そのとき、聞き覚えのある声が聞こえた。

『……ママ、ごめんなさい……』

 ミルヒ!?

『……ママ、ごめんなさい……』

 どこなの?

 エレナは荒く乱れた息をおさえながら声のする方へ進んでいった。

 闇の中に白い光が浮かび上がる。

「ミルヒ!」

 返事はないし動かない。

 駆け寄って抱き上げると、子犬はエレナの腕の中でぐったりとして口から泡を吹いた。

「どうしたのですか、ミルヒ」

 すぐそばに青い実が転がっている。

 かじった跡がついている。

「ミルヒ、青い実を食べたのですか!? 吐きなさい」

 わたくしが甘やかしたからですか。

 わたくしが放っておいたからですか。

 なぜおまえが罪を重ねなければならなかったのですか。

「吐き出しなさい」

 エレナは口を開かせようとした。

 と、そのときだった。

 ガブリッ!

「いたっ!」

 ミルヒがエレナの指を思い切り噛んでいた。

 ちぎれたのではないかというほどの痛みに襲われて思わず彼女は子犬を突き飛ばしてしまった。

 ふらつきながら立ち上がった子犬がこちらをにらみつけている。

 血にまみれたその口には太い牙が生えている。

 その目つきはまるで飢えたオオカミのようだった。

「グルゥゥゥ」

「ミルヒ……」

 体は子犬のままなのに、中身はすっかり変わってしまったようだ。

 低いうなり声を上げながらエレナを威嚇している。

「ミルヒ、どうしたのですか? 苦しいのですか?」

 さっきまでのうずきも火照りも、噛まれた指の痛みでどこかへ吹き飛んでいた。

 手を伸ばして頭をなでようとすると、牙を剥き出しにして吠える。

「ガウッ! ガウガウ!」

「どうしたのですか。まるでわたくしを憎んでいるみたいではありませんか」

 話しかけると、そうだと言わんばかりにガウッと吠える。

「なぜですか。わたくしがあなたに何をしたというのですか」

 凶暴になったのは青い実の毒のせいかもしれない。

 抱き寄せてやればまたいつものように甘えた声を上げて落ち着いてくれるだろうか。

「さあ、屋敷へ戻りましょう。少し休めばきっと毒も抜けて落ち着くでしょう」

 しかし、ミルヒは毛を逆立てながらうなるのを止めない。

「ミルヒ、さあ……」

 手を差し伸べたエレナにミルヒが飛びかかってきた。

「ガウッ! ガルル、ガウガウ!」

 体重と勢いで押し倒されて、ガブリと左手を噛まれる。

 あまりの痛みに、エレナは声を上げることすらできなかった。

 前足で胸を押さえつけられて、逃げることもできない。

 小さな子犬のはずなのに、巨大な熊のような力だ。

 お母様、お助けください!

 エレナは天に祈った。