ルクス!

 助けてくださいな。

 お願いです。

 だが、助けは現れない。

 すぐにどこからでも駆けつけるなんて言っていたくせに。

 全然役に立たないではありませんか。

 何が冥界の帝王ですか。

 あんな妖魔に手玉に取られて、ただの無能なダメ男ではありませんか。

 イカ墨ベッタリ腹黒王子と同じですわ。

 エレナは少しずつ後ずさりながら獣との間合いをはかっていた。

 コツンと、足に何かが当たる。

 石だ。

 エレナは獣をじっとにらみつけたまま、石を取り上げようとしゃがみながら手を下げた。

 どうやら一つだけではないようだ。

 両手で二つ三つと、一度に持てるだけつかむ。

 姿勢が低くなったエレナを狙って獣が飛びかかるタイミングをはかっている。

 視線をそらしたら終わりだ。

 ゆっくりと立ち上がりながらエレナは獣に語りかけた。

「ここから去りなさい。さもないと石を投げますよ」

 獣はグルルゥゥウと低くうなり続けている。

 少しだけ声を張り上げてみる。

「去りなさい! 本当に投げますよ!」

 ウウウウウ!

「本気ですよ。わたくしはこの子を守るのです。投げますよ!」

 振りかぶって右腕を高く上げて投げるそぶりを見せても、獣は立ち去ろうとしない。

「行きなさい! 行くのです! でないと、本当に投げますよ!」

 わたくしはおまえに乱暴なことはしたくはないのです。

 そんな願いなど通じるわけもなく、獣は足を踏ん張って姿勢を低くしながら、今にも飛びかかってきそうな体勢になった。

 じょわぁぁぁぁ……

 あら?

 ……何かしら?

 なんだか脚が温かい。

 エレナの脚にしがみついていた男の子が恐怖のあまりおしっこを漏らしてしまったのだった。

 エレナにもかかって、びしょびしょだ。

 あら、まあ、どうしましょう。

「ごめんなさい。ママごめんなさい」

 男の子がブルブルと震えて大声を上げてまた泣きだしてしまった。

 弱みを感じ取ったのか、獣の目の色が変わったように見えた。

 駄目だ。

 このままでは二人とも食われてしまう。

 エレナは心の中で祈りを唱えた。

 お母様、乱暴なわたくしをお許しください。

 エレナは両手につかんでいた石を一度に思いっきり投げつけて叫んだ。

「来るな! どっか行け! ゴラァ!」

 石の攻撃とさっきまでとは違う言葉の調子に驚いたのか、前へ踏み出そうとしていた獣があわてて向きを変えて逃げ出す。

 数歩で立ち止まってこちらを振り向いた瞬間、エレナは両手を振り回しながらまた大声を出した。

「行けって言ってんだろぅが! こっちが食ってやるぞ!」

 エレナの勢いに恐れをなした獣は尻尾を丸めて闇の中へ消えていった。

 膝が崩れそうなほど震えていたが、エレナの顔には満足げな笑顔が浮かんでいた。

 ああ、すっきりしましたわ。

 こっそり読んだ小説に出てきたセリフを覚えていて良かったですわね。

 ルクスにもこんなふうに言ってやりたかった。

 でも、あの人にはもっと汚い言葉を浴びせてしまいそうですわ。