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 子犬のミルヒと一緒に暮らすようになってからエレナの生活には一定のリズムが刻まれるようになっていた。

 サキュバスの作る食事を与え、掃除をし、洗濯をする。

 時には一緒に寝ている布団の中でお漏らしをされてしまうこともある。

 目覚めたときに自分も濡れて冷たくなっていると、いまだに『アッ!』と叫びそうになってしまう自分に赤面してしまうが、そういったよけいな後始末が増えても、単調だったこれまでよりもかえってメリハリができてかえって気が晴れるように思えてくる。

 おねしょをしたり、食事の皿をひっくり返してしまったときなど、失敗をしたときにすりすりと体を寄せてくるミルヒをエレナはいつも優しくなでてやっていた。

 そのたびに、冥界の闇の中で『ごめんね、ごめんね』と必死に謝っていた男の子の姿が重なって見えた。

「いいのですよ。心配はいりませんよ」

 そうやって語りかけてやると、安心して眠る姿もかわいらしい。

 その一方で、今までになかった悩みも出てきた。

 冥界の館での生活にも慣れて安心するようになったのか、子犬のミルヒは時々イタズラもするようになった。

 ベッドのシーツを引っ張ったり、クローゼットに隠れて見たり、エレナのドレスに頭を突っ込んでくることもあった。

 たしなめてやれば止めるからと、最初のうちはしたいようにさせていたものの、だんだんひどく散らかしたり、ちょっと調子に乗りすぎることもあった。

 そのたびに叱らなければならないのがエレナには苦痛だった。

 それが親としての役目ではあっても、イライラしたり気が滅入ったりするものだし、そもそも自分はこの子の親というわけでもない。

 しつけや教育をすべて背負わされてしまって、自分のことでも精一杯のエレナにとっては思った以上の負担になるのだった。

 サキュバスはミルヒのお腹をかき回すようになでるのが楽しいらしく、エレナのいないところではしょっちゅうちょっかいをだしているようだった。

 今も、掃除を終えてキッチンに来ると、鍋をとろとろと火にかけながらミルヒと遊んでいた。

 クゥン、クゥンと鳴き声を上げながらくすぐったそうに身をよじる姿を見てサキュバスがケラケラと笑っている。

「気持ちいいでしょ。あたしもね、帝王様にくすぐられちゃうとアハンハンってなっちゃうしぃ」

「何をしているのですか」

「えー、べつにぃ、遊んでるだけだよ」

「変なことを教えないでくださいよ」

「変なことってなあに?」

 分かってるくせに。

 というよりも、今やっているそれですよ、と指をさしてやりたかったけど、妖魔を調子づかせるだけだと知っていたから我慢した。

 ミルヒは仰向けになってお腹を見せて、もっとやれと催促している。

「えへへ、ママがね、甘やかしたら駄目だって。怒られちった」

 クゥン、クゥンと悲しそうな声で鳴く。

「ミルヒ、いらっしゃい」

 エレナが呼んでもサキュバスのところから離れようとしない。

「あたしと遊びたいんだもんね」

 床の上で仰向けになって、一緒になってぐるぐる転げ回っている。

 モップじゃないんだから……。

 ほこりが舞って、エレナはくしゃみが止まらなくなってしまった。

「くしゅん。そんなこと……くしゅん、していると……くしゅん、ほこりまみれになってしまいますよ」

 子犬と妖魔の二人はまったく聞く耳を持たず、オンオン、ケラケラと陽気にふざけあっている。