなりになられて」

 鏡の中でミリアがため息をついている。

 エレナは人差し指を立てた。

「フィアトルクス」

「なんでござますか?」

「ラテン語で『光あれ』よ」

「さようでございますか。よくお勉強なさっていらっしゃるようで」