「なんか、ツルさんが死神さまを怒らせたというか、寂しがらせた理由が解った気がするわぁ」
「俺も」
また呆れてしまうと、ツルさんは慌てて「ど、どう言うことじゃ?」とうろたえる。
「言ったって理解しないわよ。神なんてそんなもんよ。人の心に寄り添うことなんてできないんだから」
死神さまのせりふにツルさんは少し気分を害してしまった様で、「そんなことは無いぞい」と眉根を寄せる。
「この空間にいた人が次に進めた時は、本当に嬉しいと思ったものじゃぞ」
「そうじゃ無いと思うわよ。ああ、謙太も知朗も、何言っても無駄だと思うわ。そういうものなのよ。だって神だもの。旦那さまあの双子には何の説明もしなかったわ。だからあの双子は夢でも見ていたと思ってるはずよ」
謙太と知朗は「あちゃ〜」と頭を抱えた。
「何が悪かったんじゃ? 言う必要あったかの?」
「まぁ、あののろまな双子には、夢って思わせておく方が良かったかも知れないけどね。このふたりにもこんな話の流れにならなかったら、言うつもり無かったでしょ」
「それはそうじゃ。言う必要無いじゃろうて」
「いや、言ってもらわなきゃ困るぜ、ツルさん」
「そうですよ。死んだって思っとるのに、急に元に戻されてもこっちは困惑します。ひとりなら夢で片付けられても、ふたりでまったく同じ夢を見てるなんて不自然です。現実感だってしっかりあるんやから、ちゃんと説明してくれへんと」
「そうなのかの。そういうものなのかの……」
ツルさんは目をぱちくりさせた。
「それは済まなんだのう。今度からちゃんと言うからの。いや、今度は無いかのう」
「もうあって欲しないですわ。じゃあ僕らはもう戻ってええんですね? どうやって戻るんですか?」
「ああ、あの扉の向こうに行ったら、ちゃんと現で目が冷めるぞい。あの火事じゃと思った翌日に戻るんじゃ」
「そりゃあこっちには都合が良いけどな」
「それにしても、死んだと思わせる原因がどうして火事だったんですか? あれかなり嫌やったんですけど〜」
「焼死が1番醜悪で美しいからよ。それは私の仕業」
「じゃから火への恐怖心はわしが除いたんじゃ。でないと料理を作ってもらうことができんからのう」
「あ〜、そういう流れですかぁ」
「仕方が無ぇから納得してやるぜ」
あまりな理由に、謙太と知朗はまた苦笑するしか無かった。
「あ、トモ、戻る前にラーメンの片付けせんと」
「そうだな」
謙太と知朗がキッチンに向かうと、そのあとを死神さまがふわふわと付いて来た。
「ねぇ、ラーメンもう終わり?」
「んー、もう少しあるな」
鍋を覗き込みながら知朗が応える。
「じゃあ私にも食べさせてよ。食べたい食べたい! 皆が満足した味噌ラーメン私も食べたい!」
死神はそう言ってじたばたと両腕を動かす。
「サヨだって食べたんでしょう。木偶なのに!」
そう言う死神さまは、まるで少しわがままな子どもみたいだ。何とも微笑ましい。
「分かった分かった。じゃあちょっと待っててくれ。すぐに用意するからさ」
「は〜い、スープ用意するねぇ〜」
麺を茹でる湯もスープもまだ熱い。知朗はてぼに麺を放り込む。
「は〜い死神さま、お待たせしましたぁ!」
完成した味噌ラーメンをお箸と一緒に元気良く渡すと、死神さまは目を輝かせながら器を受け取る。行儀良く「いただきます」と手を合わせると、立ったまままずはれんげでスープを飲んだ。
「あら、本当に美味しいのね」
そして次は麺をつるっとすする。目を閉じてもぐもぐとゆっくり噛むと「……悔しいわね」と漏らしながらお箸を動かして行く。
麺をすすり鶏チャーシューにかぶり付き、めんまをしゃくしゃくと噛み砕き、もやしをしゃきしゃきと食べ、青ねぎとスープをずずっと飲む。そうしてふと口を開く。
「ねぇ、人間にとって食事ってなんなのかしら。旦那さまも私も食事をする概念も必要も無いし、気持ち悪いから考えたこと無かったけど、食べることが心残りになるのが不思議だったのよ」
