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 夢を見ていた。

 真っ赤なバラの花束を持ったルクスがエレナを迎えに来る夢だ。

『まあ、これをわたくしに』

『美しいものはあなたにこそふさわしい』

『まあ、おじょうずですこと』

 彼の胸に飛び込んで抱きついた瞬間、姿が変わる。

 ……ああ、まただ。

 もう何度同じ夢を見ただろうか。

 目を開けると、暖炉の火はまだついたままで、洗濯物はだいぶ乾いたようだった。

 子供を寝かしつけているうちに、自分もいつの間にか眠ってしまっていたらしい。

 と、肝心の男の子がいない。

 あら、どこにいったのかしら。

 立ち上がって部屋を出る。

『光あれ!』

 埃の積もった廊下には小さな足跡がついている。

 だが、なんだか変だ。

 子供の足にしても、小さすぎる。

 エレナはその足跡を追ってみた。

 階段を下りてキッチンへ続いている。

 ドアの隙間から明かりが漏れている。

 そっと顔を差し入れて中の様子をうかがうと、そこには見慣れない生き物がいた。

 真っ白な子犬がテーブルの下でミルクをなめているのだ。

「あら、まあ、これは……」

「やっほー、子犬ちゃんだよ」

 椅子に座ってその様子を眺めていたサキュバスが、子犬を抱きかかえてそばにくる。

「かわいいでしょ」

「ええ」

「抱っこしてやんなよ」

 サキュバスに渡された子犬はおとなしく、つやの良いふわふわな毛に覆われて抱き心地がいい。

「あの子はどうしましたか?」

「この子だよ」

「あの男の子のことです」

「だからこの子だよ」

 何を言っているのだろうか。

 子犬がぺろぺろとエレナの顔をなめる。

 かわいいのはいいが、今はそれどころではない。

 子供はどうしたのだろうか。

 サキュバスがエレナの腕から子犬を取り上げると、高く持ち上げて、ぶらんとぶらさがった下半身を目の前に掲げた。

「ほら、オスだよ」

 まあ、かわいらしいこと。

 でも、知りたいのはそういうことではない。

「あの、そうではなくて……」

「だから、この子だってば」

 はあ?

 この子って……。

 まさか!

 エレナはようやく理解できた。

「あの子がこの子犬になったというのですか」

「そうだよ」

 まあ、ここは冥界だ。

 何があってもおかしくはない。

 もう一度子犬を受け取ってからエレナはたずねた。

「でも、どうして」

「さあね。あんたの部屋から出てきたときにはこの姿だったよ。元々冥界に墜ちてきた悪者は獣になる運命なんだから、こっちが本当の姿だったんじゃないの?」

 サキュバスはまったく気にもしていないようだった。

「この方が帝王様にも話しやすくていいんじゃない?」

 それはそうだが、なんだか寂しさも感じてしまう。

 もう少しこの子のママでいたかったような気がする。

 と、廊下から足音が聞こえてきた。

 噂をすれば、ルクスが帰ってきたようだ。

 今さら隠すわけにもいかなくなってしまった。

「あたしに任せてよ」

 エレナは言われたとおり子犬を抱きしめたままキッチンの隅に立っているしかなかった。