現れたのは黒いマントに身を包んだ背の高い若い男だ。

 肌につやがあり、目鼻立ちのスッキリしたなかなかの美男子だ。

 まわりの暗黒は変わらなくても、人の姿が見えただけで、エレナは泣きそうなほどうれしかった。

「よかった。やっと人と会えて」

「俺は人ではない」

「ああ、悪魔だからですか」

「悪魔ではない。冥界の帝王だ」

 違いがよく分からない。

「わたくしはエレナと申します。あなたは?」

「だから冥界の帝王だ」

「それは称号でございましょう。お名前をお聞かせ下さい」

「だから冥界の帝王だと言っているではないか」

 ええと、どうしたらよいのでしょうか。

 やっと出会えたというのに、少々面倒な御方のようですわね。

「面倒ではない。事実を言っているだけだ」

 どうやら思ったことはなんでも見透かされてしまうらしい。

 そういう能力があるところはいかにも冥界の帝王らしい。

「冥界に帝王は俺一人だからな。名前は必要ない」

 それはそうかもしれない。

 家来たちは直接名前を呼ぶのを遠慮して『陛下』と呼ぶのだろうし。

「それでは、陛下とお呼びすればよろしいでしょうか」

「好きにしろ。何と呼んだところで問題ではない。ここには俺とおまえしかいないのだからな。おまえが好きなように呼べ」

 それならば、とエレナは名前を考えた。

「では、『ルクス』ではいかがでしょうか。『光』という意味です」

「よかろう」

 光という言葉に反応するかのように彼のマントが黒光りする。

「ルクス」

「なんだ」

「これからどうぞよろしく」

 手を差し出すと、ルクスもマントの下から手を差し出した。

 しかし、エレナはそれを握ることはできなかった。

 それは細長く、節で折れ曲がった昆虫の脚だったのだ。

 絶句しているエレナを見て、ルクスは「おっと、すまない」と、いったんマントの中へ引っ込めてからもう一度手を差し出した。

 今度は人間の手だった。

 だが、その直前の印象が強すぎて思わず手を引っ込めてしまった。

「あ、あなたは……」

 もしかして、あの地下牢から私を連れ出した……。

 エレナは後ずさろうとした。

 しかし、下がっているつもりなのに相手との距離はまったく変わらない。

 いや、むしろ、縮まっている。

 いつの間にかエレナはルクスに手をつかまれていた。

 と、その瞬間、ルクスのマントがガバッと開いて中から昆虫の手脚が飛び出してきた。

 ギシ、ギシシ。

 カサ、カササ。

「ゴ、ゴキ……」

 エレナはその脚にからめとられて抱きしめられた。

「キャアアアアアアアアアアアア!」

 自分自身の悲鳴を聞く間もなく、エレナは失神していた。