謙太と知朗は「ん〜」と考えを巡らす。そして「正しいかどうかは判らへんですけど」と前置きして言葉を紡ぐ。
「アリスちゃんは誕生日を祝ってくれる予定のケーキやった。太郎くんは自分のためのカレー、夏子ちゃんは食事制限があれへんかったら食べられたはずのティラミス。それを食べることで癒しと幸せを感じるものなんです。とどのつまり、皆求めてるのは幸せなんですよねぇ」
「そうだな。旨い飯は食った人を幸せにしてくれるよな。ただ腹を満たすためだけに食う味気ない飯だったら感じねぇものだな」
謙太がにっこり笑うと、死神はつまらなさそうに「幸せかぁ」と呟く。
「そんなものを求める人間の気が知れないわ」
「人間の大半は、無条件に幸せを求める生き物ですよ」
「わしの元にも幸せになりたい人がお参りに来るぞい。人とはそういうものじゃからのう」
「そうなの。面倒ね」
死神さまはもうすっかり興味が無さそうだ。死神とはそういうものなのかも知れない。
それでツルさんと一緒に神社で氏子を見守るなんてことができるのだろうか。性に合わないとは言っていたが。
やがて死神さまのラーメンはすっかりと空になった。スープまでしっかりと飲み干してくれている。
「ごちそうさまでした」
また丁寧に手を合わせる。謙太は「おそまつさまでした」と鉢を受け取った。
「癒しとか幸せとかなんてものは鬱陶しいけど、このラーメンで少し解った気がするわ。美味しかった。そういうことなのね」
「そういうことです。簡単なことでしょう?」
「まぁね。食事をすることは幸せなこと、か」
死神さまは言って肩をすくめた。
「わしは神じゃから人々の幸せを願うとる。じゃから奥さんが少しでも解ってくれたら嬉しいのう」
「善処するわ」
「うむ」
ツルさんは満足げに笑った。
「さてと、俺らは帰るか」
「そうやねぇ。その前に片付けせんとねぇ〜」
「いいわ。食事と幸せの関係なんてものを教えてくれたお礼に、私がやっておいてあげるわ。どうせここは閉めるもの。ついでよ」
「そりゃあ助かりますけどええんですか?」
「良いわよ。だからお前たちは戻って、またちまちまと報われなくてやり甲斐のある商いをすると良いわ」
死神さまはそう言って、謙太と知朗を追い払う様に手を振った。
「あはは、じゃあ今度こそ帰りますねぇ」
「おう」
謙太と知朗が微笑むと、ツルさんは満面の笑みになった。
「本当にありがとうのう。謙太坊とトモ坊が来てくれんかったら、この空間はいつまでもこのままじゃった。本当に感謝しとるんじゃよ」
「いいえぇ、僕も楽しかったです。ありがとうございましたぁ」
「おう、俺もだぜ。ありがとうな」
脱いだ割烹着を畳んでツルさんに返し、ツルさんと死神に手を振りながら扉へと向かう。その取っ手に手を掛けて。
「帰ろうかぁ」
「おう」
悪く無い、いいや、結構楽しい時間だった。
謙太と知朗は自分たちが作ったもので、人が幸せになってくれることにあらためて感謝したし、僥倖だった。それは味噌麺屋を営むふたりの基本でもあった。帰ってまた店を開いた時に、その気持ちを忘れない様にしたい。
そしてこの空間で関わった人たち。誕生日が命日になってしまった女の子、生命に関わる虐待を受けた男の子、大病を患った少女。この触れ合いはきっと謙太と知朗の宝物になる。
力を込めて扉を押す。隙間から漏れ出て来たのは白い光。大きく開け放ちその眩しさに目を細めたその瞬間。
ぱっと目を開いた謙太の目に映ったのは、見慣れた天井だった。
謙太はとっさに上半身を起こし、枕元のスマートフォンに手を伸ばす。日付を確認してみれば、確かに家事に遭ったと思わせられたその翌日だった。
現実味が沸かないのに現実としか思えない、だが夢の様な出来事だった。謙太は立ち上がると廊下に繋がるドアを開ける。すると隣の部屋から知朗が顔を覗かせていた。
「……トモ、ツルさんと死神さまに会うた?」
「ああ……。夢じゃ無いんだな。無かったんだな」
「そう、みたいだねぇ〜」
