◇

 どれくらい眠っていたのかは分からない。

 目を開けると、相変わらず真っ暗だったが、『フィアトルクス』と唱えると、ほんのりと明かりがついた。

 体のうずきはおさまっていた。

 どれほど泣いていたのだろうか、枕がぐっしょりと濡れている。

 汗をかいたせいかシーツも冷たい。

 まるでおねしょをしてしまったかのようだ。

 まさか……してませんわよね。

 下半身がとくにびっしょりと不快だが、おねしょではないようだった。

 なんだか自分の体から獣みたいな臭いがするような気がする。

 なんだろうか。

 いったい自分はどうしてしまったのだろうか。

 あら……?

 何かが聞こえたような気がする。

 エレナはベッドの上に起き上がって耳をそばだてた。

 人の声だろうか。

 ……エレナ……。

 誰か、わたくしのことを呼びましたか?

 ……エレナ……。

 やはり聞こえる。

 部屋を出て、暗い廊下を声のする方へたどっていく。

 エレナは心の中で『光あれ』と唱えた。

 ほんのりと足下が明るくなる。

 ……エレナ……。

 閉まったドアの向こうから声が聞こえてくる。

 ここはルクスの寝室だ。

 なぜ、私の名を……。

 ドアノブに手をかけてそっと押す。

 隙間からのぞきこんでみると、人の気配がしない。

 中へ一歩踏み込んだとき、ベッドの上で何かが動いた。

 ……エレナ……。

 間違いない。

 たしかに、エレナとはっきり言っている。

「もし」

 声をかけても返事はない。

「どうかしましたか」

 一歩ずつ近づきながら声をかけてもやはり返事はない。

 ベッドの上に寝ているのはルクスだった。

 彼は黒光りするマントを身にまとい、枕を抱きしめるようにして眠っている。

「……エレナ……」

「はい、なんですか」

 思わず返事をしてしまったが、男は寝言をつぶやいているだけだった。

 そういえばサキュバスはどこにいったのだろうか。

 二人で寝室へ行ったはずなのに、ルクスしかいない。

 エレナはため息をつきながらベッドのふちに腰掛けてルクスの髪に手を伸ばした。

 サキュバスといったい何をしていたというのだろう。

 あんなに興奮していたのだから、二人できっと楽しいことをしていたのだろう。

 でも、それはわたくしとではないのですね。

 寝乱れた彼の髪を整えてやりながらエレナはルクスの寝顔を見つめていた。

「おお……エレナ……」

 ルクスが枕に顔を埋めながら名前をつぶやく。

 な、何をしているのですか、この男は。

 枕をわたくしだと思っているのですか。

 寝惚けるにもほどがあります。

 でも、その表情は嫌いではなかった。

 なんとも無防備で幸福感に満ちた笑顔だ。

 こんなルクスは見たことがない。

 起こしてしまわないように気をつけながらルクスの頬をそっと指先でなでてみる。

 目覚めさせてしまったとしてもかまわない。

 ただ、もう少しこのまま寝顔を眺めていたい。

「……エレナ……」

 寝顔を眺めているうちに、いつの間にかルクスの腕がエレナの腰に回されていることに気がつかなかった。

「あっ」

 寝惚けた彼に不意に力尽くで抱き寄せられてしまう。

 あ、あの……。

 エレナは絶句した。

 彼はマントの下には何も身につけていなかったのだ。

「……エレナ……」

 眠ったままの彼なのに、その腕にはしっかりとした力が込められていた。

 え……。

 あの……。

 急なことで心の準備ができていない。

 しかし、エレナはルクスの腕の中で彼のするがままに身を委ねていた。

 不思議な安らぎを感じる。

 なぜだろう。

 不安は何もない。

 エレナは初めて自分の気持ちに正直に向き合っていた。

 これがもしかして……。

 ラテン語の勉強そっちのけで夢中になったあの小説に書かれていた憧れの……。

 体の奥がまた火照りだす。

 と、そのときだった。

 ガバッ!

 ゾワゾワワ!

 ルクスの体が変形を始める。

 ミシッ!

 ギシシッ!

 巨大なゴキブリの姿に変身したルクスの体から爪やトゲの生えた昆虫の脚がニョキニョキと伸びてきてエレナの体をベッドに押さえつけようとする。

「キャアアアアアアアアアアアア!」

 もう何度目だろうか。

 エレナはまた失神してしまった。