扉をたたくのを止めたとき、何かの物音が聞こえた。
ほんの微かだが、こするような、何かが這うような音がする。
耳をそばだてると、意外と近いようだった。
この狭い牢屋の中に何かがいる。
カサカサ……。
足下で何か動いたような気がした。
鉄の錘の陰から、何か細い糸のような物が出て、ふらりふらりと揺れている。
見ていると、少し移動しては止まり、また移動してはふらりと糸を揺らしている。
明らかに生き物だ。
なんですの?
エレナは錘の裏をのぞきこもうとした。
と、気配を察知したのか、黒い物体が急に動き始めて床を這って壁際に走り去った。
カササッ。
一瞬の出来事に呆然としてエレナは壁際へそっと近寄った。
薄い体に黒光りした羽の虫がいる。
頭の先にユラユラと細い糸をゆらしながらじっとしている。
「あら、おまえはどうしてこんなところにいるの?」
エレナは虫に向かって話しかけた。
「おまえもこんなところに迷い込んだの? それとも、もとからここの主だったの?」
もちろん話しかけたところで返事はないし、動きもなかった。
頭から二本伸びた細い糸をゆらゆらとゆらすだけで、じっとしている。
エレナも思わぬ同居人と向かい合ってじっとしていた。
「おまえ、名前はなんて言うの?」
もちろん虫が返事をするわけがないことくらい分かっている。
ただ、今はこの虫だけが話し相手なのだ。
「おいで」
呼んでもじっとしたままだ。
「こわくないから、おいで」
手招きしようとすると、攻撃されると勘違いしたのか反対側の壁に逃げてしまった。
体を丸めて膝に顎を乗せると、エレナは、ふうとため息をついた。
やっぱりだめですか。
わたくしはみんなに嫌われているのかしら。
わがままで何もできないんですものね。
仕方がないかもしれませんね。
石壁にもたれながら高い天井を見上げる。
不思議なもので、たとえ虫であっても、自分一人だけではないと分かったときから、心の奥に落ち着きが戻ってきていた。
わたくしは貴族の娘。
どんなところにいても、つねに気品を忘れてはいけないのです。
と、扉の向こうで物音が聞こえた。
誰か近づいてくるようだった。
耳をそばだてていると、外で鍵を開ける音がして扉が開いた。
番人らしい太い腕の男が二人顔を出す。
「メシだぜ、お嬢ちゃん」
お盆を持ってきた方の男が中に入ってきて、床に置いた。
透明なスープと、小さなパンが一つだけだ。
「これが食事ですか?」
「なんだ、囚人のくせに文句あるのか?」
男が足枷のついたエレナの脚を舌なめずりしながら眺めている。
「なんなら、俺たちの方が味見してやってもいいんだぜ」
にやけながらドレスの裾をめくり上げようとした男が、ふと手を止めた。
部屋の隅で動くものに気づいたようだ。
「なんだ?」
男は壁際に体を向けた。
黒光りする虫がカサカサと音を立てて壁を這い上がる。
「なんでえ、ゴキブリかよ」
「つぶしちまえよ」と、扉のところで鍵を持った男が声をかける。
「よっと」と、男が壁に拳を叩きつけようとすると、素早く虫が逃げ出す。
「なんだ、このやろ」
壁から床に下りてきた黒い虫はエレナの食事の方へ這い寄ってくる。
男が足でつぶそうとするのをエレナは止めた。
「おやめなさい。かわいそうではありませんか」
「あ?」と、男が立ち止まる。「なんだ、こいつ。変な女だ」
外の男も鍵をじゃらじゃらと鳴らしながら呆れたように言った。
「どうでも、いいじゃねえか。そんなのほっとけよ。行こうぜ」
男達は重たい扉を閉めて去っていった。
ほんの微かだが、こするような、何かが這うような音がする。
耳をそばだてると、意外と近いようだった。
この狭い牢屋の中に何かがいる。
カサカサ……。
足下で何か動いたような気がした。
鉄の錘の陰から、何か細い糸のような物が出て、ふらりふらりと揺れている。
見ていると、少し移動しては止まり、また移動してはふらりと糸を揺らしている。
明らかに生き物だ。
なんですの?
エレナは錘の裏をのぞきこもうとした。
と、気配を察知したのか、黒い物体が急に動き始めて床を這って壁際に走り去った。
カササッ。
一瞬の出来事に呆然としてエレナは壁際へそっと近寄った。
薄い体に黒光りした羽の虫がいる。
頭の先にユラユラと細い糸をゆらしながらじっとしている。
「あら、おまえはどうしてこんなところにいるの?」
エレナは虫に向かって話しかけた。
「おまえもこんなところに迷い込んだの? それとも、もとからここの主だったの?」
もちろん話しかけたところで返事はないし、動きもなかった。
頭から二本伸びた細い糸をゆらゆらとゆらすだけで、じっとしている。
エレナも思わぬ同居人と向かい合ってじっとしていた。
「おまえ、名前はなんて言うの?」
もちろん虫が返事をするわけがないことくらい分かっている。
ただ、今はこの虫だけが話し相手なのだ。
「おいで」
呼んでもじっとしたままだ。
「こわくないから、おいで」
手招きしようとすると、攻撃されると勘違いしたのか反対側の壁に逃げてしまった。
体を丸めて膝に顎を乗せると、エレナは、ふうとため息をついた。
やっぱりだめですか。
わたくしはみんなに嫌われているのかしら。
わがままで何もできないんですものね。
仕方がないかもしれませんね。
石壁にもたれながら高い天井を見上げる。
不思議なもので、たとえ虫であっても、自分一人だけではないと分かったときから、心の奥に落ち着きが戻ってきていた。
わたくしは貴族の娘。
どんなところにいても、つねに気品を忘れてはいけないのです。
と、扉の向こうで物音が聞こえた。
誰か近づいてくるようだった。
耳をそばだてていると、外で鍵を開ける音がして扉が開いた。
番人らしい太い腕の男が二人顔を出す。
「メシだぜ、お嬢ちゃん」
お盆を持ってきた方の男が中に入ってきて、床に置いた。
透明なスープと、小さなパンが一つだけだ。
「これが食事ですか?」
「なんだ、囚人のくせに文句あるのか?」
男が足枷のついたエレナの脚を舌なめずりしながら眺めている。
「なんなら、俺たちの方が味見してやってもいいんだぜ」
にやけながらドレスの裾をめくり上げようとした男が、ふと手を止めた。
部屋の隅で動くものに気づいたようだ。
「なんだ?」
男は壁際に体を向けた。
黒光りする虫がカサカサと音を立てて壁を這い上がる。
「なんでえ、ゴキブリかよ」
「つぶしちまえよ」と、扉のところで鍵を持った男が声をかける。
「よっと」と、男が壁に拳を叩きつけようとすると、素早く虫が逃げ出す。
「なんだ、このやろ」
壁から床に下りてきた黒い虫はエレナの食事の方へ這い寄ってくる。
男が足でつぶそうとするのをエレナは止めた。
「おやめなさい。かわいそうではありませんか」
「あ?」と、男が立ち止まる。「なんだ、こいつ。変な女だ」
外の男も鍵をじゃらじゃらと鳴らしながら呆れたように言った。
「どうでも、いいじゃねえか。そんなのほっとけよ。行こうぜ」
男達は重たい扉を閉めて去っていった。