謙太と知朗はふらりと廊下に出ると、呆然とその場にへたり込んだ。
「俺も」
また呆れてしまうと、ツルさんは慌てて「ど、どう言うことじゃ?」とうろたえる。
「言ったって理解しないわよ。神なんてそんなもんよ。人の心に寄り添うことなんてできないんだから」
死神さまのせりふにツルさんは少し気分を害してしまった様で、「そんなことは無いぞい」と眉根を寄せる。
「この空間にいた人が次に進めた時は、本当に嬉しいと思ったものじゃぞ」
「そうじゃ無いと思うわよ。ああ、謙太も知朗も、何言っても無駄だと思うわ。そういうものなのよ。だって神だもの。旦那さまあの双子には何の説明もしなかったわ。だからあの双子は夢でも見ていたと思ってるはずよ」
謙太と知朗は「あちゃ〜」と頭を抱えた。
「何が悪かったんじゃ? 言う必要あったかの?」
「まぁ、あののろまな双子には、夢って思わせておく方が良かったかも知れないけどね。このふたりにもこんな話の流れにならなかったら、言うつもり無かったでしょ」
「それはそうじゃ。言う必要無いじゃろうて」
「いや、言ってもらわなきゃ困るぜ、ツルさん」
「そうですよ。死んだって思っとるのに、急に元に戻されてもこっちは困惑します。ひとりなら夢で片付けられても、ふたりでまったく同じ夢を見てるなんて不自然です。現実感だってしっかりあるんやから、ちゃんと説明してくれへんと」
「そうなのかの。そういうものなのかの……」
ツルさんは目をぱちくりさせた。
「それは済まなんだのう。今度からちゃんと言うからの。いや、今度は無いかのう」
「もうあって欲しないですわ。じゃあ僕らはもう戻ってええんですね? どうやって戻るんですか?」
「ああ、あの扉の向こうに行ったら、ちゃんと現で目が冷めるぞい。あの火事じゃと思った翌日に戻るんじゃ」
「そりゃあこっちには都合が良いけどな」
「それにしても、死んだと思わせる原因がどうして火事だったんですか? あれかなり嫌やったんですけど〜」
「焼死が1番醜悪で美しいからよ。それは私の仕業」
「じゃから火への恐怖心はわしが除いたんじゃ。でないと料理を作ってもらうことができんからのう」
「あ〜、そういう流れですかぁ」
「仕方が無ぇから納得してやるぜ」
あまりな理由に、謙太と知朗はまた苦笑するしか無かった。
「あ、トモ、戻る前にラーメンの片付けせんと」
「そうだな」
謙太と知朗がキッチンに向かうと、そのあとを死神さまがふわふわと付いて来た。
「ねぇ、ラーメンもう終わり?」
「んー、もう少しあるな」
鍋を覗き込みながら知朗が応える。
「じゃあ私にも食べさせてよ。食べたい食べたい! 皆が満足した味噌ラーメン私も食べたい!」
死神はそう言ってじたばたと両腕を動かす。
「サヨだって食べたんでしょう。木偶なのに!」
そう言う死神さまは、まるで少しわがままな子どもみたいだ。何とも微笑ましい。
「分かった分かった。じゃあちょっと待っててくれ。すぐに用意するからさ」
「は〜い、スープ用意するねぇ〜」
麺を茹でる湯もスープもまだ熱い。知朗はてぼに麺を放り込む。
「は〜い死神さま、お待たせしましたぁ!」
完成した味噌ラーメンをお箸と一緒に元気良く渡すと、死神さまは目を輝かせながら器を受け取る。行儀良く「いただきます」と手を合わせると、立ったまままずはれんげでスープを飲んだ。
「あら、本当に美味しいのね」
そして次は麺をつるっとすする。目を閉じてもぐもぐとゆっくり噛むと「……悔しいわね」と漏らしながらお箸を動かして行く。
麺をすすり鶏チャーシューにかぶり付き、めんまをしゃくしゃくと噛み砕き、もやしをしゃきしゃきと食べ、青ねぎとスープをずずっと飲む。そうしてふと口を開く。
「ねぇ、人間にとって食事ってなんなのかしら。旦那さまも私も食事をする概念も必要も無いし、気持ち悪いから考えたこと無かったけど、食べることが心残りになるのが不思議だったのよ」
謙太と知朗は「ん〜」と考えを巡らす。そして「正しいかどうかは判らへんですけど」と前置きして言葉を紡ぐ。
