と、そのときだった。

 暗い洞窟の奥からコウモリの群れが一斉に飛び出してきた。

 慌てた男たちが転んで、壁に掛かっていた松明に突っ込んでしまう。

 落ちてきた松明を二人ともかぶってしまい、たちまち服に火がついて燃え上がる。

「あ、あっちい!」

 床を転げ回りながらなんとか服を脱ぎ捨てたものの、松明を蹴飛ばしてしまい、バラバラになった薪が牢屋の中へ転がっていき、白骨死体の服に燃え移る。

 蝋の焦げるような嫌な臭いの煙が上がって、もうもうと立ちこめる。

「おえっ、くっせえ。やべえよ、逃げようぜ」

 男たちはエレナを置いて階段を駆け上がって行ってしまった。

 暗い地下洞窟の中が炎で幻想的に照らされ、それを黒煙が遮る。

 ゴホッ、ゴホッ!

 まともに息もできない。

 さっきまでは諦めかけていたのに、目の前に危機が迫ると不思議なことに逃げ出したくなる。

 こんなふうに苦しんで死ぬのは嫌だ。

 しかし、どこにも逃げ道はなかった。

 ふと見ると、ドレスの上をゴキブリが這っている。

 ああ、まだついてきてくれていたのですね。

 でも、このままではおまえも死んでしまうでしょう。

「おまえだけでも逃げなさい。おまえならどこかの隙間から出られるでしょう」

 でも、ゴキブリは触角をユラユラとさせるだけで逃げようとはしない。

「早くお行きなさい。少しの間でしたが、お相手をしてくださってありがとう。私はここで終わりですから、おまえはもっと生きていきなさい」

 エレナは目を閉じて祈りの言葉を唱えた。

 父よ、母よ、天国でお幸せに。

 親不孝のこのわたくしのことをお許しください。

 バリッ……。

 ん?

 バリバリバリッ……。

 何か音がする。

 何かが燃えている音だろうか。

 バキッバキバキバキ!

 何かがすぐ目の前で起きているようだった。

 祈りの言葉を唱え終わったエレナはそっと目を開けた。

 何か黒いものがうごめいている。

 それはつもなく巨大化したゴキブリの腹だった。

 ドレスの上を這っていた小さな虫がムクムクと巨大化していき、エレナの背丈の二倍以上にもなって全体が見渡せないほどだった。

 その巨大なモンスターが、一つの節が人間の腕ほどもある長い脚をギシギシ言わせながらエレナを抱きかかえようとたちふさがっている。

「い、いやああああああああああああ!」

 叫び声を上げてみても、縛られた身で後ろは鉄格子。

 後ずさることも逃げることもできない。

 なのに巨大ゴキブリはエレナに迫ってくる。

 悪魔の首刈り鎌のような鋭いかぎ爪がエレナの肩をつかむ。

 ヒッ! ヒィィィ~~~!

 あまりの恐ろしさに口から泡を吹いてエレナは失神してしまった。

 火事の勢いはどんどん増していき、地下洞窟に黒い煙が充満していく。

 ゴキブリはエレナを片方の脚で抱き上げると、牢屋の奥へと向かう。

 そこには狭い隙間があった。

 巨大化した体ではとてもその中に入ることはできそうになかったが、不思議なことに、ゴキブリはそのまま隙間に体をねじ込ませると、エレナと一緒に闇の中へと消えていった。