少し甘やかしすぎたのだろうか。

 言うことを聞きそうにない。

 エレナはテーブルを思いきりたたいた。

 ドンッ!

 ビクッとしてミルヒがおとなしく床に座り込む。

「えー、何なに、どうしたの?」と、サキュバスが立ち上がって詰め寄ってくる。

「遊んでばかりいてはいけません」

「なんでよ。子供は遊ぶもんじゃん。悪い?」

「甘やかせるのは、本人のためになりません」

「あんたみたいに何にもできなくなるもんね」と、サキュバスがペロッと舌を出す。「全部任せっぱなしの元貴族のお嬢様」

 言い返せないのが悔しい。

「ええ、そうです」と、開き直るしかない。「だから、厳しくするところはしっかりとしなければいけないのです」

「べつにいいじゃん。まだ早くない? 遊びたいんだし……」と、サキュバスがちらりとミルヒに視線を送る。「あの子、あんまり遊んでもらったことないんだよ、たぶん」

 冥界に堕ちてきたときに泣いていたばかりいた男の子。

『ママ、ぶたないの?』と、おびえてばかりいた男の子。

 エレナはその姿を思いだして、何も言えなくなってしまった。

「たぶん、人間の子供でいるのが嫌になっちゃったんじゃないかな。だからワンちゃんになったのかも」

 サキュバスの考えも一理あるような気がした。

 かといって、まさに自分のように何もできないまま大きくなってはいけない。

 エレナは困ってしまった。

 まだ子を産んだこともないのに母親の役目を負わされるとは。

「まあ、いいんじゃない」と、サキュバスが火にかけた鍋の様子を見る。「あんたはあんたのしたいようにすればいいじゃん。あたしはあたしのしたいようにするから」

「遊びとしつけの役割を分担するということですか」

「そんな難しいこと、あたし、分かんない」

 結局のところ、何が正しいのか、エレナにも分からなかった。

 ルクスに相談するわけにはいかないし、そもそも地上へ悪人を探しに行っていてほとんど屋敷にはいなかった。

 戻ってきてもサキュバスと寝室にこもってしまう。

 エレナは一人で悩むしかなかった。

 だんだんと、ミルヒの姿を見るたびにため息をついてばかりいるようになっていき、あれほどやりがいを感じていた掃除も面倒になってしまった。

 寝たいときに勝手にベッドに入って寝させて、自分は暖炉の炎の前でぼんやりとしていることもある。

 丸まって寝ているミルヒをなでているとかわいいとは思う。

 でも、起きてイタズラばかりしていると、どうにかしなければいけないのではないかと心配になる。

 少しずつ大きくなっていく姿を見ていると、時間を無駄にできないのではないかと焦ってしまう。

 サキュバスはあいかわらず下品な食べ方をあらためようとはしない。

 特にミルヒに食べさせるときには注意していてもそれをまねしてしまいがちだ。

 そのたびに妖魔と言い争いになる。

 そして、最後は結局、『あたしはあんただし、あんたはあたしじゃん』と、お決まりの台詞でごまかされてしまうのだった。

「おまえがかわいいから、立派になってほしいのですよ」

 眠っているミルヒに語りかけたところでどうにもならないのは分かっている。

 でも、エレナにできることは他に何もなかった。

 わたくしがあたえられるものなど、何もありませんもの。

 あるとすれば愛情だけだ。

 ただ、それが伝わらなければ、それもまた何の意味もないものだった。

 悩みは深まり、ため息ばかりが増えていく。