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 道端に木が生えている。

 はじめは一本だけだったのが、歩いていくうちにだんだんと街路樹のように何本も現れてきた。

 周囲は相変わらず荒野なのに、木にはリンゴのような実までなっている。

 手を伸ばせば届くような高さにもたくさんぶらさがっている。

「あれはなんですか?」と、エレナはルクスにたずねた。

「冥界の木の実だ。青いのは固くて毒がある。それでも空腹に耐えきれず食べるやつがいる。苦しむと分かっているのに、目先のつらさから逃れようとする。人間はどこまでも愚かなものよ」

 ルクスが赤い実を一つもいでかじりついた。

「だが、熟した赤い実は毒が消え、こうして食べられるようになる。冥界のものとは思えないほど甘美な誘惑だ」

 赤い実からはいい匂いも漂ってくる。

 エレナも赤い実を一つ取って食べてみた。

 柔らかいのに、シャクシャクとした歯触りが心地よく、絶妙な甘さが上品で、地上で食べたどんな果物よりも癖になりそうなおいしさだ。

「さあ、行こうか」

 ルクスはエレナをいざなってまた道を歩き始めた。

 歩きながらエレナは残りの実をかじり続けた。

 ミリアと一緒に城の中庭に生えていたリンゴを食べたことを思い出す。

 甘みよりも酸味が強くて固い実だったけど、思えば綺麗にむかれた食卓のリンゴよりもおいしかったような気がする。

 もうミリアとあんなことをして笑い合えるときは来ないのだろう。

 どうして自分たちの運命はこんなにねじれてしまったのだろうか。

「着いたぞ」

 果物の木に囲まれた場所に家が建っていた。

 貴族の城館よりは小さく、田舎領主や地主の館といった趣だ。

 しかし、石とレンガでできた重厚な建物には明かり一つなく、壁は一面ツタのような葉で覆われ、外れかけた窓の鎧戸がきしむ音があちこちから聞こえてくる。

「ここは?」

「俺の家だ」

 エレナが入口に足を踏み入れようとすると、ポーチの屋根からコウモリの群れが甲高い鳴き声を上げながら飛び立っていった。

 陰鬱な影に覆われた建物を見上げてエレナは思わずルクスにしがみついた。

「来るがいい」

 ルクスは玄関ドアを開けてエレナを中へ招き入れた。

 中は真っ暗で何も見えない。

 エレナは心の中で『光あれ!』と唱えた。

 壁際の燭台に灯がともり、中の様子がほんのりと浮かび上がる。

 がらんとした玄関ホールには埃が積もっていて、ルクスのものなのか、足跡がはっきりと残っている。

 掃除はしていないのだろうか。

「無駄だ」

 心の中を読み取るかのようにルクスがつぶやく。

「これは埃ではない。冥界に降り積もる人の罪だ。掃除をしたところできれいにはならない」

 ルクスは奥へ進んでいく。

 そこはキッチンだった。

 頑丈そうな足に支えられた分厚い板のテーブルが置かれ、その上には肉の塊が何種類か並んでいる。

 気のせいか腐敗臭が漂っているようだ。

 しかも、それ以外に食材らしい物は何もなく、調理道具も埃をかぶった鍋が一つあるだけだった。

 かまどには炭の燃えかすすら残っておらず、調理した様子はなさそうだ。

「普段は誰が調理しているのですか」

「しない」

「では、お食事はどうなさっているのですか?」

「俺は食わなくてもよい。冥界の帝王だからな」

 冥界とはそういう場所なのだと言われればそうなのかもしれない。

 でも、ならばなぜ肉や鍋があるのだろうか。

 口に出さずとも、すぐにルクスが説明してくれる。

「これは冥界をさまよう獣の肉だ。冥界にやってくる罪深き罪人は、人ではなく獣としてこの闇の世界をさまよい続ける。それを捕らえて肉として調理してやれば、永遠の苦しみから救済されるというわけだ」

「つまりこれは、元々人だったものの肉ということですか」

「人ではない。獣だ。獣が人の皮を被っていただけだ。だからこそ、冥界へ堕ちてきた」

「それでも人は人ではないのですか」

「さあな。それは言い方の問題だ。食いたければ好きなようにするがいい」

 由来が分かってしまった以上、食べる気など起こらなかった。