被っていたキャップが、父さんの足元に落ちる。蹴られた衝撃で落ちたのか。
「……お前、こんなの持ってたか?」
 父さんは紫色のそのキャップを拾い上げて、不思議そうな顔をした。

 零次がくれたあのキャップだけは、傷つけられたくない!
「返せ!!」
 俺は急いで立ち上がって、キャップを取り返そうとした。父さんは俺の手を交わしながらポケットからライターを取り出して、キャップをライターの火で燃やした。

 俺は燃えてるキャップを父さんの手から奪い取った。

「あっ、ああ」
 嗚咽が漏れる。
 ライターの火が腕をかするのも気にもしないで取り返したのに、キャップはもう使い物にならなくなっていた。

 零次がくれたキャップなのに。
 ボロボロと涙が溢れ出す。
 ……零次っ。「はぁ?親父に燃やされた?」なんて言う零次の姿が頭を過った。零次に会いたくてたまらない。

「海里、たかが帽子で何泣いてるんだよ」
「うぁっ」
 髪の毛をぐいっと引っ張られて、低い声で言われる。
 俺は父さんの手を振りほどいた。
「アハハハ! もう人形じゃないんだな、お前は」
「そうだよ。俺は元から父さんの人形でもなければ、奴隷でもない」
「子供の分際で生意気なんだよ」
「うっ!!」
 後頭部を鷲掴みされ、顔を壁に押し付けられる。視界が黒に染まった。
「こんなことされるのもうウンザリか? じゃあこの前みたいに、何処かで燃やしてやろうか。それとも、車にでも轢かれるか? 今度はアイツに気づかれないように、アイツの職場や新しい家から離れたとこでやろう」
 母さんが父さんをアイツって言った。離婚する前は滅茶苦茶好きだったハズなのに、そう言った。
「……いっ、嫌だ。死にたく……ない」
 俺は掠れ声を出して言った。
 だってまだ、零次に会えてない。会って話がしたい。飽きるまで遊びたい。
 髪の毛を掴んでいた手が口に移動した。
「お前に拒否権なんかないんだよ」
 そういうと、父さんは俺の右腕を掴んで、人差し指の骨を第二関節まで折った。口を塞がれてなかったら、絶対叫んでいた。
「海里、ついてこい」
 右腕をさらに強い力で握られる。腕の皮がむけて、血を吹き出した。

 父さんは俺の口から手を離すと、八重歯を煌めかせて笑った。その笑顔は、この世のものでは無いんじゃないかと思うくらい怖かった。

 どうやら、俺は今日死ぬ運命らしい。

 ……誰か、助けて。
 ………零次、助けて。

 何で来ないんだよ。
 助けるって言ったくせに。
 ……嘘つき。

 直後、路地裏のそばを歩いていた高校生くらいの男が、手に持っている飲み物を父さんの顔にぶっかけた。
 男はパーカーのフードを被っており、顔が見えなかった。
「あっつ!?」
 狼狽えた父さんは急いで俺の手を離して、顔と髪の毛を服の袖で拭った。
 父さんについている飲料水は色が黒くて、熱い湯気を出していた。
 ……まさか、ホットコーヒーをかけたのか?
 俺はそのぶっ飛んだやり方を見て、男が零次なのではないかと思った。だが俺は疲労のせいで、それを確かめる前に気を失ってしまった。