「アリスちゃんは誕生日を祝ってくれる予定のケーキやった。太郎くんは自分のためのカレー、夏子ちゃんは食事制限があれへんかったら食べられたはずのティラミス。それを食べることで癒しと幸せを感じるものなんです。とどのつまり、皆求めてるのは幸せなんですよねぇ」
「そうだな。旨い飯は食った人を幸せにしてくれるよな。ただ腹を満たすためだけに食う味気ない飯だったら感じねぇものだな」
謙太がにっこり笑うと、死神はつまらなさそうに「幸せかぁ」と呟く。
「そんなものを求める人間の気が知れないわ」
「人間の大半は、無条件に幸せを求める生き物ですよ」
「わしの元にも幸せになりたい人がお参りに来るぞい。人とはそういうものじゃからのう」
「そうなの。面倒ね」
死神さまはもうすっかり興味が無さそうだ。死神とはそういうものなのかも知れない。
それでツルさんと一緒に神社で氏子を見守るなんてことができるのだろうか。性に合わないとは言っていたが。
やがて死神さまのラーメンはすっかりと空になった。スープまでしっかりと飲み干してくれている。
「ごちそうさまでした」
また丁寧に手を合わせる。謙太は「おそまつさまでした」と鉢を受け取った。
「癒しとか幸せとかなんてものは鬱陶しいけど、このラーメンで少し解った気がするわ。美味しかった。そういうことなのね」
「そういうことです。簡単なことでしょう?」
「まぁね。食事をすることは幸せなこと、か」
死神さまは言って肩をすくめた。
「わしは神じゃから人々の幸せを願うとる。じゃから奥さんが少しでも解ってくれたら嬉しいのう」
「善処するわ」
「うむ」
ツルさんは満足げに笑った。
「さてと、俺らは帰るか」
「そうやねぇ。その前に片付けせんとねぇ〜」
「いいわ。食事と幸せの関係なんてものを教えてくれたお礼に、私がやっておいてあげるわ。どうせここは閉めるもの。ついでよ」
「そりゃあ助かりますけどええんですか?」
「良いわよ。だからお前たちは戻って、またちまちまと報われなくてやり甲斐のある商いをすると良いわ」
死神さまはそう言って、謙太と知朗を追い払う様に手を振った。
「あはは、じゃあ今度こそ帰りますねぇ」
「おう」
謙太と知朗が微笑むと、ツルさんは満面の笑みになった。
「本当にありがとうのう。謙太坊とトモ坊が来てくれんかったら、この空間はいつまでもこのままじゃった。本当に感謝しとるんじゃよ」
「いいえぇ、僕も楽しかったです。ありがとうございましたぁ」
「おう、俺もだぜ。ありがとうな」
脱いだ割烹着を畳んでツルさんに返し、ツルさんと死神に手を振りながら扉へと向かう。その取っ手に手を掛けて。
「帰ろうかぁ」
「おう」
悪く無い、いいや、結構楽しい時間だった。
謙太と知朗は自分たちが作ったもので、人が幸せになってくれることにあらためて感謝したし、僥倖だった。それは味噌麺屋を営むふたりの基本でもあった。帰ってまた店を開いた時に、その気持ちを忘れない様にしたい。
そしてこの空間で関わった人たち。誕生日が命日になってしまった女の子、生命に関わる虐待を受けた男の子、大病を患った少女。この触れ合いはきっと謙太と知朗の宝物になる。
力を込めて扉を押す。隙間から漏れ出て来たのは白い光。大きく開け放ちその眩しさに目を細めたその瞬間。
ぱっと目を開いた謙太の目に映ったのは、見慣れた天井だった。
謙太はとっさに上半身を起こし、枕元のスマートフォンに手を伸ばす。日付を確認してみれば、確かに家事に遭ったと思わせられたその翌日だった。
現実味が沸かないのに現実としか思えない、だが夢の様な出来事だった。謙太は立ち上がると廊下に繋がるドアを開ける。すると隣の部屋から知朗が顔を覗かせていた。
「……トモ、ツルさんと死神さまに会うた?」
「ああ……。夢じゃ無いんだな。無かったんだな」
「そう、みたいだねぇ〜」
謙太と知朗はふらりと廊下に出ると、呆然とその場にへたり込んだ。