エレナは鏡の破片を見下ろしながらつぶやいた。

「帰ってきてくださって安心しました」

「なぜ鏡を割った」

「おかしな魔物がわたくしを鏡の中に引きずり込もうとしていたのです」

 ルクスの答えは意外だった。

「ここにはおまえ以外いないぞ」

「そんなはずは……」

「鏡に映るのは自分だろう。それは冥界でも同じだ」

 まるであの妖魔のような言い分だ。

「いえ、わたくしは、あのような者とはまったく違います」

「人は自分の姿を認めたがらぬものだ」

「でも、全然違うんです。顔も似てませんし……」

 体つきも、と言おうとしてエレナは黙り込んでしまった。

「なんだ、どうした?」

「いえ、なんでも……」

 心の中を見透かされたくなかったので、そのことを考えないようにして、エレナは話題を変えた。

「お掃除の道具はありませんか?」

「掃除などする必要はないと言っただろう」

「でも、鏡も片付けませんと」

「それならば心配はいらん」

 ルクスがパチンと指を鳴らすと、ガラスの破片は跡形もなく消えていた。

 ずいぶんと便利な能力だ。

「ならば、この埃も片付けてもらえませんか」

「だから、この埃は掃除などしても無駄だと言っている。人の罪は永遠に降り積もるからな」

 と、言いながらルクスがエレナの服装をじろりと眺める。

 思わず胸の前で腕を合わせて身構えてしまう。

 ルクスは無表情に感想を述べた。

「なかなか似合うではないか」

 褒められてもあまりうれしくない。

「その服に似合うというのであれば、用意してやろう」

 ルクスが指を鳴らすと、箒や雑巾などの掃除用具一式がほこりまみれの床の上に現れた。

 エレナは箒を拾い上げて床を掃いてみた。

 もうもうと埃が舞い上がるばかりで、いくら集めてみてもきりがない。

「だからやめろと言ったのだ」

「いえ、少しでもきれいにします」

「やっても、またすぐに積もるだけだ」

「いいのです。わたくしの気の済むようにさせてください」

「頑固な女だ」とルクスが口元に笑みを浮かべる。「俺好みのな」

「べつにあなたのために掃除をしているのではありません」

「当たり前だ。俺はするなと言ってるのだからな」

 なんだろう。

 どうもこの男とは合わないような気がする。

 でも、この男と一緒でなければ、ここでは生活ができない。

 しかも、この時間は永遠に続くというのだ。

 かといって、自分にできることは何もない。

 エレナは箒の手を止めてため息をついた。