「走れるか? 逃げるぞ」
「うっ、うん」
 阿古羅は服にかかったカップラーメンの具と麺を払うと、俺の左腕をつかんで、全速力で走り出した。

 ――ん?

 こいつ、走り方が変だ。
 両足を少し引きずるようにして走っている。
 怪我でもしているのだろうか?
 でも足を引きずってはいるけど、痛そうにしているわけでもないし、大した怪我ではないのか?
 そう思って、俺はあまり深く詮索しないことにした。


 父さんは虐待がバレるのを恐れたのか、追ってこなかった。おかげで、俺達はすぐに近くの公園のトイレに駆け込むことができた。
 阿古羅はトイレに着くと、ぱっと俺の腕から手を離した。

 ……助かったのか?

 ほっとして力が抜けてしまい、俺は思わずトイレの床にしゃがみ込んだ。
「大丈夫か? ……確か、隣のクラスの井島海里だよな?」
 阿古羅が俺に手を差し出して、顔を不安そうにのぞき込んでくる。
 俺の名前、知ってるのか。
「……うん。助かった。ありがとう」
 俺は阿古羅の目を見てから、その手を受け取って立ち上がった。
「助けられてよかった。俺は阿古羅零次だ。よろしく」
 阿古羅は俺の手をぎゅっと握った。
「……うん。よろしく」
 俺は小さな声で言った。
「いつもあんなことされてるのか?」
 首を傾げて、阿古羅はいう。
「……うん」
「……そっか」
 俺が小さな声で頷くと、阿古羅は突然片手を上げた。

 ――殴られる!

 目の前にいるのは父さんじゃなくて阿古羅なのに、そう思った。
 俺は咄嗟に、右手で頭を隠した。
「え?」
 阿古羅は意味が分からないというような顔をして、手を下ろした。
 もしかして、俺の頭を撫でようとしたのか?
「あっ。ごっ、ごめん、俺……」
 俺は慌てて右手を下ろして頭を下げた。
「殴られると思ったのか?」
 阿古羅が神妙な面持ちで尋ねてくる。
「うっ、うん。……本当に、ごめん」
「気にすんな。毎日あんな目に遭ってたら、そうなって当然だ。火傷、冷やそうぜ」
 頭を下げている俺を見ながら、阿古羅はトイレの端にある洗面所を指さす。
「……うん」
 俺は阿古羅を傷つけたのが後ろめたくて、小さな声で頷いてから、洗面所を見た。