玄関に行くと、母さんがいた。
「海里、いかないで」
母さんは涙を流しながら、俺の腕をつかんだ。
その涙はあまりに綺麗で、まるで俺がいなくなるのを心の底から悲しんでいるかのように見えた。
実際、悲しんでいるのだろう。
実の子供が死ぬのなんて、とても嫌だと思っているのだろう。
でも母さんのその想いは俺が自殺してしまったら、今度は自分が身代わりになるかもしれないという恐怖心からくるもので、愛なんて優しいものではない。
――残酷なんだ、俺の母さんは。
「……嫌だ。どうしても止めるっていうなら、無理にでも出てくから」
俺は母さんの手を振りほどくと、靴箱から靴をとって、走ってダイニングに行った。
ダイニングに行くと、再び、猫のぬいぐるみが俺の目に入った。
……父さんに捨てられたりしたら嫌だし、持ってくか。
俺はぬいぐるみを掴んで、防寒具のポケットに入れた。
それから俺は窓を開けて、窓の淵にしゃがみこんで、靴を急いではいた。
「海里! 海里は、お母さんを見捨てるの? あんな人と二人きりになるお母さんが可哀想だとか、少しでも思わないの?」
追いかけてきた母さんからその叫びを聞いた時、俺の何かが壊れた。
「じゃあ母さんは思わなかったの? 殴られたり骨を折られたりする俺を見て、可哀想だと思わなかったの? 母さんは俺が助けてって言わなかったから、俺を助けなかったの? 俺が大事だって言うなら、心の中くらい察しろよ!」
声が枯れる勢いで、俺は叫んだ。
酷い虐待をずっと見て見ぬふりしてたクセに。それなのに今更見捨てるのなんて言ってくんじゃねぇよ! 俺を見捨てたのはアンタだろうが! 自分がそうなるのが嫌だからってただ怪我の手当てすることや、ご飯を作ることだけやって。酷い虐待をされてる俺を本気で救おうともしなかったのはアンタだろうが! それで一緒にいるなんて言うわけないだろ!
別に心のうちを全部察して欲しいなんて思わない。でも、言わなくても少しくらい気づいてほしかった。逃げようって言って欲しかった。
「……海里」
母さんが俺に近づいてきて、包帯が巻かれた俺の頭を撫でようとする。俺はその手を振りほどいて、走って家を出た。
「海里いいぃぃ!!」
後ろから聞こえた母さんの声は、悲鳴に近かった。無視して走った。振り返ったら、地獄に帰る羽目になるとわかっていたから。
そうして、俺はその日家族を捨てた。愛なんて微塵もない形だけの家族ごっこから、さよならを告げだんだ。