「お前も登れよ、海里」
 ジャングルジムの頂上にいる阿古羅が、身を乗り出して手を差し出してくる。俺はそっと、阿古羅の手を掴んだ。
「よっと!」
 阿古羅は声を出して、俺の身体を頂上にあげた。

 ジャングルジムの上では、家の様子がよく見渡せた。
 父さんが俺の部屋のベランダで、忙しなく煙草を吸っている。
 俺は怖くなって、父さんから目を背けた。
「海里、目を逸らすな。見方を変えろ」
「……見方を、変える?」
 阿古羅を見つめて、俺は聞き返す。
「おう。お前は今、生まれて初めて父親より優位に立ってんだよ。そう思って父親を見たらさ、これがいい景色に見えないか?」
 阿古羅はそういって、父さんを指さす。
 もう一度父さんを見ると、涙腺が緩んだ。

 ――ああ、解放されたんだ。逃げられたんだ俺は。永遠に解放されたわけではないけれど、つかの間の自由を手にすることができたんだ。
 五年ぶりに。

「大丈夫。地獄は天国になるよ。俺がそう保証してやる」
 阿古羅はそういって、俺の背中を撫でた。
 俺には、その言葉が本心で言ってる言葉なのかも、俺を貶めるために言っている言葉なのかも分からなかった。
 ――阿古羅と一緒にいれば、本当に地獄は天国になるのか?
 心の中にいる悪魔は、『阿古羅は父親に言われてお前に近づいたんだよ。今まで言ったことは全部詭弁で、お前の一番の弱点をみやぶるために言った言葉なんだよ。だからそいつと逃げてもよくないことしか起きないぞ』と言っていた。その一方で心の中の天使は『阿古羅を信用してもいいんじゃない? きっと何もかも本心でやってくれているんだよ。大丈夫。地獄は本当に天国になるよ』と言っていた。
 人を信じるのが怖くて、俺はその二つの気持ちで揺らいだ。
 揺らいだけど、阿古羅と暮らしてみようと思った。
 父さんと暮らしたくないなら阿古羅と暮らすのが一番いいと思ったし、スパイかどうかは一緒に暮らす中で判断してもいいんじゃないかと思ったから。

 十階建のマンションの二階の右端にある201号室が、阿古羅の部屋だった。
 阿古羅は鞄の中にあった鍵で部屋のドアを開けると、直ぐに靴を脱いで中に入った。
「おじゃまします」
 俺は靴を脱いで、恐る恐る足を踏み入れた。