「もうママはぶたないから大丈夫ですよ」

「僕ね、お漏らししちゃうとママにぶたれちゃうから、夜ね、寝るとお漏らししちゃうでしょ。だから僕ね、夜は寝ないように頑張ってたんだけど、いつの間にか寝ちゃってて、おねしょしちゃって、お布団乾かさなくちゃって暖炉の前に持って行ったら、燃えちゃったんだ」

 まあ、そうだったのですか。

「一生懸命火を消そうとしたんだけど、おうちが燃えちゃってね。みんな死んじゃったの」

「そうだったのですか」

 それでこの子は冥界に堕ちてきたのだろう。

 でもだからといって、獣に食われてしまっていいわけではない。

「もう心配いりませんよ。ママがいつでもギュッてしてあげますからね」

 安心させてやりたくて屋敷へ戻ってきたのはいいが、この子を中に入れてもいいものだろうか。

 ルクスはなんと言うだろうか。

 玄関の扉を少しだけ開けて中を見ると、人の気配はないようだった。

 エレナはしゃがんで男の子を下ろすと、向かい合って口に指を立てた。

 男の子がうなずく。

 ニッコリと笑って頭をなでてやると、男の子も笑顔になった。

 口に指を立てたまま左手で男の子の手を引いてキッチンへ向かう。

 ドアの隙間からぼんやりとした光が漏れて、変な鼻歌が聞こえてくる。

 中をのぞくと、キッチンにはサキュバスしかいないようだった。

 片付けものをしているらしい。

「ねえ、あなた」と声をかけて、エレナはチョイチョイと手招きした。

「ん? なあに?」と、手を止めてこちらへ来る。

「ルクスは?」

「帝王様なら、今出かけてるよ。悪い奴でも探しに行ったんじゃない?」

 それはちょうど良かった。

「まだシチューはありますか?」

「あるよ。食べる?」

「わたくしではなく、この子に食べさせてあげてくださいな」

 エレナは男の子の背中を押してキッチンへ入れてやった。

「わあ、かわいいじゃん。君なんてえの?」

 そういえばまだ名前を聞いていなかった。

「わかんない」

「わかんないって、なんでよ」と、サキュバスがしゃがみ込んで男の子をギュッと抱きしめる。

「だって、ママは馬鹿とか間抜けとかのろまとかしか言わなかったから」

「へえ、じゃあ、あたしが名前つけてあげよっか」

 うん、とうなずきながら男の子がサキュバスの胸の谷間に顔を埋めた。

「気持ちいいでしょ」

「うん」

「男の子はみんなギューが大好きだもんね。帝王様もあたしにはデレデレなくらいだし。まあ、あたしのナイスバディなら無理もないけどぉ」

 はあ、とエレナはため息をついた。

 王宮のクラクス王子とカミラのことを思い出してしまう。

 どうせわたくしでは満足できないでしょうよ。

「わたくしはエレナですよ」と名乗ってみても、まるで興味を示さない。

「ママ、おなかすいたよ」

 この子には名前などどうでもいいようだ。

 サキュバスが男の子の濡れたズボンをするりと脱がす。

「あらまあ」とエレナは思わず声を上げてしまった。

 サキュバスが一瞬ぽかんとして笑い出す。

「たいしたもんじゃないじゃん。帝王様なんかもっとすごいよ」

 何を言い出すのでしょうか、この妖魔は。

「子供の前でそういうことは言わないでください」

「ふーん、あっそ」