すると、子犬の口の中が光り始めた。

 牙の間から青い光があふれ出てくる。

 エレナの手と一緒にかみついたサファイアが光を放っているのだった。

 クゥン……。

 急におとなしくなった子犬が口を開けてエレナから飛び退く。

 血にまみれた左手を右手で押さえながら彼女はミルヒに話しかけた。

「いいのですよ。ママは怒っていませんよ」

 そして、微笑みを浮かべて両手を広げて見せた。

「おいで」

 ミルヒはおびえたような表情で後ずさる。

「どうしたの? おいで」

 ウォオオオーン!

 どこからか遠吠えが聞こえてくる。

 ミルヒの耳が立つ。

 ウォオオオーン!

 別のところからもだ。

 ミルヒがピクリと向きを変えた。

 ウォオオオーン!

 ウォオオオーン!

 どんどん数が増えていく。

 まっすぐ脚を伸ばしてミルヒは天に向かって顔を上げた。

「ウォオオオーン!」

 小さな体から出ているとは思えないほどの遠吠えが闇に鳴り響く。

 周囲の声がピタリとやんで、闇が固まったように静かになる。

 ミルヒがゆっくりとエレナに歩み寄ってくる。

 両手を広げて出迎えてやると、胸に顔をこすりつけて甘えた仕草を見せる。

 そっと抱きしめてやると、穏やかな表情でクゥンと一声鳴いた。

 ふんわりとした毛並みが頬をくすぐる。

 おとなしく背中をなでられているミルヒはまだ幼子のようなのに。

 沸き起こる衝動を体の中に収めておくことができなくなっていたのね。

 それをぶつける相手がわたくしではないのなら。

 ここはおまえの居場所ではないのでしょうね。

 くるりと体をひねってエレナの手をなめる。

 血は止まったが、痛みは消えない。

『……ママ、ごめんなさい……』

「いいのですよ」

 彼女は最後の予感を胸にミルヒを抱きしめた。

 小さな子犬だと思っていたのに。

 おまえもまた罪を背負っているのですね。

 ここは冥界だ。

 木からボトリと落ちた青い実が赤い実を押しつぶす。

 つぶれた赤い実から腐臭が漂う。

 ウォオオオーン!

 遠吠えに反応して、エレナの腕の中でまた耳を立てる。

「行くのですか?」

 顔を伏せる。

 それが答えなのだろう。

 旅立ちの時が来たのだ。

 みな、わたくしをおいてどこかへ行ってしまうのですね。

 エレナはミルヒを離した。

 立ち止まって振り向く彼に笑顔を向ける。

「行きなさい。もう、ここはあなたの居場所ではないのですから」

 クゥンと切ない声を上げて白い影が闇の中へ消えていった。

 聞こえていた足音も届かなくなる。

 エレナは転がっている青い実を持ち上げ、思いっきり木の幹にたたきつけた。