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 おかしな騒動があってからしばらくは平穏な時間が過ぎていた。

 時間とは言っても、冥界には昼夜の区別や日時といったものはなかった。

 いつも暗かったし、一日の区切りというものもない。

 ものすごく時間が過ぎたような気もするし、ほんの一瞬しかたっていないような気もする。

 一、二、三と数を数えて時を意識してみようとしても、途中で数えていること自体忘れてしまう。

 冥界では眠くなることも、疲れることもない。

 眠ろうと思えば眠れるし、眠らなくても体調に変化はない。

 そのときそのときで気まぐれにうれしくなったり、気分が落ち込んだりすることはある。

 ただ、それも記憶に残らないうちに消えてしまうのだった。

 初めのうちはどれくらいの時が流れたのか気になっていたエレナも、いつしか気にするのをやめていた。

 ルクスは地上へ行っていることが多く、その間、エレナはメイド服を着て一人で屋敷の掃除をしていた。

 やっても無駄だと言われていたとおり、少しはきれいになったかと思っても、別の部屋を掃除して戻ってくると、もうそこは降り積もる罪の埃に覆われているのだった。

 人の罪というのは、尽きぬものなのですね。

 ついため息をついてしまう。

 でも、そのおかげでエレナは退屈しなくてすんでいたのも事実だった。

 単調で報われない作業だったが、掃除をしていると不思議と心が安らぐのだった。

 もしかしたら、わたくし、このようなことに向いているのではないかしら。

 城にいた頃は退屈を持て余してミリアにあきれられていたけれど、まわりの者が何でもやってくれる生活は楽であっても、そこに喜びなどなかったのではないかと思えてくる。

 それにくらべたら、ここでの生活はましなのではないか。

 そういった思いがわきおこるたびに、彼女は指に輝くサファイアを眺め、父と母のために祈りを捧げるのだった。

 わたくしはここで元気にやっております。

 お父様もお母様も天国で安らかにお過ごしください。

 エレナは冥界での生活に少しずつなじんでいくのだった。

 あるとき、いつものようにルクスがゴキブリの姿に変身して(というより本来の姿に戻って?)地上へ罪人を探しに行って不在のとき、屋敷の中に不思議な匂いが漂い始めた。

 何かを煮込んだ料理のようないい香りだ。

 掃除をしていたエレナは久しぶりに食欲を思い出して、その匂いのする方へ近づいていった。
 キッチンの扉が少しだけ開いていて、その隙間から何か物音が聞こえてくる。

 誰かいる。

 箒の柄をぎゅっと握りしめると、エレナはそっと歩み寄っていった。

 調理の物音に交じってリズムも調子もめちゃくちゃな鼻歌が聞こえる。

 音痴にもほどがある。

 聞いていると頭が痛くなりそうなほどだ。

 耳を塞ぎたくなるようなひどい歌だが、ただそれは聞き覚えのある声だった。

 エレナは扉をノックして中をのぞき込んだ。

「やはりあなたでしたか」

 キッチンで料理をしているのは鏡の中にいたあの妖魔だった。

 あいかわらず白塗りの顔に奇抜な頬紅の化粧が目を引く。

「はあぃ、元気ぃ?」と、鍋をかき混ぜながら陽気に挨拶をしてくる。

 その様子からエレナは少し警戒心を解いて挨拶を返した。

「まあまあですわね。のんびり暮らしてますわ。それにしても、どうしてあなたがここに?」

「どうしてって、どういう意味よ?」

「鏡の中にいたではありませんか」

「だって、あんたが割っちゃったんじゃん。あたしの居場所がなくなっちゃって、しかたがないから出てきたんですけどぉ。悪い?」

 と言われてしまうと、なんとも言い様がない。