『ごめん、心配かけて』
 俺は頭に浮かんだその言葉を、声に出さなかった。
 母さんが本当に心の底から俺を心配してくれたことなんて、一度も無いと知っていたから。本当に心配しているなら、俺はダイニングのソファではなく、病院で目覚めるハズだから。
「海里? どうかしたの?」
 俺が黙っているのを不思議に思ったのか、母さんは首を傾げた。
「……ううん。助けてくれてありがとう。でも、なんで? 俺を生かしても、母さんには何のメリットもないよね?」
 むしろ母さんは、俺が死んだ方が幸せになれるハズだ。
 だって、俺が死んで父さんに死亡保険金が入って借金がなくなれば、離婚を切り出した時に暴力を振るわれる可能性が、かなり低くなるんだから。
「……そうね。何もないわ。でも見過ごせなかったの。海里を、愛しているから」
「ふざけんな!! 愛してなんかないだろ! 本当に愛してたら、俺は今病院にいんじゃねぇのかよ!!」
 俺は背中に回っている母さんの腕を振りほどいた。
「……海里」
「……何で嘘なんかついた? 何で俺を助けた? 俺に、感謝でもされたかったか? 俺、一年前から、母さんに何の感謝もいってなかったもんな。それで、たまには感謝されたいと思ったんだろ!」
「ちっ、ちが……」
「違くないんだよ! 本当に違うなら、もっと自信満々に否定しろよ!」
 反吐が出る。
 一瞬でも愛を求めた自分が馬鹿みたいだ。
 俺は母さんの肩を勢いよく押した。母さんは床に尻餅をついた。
「かっ、海里」
「そんなに感謝して欲しいなら、感謝してやるよ! ……ありがとう。母さんが助けてくれたおかげで、俺はこれから自殺できる。そのことだけは、本当に感謝してるよ」
「え? 海里、本気で言ってるの?」
 とても慌てた様子で、母さんは立ち上がる。
「……本気だよ。俺は自殺する」
 そういうと、俺は駆け足で部屋を出て、父さんの部屋に向かった。
 父さんは部屋のベッドで、ぐーぐーと大きなイビキを掻いて寝ていた。
「うるさ」
 イビキが部屋中に響いている。聞いているだけでかなり不快だ。
「……あった」
 鞄から黒い長財布を見つけて、俺は呟く。
 財布をズボンのポケットに突っこむと、俺はついでにハンガーにかけてあった防寒具もひったくって、父さんの部屋を出た。